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おはら野の四季は
伊吹山と霊仙山、西の横山に囲まれた盆地の
風景から生まれる

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    23 January, 2011 あるじなしとて はるなわすれそ   米原市・観音寺
            21 July, 2010 郷里川   08 March, 2010 夜叉五倍子   (夜叉五倍子の記述は「おはら野の草花」の中にもあります)

23 January, 2011                               あるじなしとて はるなわすれそ   米原市・観音寺

   なあ、陣中さん。朽ちて行くのもまたよかろう、
  雪がだいぶ融けた今日、思い立って観音寺に散歩に出かけた。江!三姉妹とかで、周りは賑やかだ。雪の中、長靴の痕があるから訪れる人がいるんだろう。

   暇を持て余してやってくるには、あなたはいない。






 






  散歩みちには遠すぎて、出かけるには近すぎる。






















  三成もなにも、泡沫よ、騒ぐわりには醒めるのも早い。今年は、江さんだそうだ。





 




    旧坊の梅が開く頃、また来ような。




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 郷里川・夜叉五倍子  
21 July, 2010
  ヤシャブシ
  初夏、フジの花の盛りを過ぎた頃以来、車を止めて眺めた。


  この川の由来、農業用水・長浜市街地の生活用水としての重要性が書いてある。

  しかし、この一文から、どの川、どの用水がどのような水利権で守られているか、何度読んでも判然としない。しない訳はいたって簡単で、清流保全実行委員会のこの「郷里川の由来」で、判然とさせるには水利権は複雑怪奇に現在も、陰に陽にからまっていて、ここで公然かつ理路整然にすると、また水利権を巡る一つの説を作ってしまうからである。用水や川の羅列はあっても、どこからどこまでをいうのか、本当に判らない文になっているのは、その意味で、判らなく書いた、としかいいようがない。
  このことが、万事物事を明晰にしない、曖昧なまま時々の声の大きい者に委ねてしまう、そんな風土とでも言おうか。

  まあそんなことは抜きに、熱い陽射しの中で、一服の涼風の吹く景色だ。

  ヤシャブシ   横山 茶臼山古墳
  こちらの、案内板はさずが滋賀県指定史跡だけあって、明晰。宮内庁と文部科学省の狭間にさしかかる件りを除いて。それはそれで、良い。おらがふる里自慢に煩わされないようにしようと思ったら、それくらいの配慮もいる。


  その茶臼山古墳から、横山に残る戦国山城遺跡などを巡る登山道入り口、登山道は大げさで散歩道程度、長浜市・旧近江町側にはこのような、横山の中を歩く散歩道が、あちこちに設けられている。しかし、旧山東町側にはそのような整備された登り口はない。

  こ難しい話ではない、文化をめぐる民度ラベルがそのまま反映されているだけで、行政の責任だけではない。

  郷里川の一つ春近川。春近は、国語の先生で、春近に住んでいた、筈、今でこそ長浜や虎姫は大阪・京都から新快速で一本だが、当時は米原駅で北陸線乗換、日に数本、彦根発の気動車があって、ジーゼルの黒煙を吐いてホームに止まった。
  その気動車を待つ先生たちの時間待ち喫茶「はとや」で、待っていると一緒にコーヒーをゴチしてくれた。40年前はそんなジーゼル気動車が走っていた。


  同じような場所から南へパン。当時は田んぼの圃場整備が始まったばかりで、まだこのように、一直線の田も道も無かった。この川のように曲がりくねった細い畔道が続いていた。もちろん、野ツボもあって、そこにはまるとドツボだった。ドツボにはまるとは糞まみれと同義語だった。

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2010年 3月   
08 March, 2010  夜叉五倍子
  長浜市 茶臼山古墳から南へ 。この南に流れる用水に夜叉五倍子が残っている。どうも長浜市は、風景として残して保全しているようだ。民度が判る。こちらに移住した頃から夜叉五倍子が稲木に利用されている風景を探したが近くではこの辺りだけだ。用水に沿って残しているのは、圃場整備などで田んぼには残せなかったんだろう。


  その夜叉五倍子にカワウが巣を作っていた。湖北に多く棲むカワウも糞公害とかで嫌われ者だ、でも棲んでいるといないで趣が変わると思うのは私だけではないだろう。

  私の住む旧山東(現米原市)では、このような風景が次々に消えていく。寂しい限りだ。

  昨日、家の雑木林にキツツキがきていた、それもやがてこなくなるだろう。雑木林を切り裂いて小学校の正門前にぶつかる市道が4月には開通する。地元住民の熱意と要望でできたそうだが、私を巻きこまないでほしい。

  かつては、ホーホーとミミズクが鳴いていた雑木林だったのに。

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