今、再掲するにあたって      2009年9月7日

   「ひめゆりの塔は無かった」と書いた。今もその思いは変わらない。ただ、時代が変わってしまった。戦争について悲惨さは語っても誰が殺したのか、誰が殺されたのかという当事者性を不問にすることが多くなった。その直裁さに耐えられない人々が増えすぎてしまった。戦争では次々に肉体が死んでいく。思いや思想が死ぬのではない。理不尽に殺されていく。理不尽に耐えられる人が減ってしまった。
  戦争や平和を語る前に、ここに死んだ人たちを思え。メメント メリmemento mori 死を想え、それは抽象的概念ではなく、肉体の死を具象する行為のはずだ。その思いは今も変わらない。
  (本文には、加筆修正を加えていない。)

野良日誌/番外編 三の段 沖縄にひめゆりの塔は無かった   2006年 home
人はこの供養塔をひめゆりの塔と呼ぶ。
しかし、碑文はこの地で殺された人達の記銘である。

ひめゆりの塔とは彫っていない。

夢か幻か、平和と戦争はいつも共存している。
平和とは戦争によってもたらせるものだから、勝った側の平和は豪華で、負けた側は悲惨と貧困の中でゲリラ・テロリストを生み共存する。
この海岸近くの洞窟で、彼女たちは死んだ。

殺したのは誰だ。判ってるじゃないか。

でも誰も口にしない。


供養塔の横に、もとえこの洞窟の横に塔は立っている。
沖縄で、「戦跡巡り」するなんておろかな行為だ。戦場の真っ只中で「戦跡」はない。戦争が日常化してぼけた脳みそが「足跡」と見間違えているだけ。
この美しい海は、ここ沖縄がまだ戦場であることを、いっとき忘れさせてくれる。


平和区と戦場区に分けるのは国家。線引きを変えるのは政治。
極東軍事境界は変わろうとしている、いやすでに変わっている。

38度線が無意味になり、大量の難民とテロリストが南下を始めている。
青い、どこまでも青い。

砂はサンゴ。
血に染まったことを忘れそうだ。
国際通りから横道に入った。

そう、必ず触り、割ってみて、かじって見て、
でないと観察は終わらない、興味の的が常人を逸している。
どこだった?

浪速のママ、初公開。
載せるなとのお達しだが、判るまい
国際通りの公設市場で。

アバシゴーヤ。いま一番おいしい品種
ゴーヤーパーク

年中ゴーヤーを栽培している。

この幼苗が、巨木になる。
水耕栽培
むふむふ、このように。判る?


下左、根っこのマット。マットと化した根っこ。広げて頂いたのは、管理をしているお姉さん。

右下、根っこ。
ここのゴーヤーチャンプルが一番旨かった。

ドラゴンフルーツをゴチになった。

曰「熟し過ぎて、出荷でけんのよ」、旨かった。

どこでも同じだった。旨いときに採った野菜は、出荷して半日で、商品でなくなる。
許田の道の駅。

熱気は観光客と、販売員の賑やかな応対。当たり前のことだが。
許田の道の駅。

シークワーサー。このジュースは旨い。
許田の道の駅。

奥の工房でパンを焼いている。試食はしていないんで味は知らん。
許田の道の駅。

そう、野菜の直売所・道の駅の視察旅行だったのさ。
沖縄まで自費で研修しに行くやつは少ない。
自腹切らずに身につくものか。

許田の道の駅

ランの花のコーナー
同じく
許田の道の駅。

箱になんか金がかかっていない。
多分、沖縄博ころの建設だろう。

観光客がいるから客単価が上がる?
観光道路にあるから?

バカいっちゃいけない。売れるものを売れる価格で、元気よく客あしらいしてるからじゃないか。

国際通り、公設市場。

力が入ったこの笑顔で判るだろうが、売らんがための笑顔が、買う気にさせる笑顔になるには年季がいるのだ。
国際通り、公設市場。


ヘチマ。ゴーヤーと並んでよく食べている。らしい。
なんだこれは。

彼岸花か?