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編集中(04 December, 2011 05 December, 2011二つの集会決議を載せた)
2011年12月3日 もんじゅを廃炉へ!全国集会 もんじゅ(白木浜・正門前) 敦賀市内 プラザ万象〜敦賀駅前
![]() もんじゅを廃炉へ!全国委 チラシ →http://homepage3.nifty.com/skroba/event.pdf |
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2011.12.3(土) もんじゅを廃炉へ!全国集会/全国実行委
現地抗議集会 /白木海岸・もんじゅ前
シュプレヒコール/動画をYoutubeにUP
→白木浜 http://www.youtube.com/watch?v=e7bXcTtXYZ4
→正門前 http://www.youtube.com/watch?v=Z2
pwphUOuQM&feature=BFa&list=ULe7bXcTtXYZ4&lf=mfu_in_order
(何故か途中で終わる。??)
凄い時代だと思う。素人がこうして数日のうちにデモ・集会の様子を伝えるようになった。
でも思うんだ。70安保の頃、私は毎日のように、正門前で、駅前でマイクを持ち、ビラを配り、人々に話しかけていた。
僅かなカンパが集まり、人垣がでけた。
さあ、こうして今、人は同じ情況の中を生きる。できれば、もっともっと身をこすり合わせ、がさつでも稚拙・拙速でもよい、刹那の連帯の中で、お互いを確かめ、前進したい。
たつ たかし
辺野古に基地はつくらせない!!
↓ 白木浜の抗議集会から、もんじゅ正門前までの隊列。![]() |
2011年12月3日 日本原子力研究開発機構 理事長 鈴木篤之 様 抗議 2011年3月11日、あってはならない原発過酷事故が福島第一発電所で起きてしまいました。放出された放射能は人々を、生きとし生けるものを、海を、大地を、空気を、水を、ガレキさえも汚染してしまいました。放射能汚染によって、故郷を追われ、避難を強いられる十数万人の人々がいます。フクシマ事故は、いまだに収束することができていません。廃炉への道は遠く、放射能にさらされた膨大なガレキの中間貯蔵すら目途が立たない状況です。 安易な便利さと引き換えに襲った巨大リスクを前に、人々の意識は大きく変わり、いまや脱原発が普通のことになりつつあります。 政府の科学技術白書2011年版では、「高速増殖炉の実証施設を実現する」との記述も削除されました。「もんじゅ」が原型炉の役割を失ったことは明らかです。高速増殖炉の開発を支持する声は限りなくゼロに近い現実があります。 政府の行政刷新会議が「提言型政策仕分け」で「もんじゅ」存続も見当すると、 0月に発表されると、鈴木理事長は、高速増殖炉の実用化は無理との認識を示して、「もんじゅ」は研究に軸足を移すという姑息な生き残りの発言をしています。 「もんじゅ」の総事業費は2010年度末で約1兆810億円にのぼり、原子力機構の公表はこれより1500億円以上少なかったといいます。1995年12月8日に起きたナトリウム漏えい火災事故の事故隠しは、世間で「ウソつき動燃」と呼ばれ、組織の名前がかわっても情報の隠ぺい体質は今も生き続けているというえます。 ひずみエネルギーが蓄積された若狭湾の巨大地震が心配されています。地震に弱い構造の「もんじゅ」は活断層の真上にあります。原発震災を引き起こしたフクシマ事故を、2度と繰り返してはならないのです。 16年間も停止している「もんじゅ」に、これ以上の国費を投入し、動かすことは許されません。即刻、廃炉を決断されることを強く要請します。 2011 もんじゅを廃炉へ!全国集会参加者一同 |
![]() ![]() ![]() もんじゅ正門前、抗議文を日本原子力機構に手渡す。 |
白木神社
もんじゅのある白木集落、そこに白木神社があった。
この神社のことをここで書くことを遠慮しよう。
滋賀・三井寺のHPに紹介するにふさわしい文章があるので、そちらで
→福井県の新羅神社(1)若狭地方の森羅神社
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
集落を散策した。集落というより、屋敷が寄り添うように建っていた。どこを歩いても、家の庭を歩いているような感覚を覚えた。
町だの都市だの、田舎だの里山だの、今、私たちが当たり前のように飼い馴らされて使う言葉を、嘲笑うかのような、「家」だ。
追記:13 June, 2012 写真を追加する。
式内 白城神社 とある。若狭は、奈良や京都に都があった時代以前から守り続けているものがある。
今の人の歴史感や風土感は、鎌倉、室町そして戦国時代を通して、河川の治水工事を行い、そのことで水田開発と新たな交通路が出来上がっていった以降の感覚に乗っている。
平地・平野から日本が出来ていったとの錯覚にとらわれ過ぎている。多くの戦国大名は山地から平地に出て来ただろう。そしてそのことを忘れ去ろうと、忘れていったのだろう。出目を忌み嫌うようになったみたいだ。
若狭〜湖西〜湖北〜美濃〜飛騨〜信濃〜碓氷峠、当たり前のように人が行き来した時代がある。
白城は、新羅(しんら)と読んでもよい。また、城は朝鮮半島の城、戦の時にたて籠る場所でもある。
夏に撮った(2011.8.9)、白木浜海水浴場からもんじゅ。
若狭”原発”銀座の風景と同様に、40年という歳月が、時間を刷りこんで、余りに日常に溶け込んでいる。
夏に一巡りした、時の写真は → こちら
美浜原発 もんじゅへ向かう途中にある(2011.12.3)→
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会場から 敦賀駅前デモ![]() ![]() ![]() 釜ヶ崎日雇労働組合 釜・解放 わっしょい、わっしょい!!元気でるで!! ![]() ![]() すべての原発いますぐなくそう! わっしょい! 東電うそつき! 政府もうそつき! わっしょい!! ![]() ![]() ![]() |
敦賀駅前 流れ解散
お疲れさぁんしゃした