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2011年12月26日(月) |
80年代、私はどこにいたのだろうか |
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忘れていた大雪。ハヤトウリの支柱がペシャンコになった。
この年末年始は、「80年代、私はどこにいたのだろうか」をテーマに、80~90年代に読んだ本を読み返してみようと思ってる。上にもあるように、去年の10月頃に同じようなことを考えている。しかし、「3.11」は悠長に余生を送るための読み返しなんぞを願っていない。つまり、40年振りに現実世界がまったなしで迫っている、若い人たちにゆだねる部分も多いだろうが、「全員参加」を要求されてるんじゃないのか。
40年前と時代が違う、同じこともあるだろうが違い、ここを押さえること。
- 書きかけ - |
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2011年12月19日(月) |
2011年の記録をつくろうかと、、、、 |

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8月9日、敦賀・白木浜から見たもんじゅ、12月11日、
大阪御堂筋、原発いらん!女子でも・だれデモ。
今年もあと10日ほど、年賀状がいるのかなあ、HPの載せた写真から1年間を振りかえるって企画もいいなあ、毎月1枚、12枚で収まらない。整理整頓のできない性格がこういう時、困る。
なにも困っていないからダラダラ12枚を選んでもいいし、「おはら野四季」から、農園の作業記録から、ママと猫な毎日から、などなど、自分で作っているHPながらあちこちのページを開けて写真を眺めている。
眺めていると、なんかしらあれこれ思ってしまって、手が止まる。
とっかかりは、この2枚かな。
あまりに日常、その日常が取り返そうにも戻って来ない、40年間だというのがつらい。左翼活動家に”元”を付けて”元活動家”ってしてみたところで、じゃあその40年を取り戻せるのか。
「ママは原発!いりません!!」って衝撃は、4月9日の「周辺住民の避難拡大!脱原発への転換を!4・9緊急大阪集会(美浜の会)」に参加して、改めて納得した。福岡に、関西に避難してきたママ・パパたちの行動は、3.11以前に、「廃炉アクション」など地道な活動の結果であって、突然の転換・展開ではないことを知った。3.11福島事故に直ちに反応したその理由がそこにある。
そして、「そうなっては困る、駄目だ」の活動が、「そうなってしまった」を受け入れるところから、それは混乱だろうし、混沌に身をおくことでもあろう。この当事者性は、自責を乗り越えて次に向かう。悪いのはあいつだだけでは済まないし、「正しく怖がる」には「なにいってんのよ」であろう。
「ほらみたことか」の言説が飛び交うなかで、「じゃあ何してきたの」だけで終わらない、「3.11以降の世界をどう生きるのか」の問いを内包しながら、『(12月14日)
未来の世代は、私たちに聞くと思いますよ。あの時お前は何をしていたと ・自分のできることはやったと言いたいんですね 小出裕章(TOKYO
FM)』に込められた、何をしてきたか、何が出来ずに終わったのか、できたこと、できなかったことを未来に託す作業じゃないのだろうか。
1年を12枚の写真に切りとる作業は、そんな自問とまだ見ぬ答えを抱き合わせている。
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2011年12月15日(木) |
80年代、私はどこにいたのだろうか |
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科学的方法とは何か-浅田彰・黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉著/中公新書/1986
山口昌哉(数学者)と長野敬(生物学/生化学)が何を言ってるのか知りたくて求めた。物理学が数学を伴侶に、物理帝国主義的蛮蝕が進行する中、異議を唱えた人たちの足取りが知りたかった。 |
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2011年12月6日(火) |
俄かに、昔の左翼活動家に戻ってもしゃあないよなあ。そんなんで12月 |
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ボリジがどんどん大きくなる。寒くなって大きく育っていくように見える。彼の生育適温なんだろうな。 |
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