園長の野良日記  2010年 2月

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      2010年1月〜     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します
      2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災
      2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
      2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
      2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。
 
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  まいった。2009年10月が、10月が文字化けしてしまった。
ページ制作中に、構文エラーを起こしアスキーコードがずれたようだ。ヌル、スペース:空白を全角・半角混在させるときに起き易い。復旧まで今しばらくお時間を。
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2010年2月28日(日)
つくし、わらび、ほおづき、津波、、、
  一足早くハウスの中は春。熱心に芽が出ないか見ている野菜から、少し目線をづらすと、隣で春が芽を出している。うれしい、雪、雪、雪と騒いでいたのが嘘のようだ。

←ワラビ:ハウスの中にワラビ、つくしもそうだが、めくじらたててて引き抜いてこなかった。その結果、ほうづきも毎年、芽が出る。そのまま邪魔にならなかったらおいてある。



  かくして、ハウスの中で山野草が育つ。
                        つくし→





  そして、昨年、ポットで遅くに芽をだしたアスパラがハウスの中で打ち捨てられ、野生化した。隣の棒はうっかりこの細いアスパラを踏んでしまわないためのボデイガード。

←アスパラ

  なにもかも予定通り、予測通り、計算通り起こらないと気が済まなくなったようだ。津波警報、大津波警報が出されて、来るのか、来ないのか、どれくらいなのか、TVは終日監視していた。
  1mの高さの海水が押し寄せてきて、港湾を洗った。周辺の道路に冠水があった。人の力が及ばないところに自然があると思うし、温暖化の枕詞をつけて何もかも語れば、人の力でなんとかなるだろうと国民総目線が気象庁に向かうだろう。そのうち、警報をださなければ津波は来ない!という人が出てくるのだろう。
  オリンピックでほんの少しの技量の差を競い、私から見ると飛んでもない超人のなせる技が天空を舞っているようなフィギア、エキスビジョンあたりでほっとして見ていられる差、をさも厖大な差であるかのように騒ぎ立てる。やはりかの技は温暖化のなせる所業なのか。
  ほうづきはほうづき、わらびはわらび、つくしはつくし、アスパラはアスパラ、それぞれ時をえて芽をだした。ハウスの中が自然か、温暖化か。前者のねじ曲がり。
↑ほうづき



  カラスビシャクは今年も出てくるだろうか、この子は5月
2010年2月27日(土)
アリさんマークの引っ越しセンターではない
  ハウスの中のミズナ、花芽が上がっている。ここにもテントウムシがいた。季節なのだ。引っ越しの季節なのか、この子はどこからきたのだろうか。とにかくいる。暖かくなったというのは、こういうことをさすのだろう。

  おなじくハウスに出たツクシ。ハウスの中も草を引かない。


2010年2月26日(金)
そして引っ越し
  ハヤトウリは毎日、伸びていく。アブラムシはいなくなった。カウンターに死がいが落ちている。

  テントウムシはいなくなった。アブラムシを探しに出かけたのだろうか、引っ越しのようだ。


  ところで、こんなメールが届いた。やるやんけ息子。


  caffe Micio http://caffemicio.jimdo.com/brog/
  ホームページをたてたそうだ。ハイチをよろしくとのメッセージ付きだ。
2010年2月24日(水)
ぎょうさん食ったろやないか、、、
  昨日、台所に転がっているハヤトウリに早くもアブラムシがとりついて大騒ぎになった。その大騒ぎのまま明けた今朝、騒ぎは一段と大きくなった。

  「こんなところまで、テントウムシさんが来てる!!あんたはえらい!!」えらいのはアブラムシなんだろうか、テントウムシさんなんだろうか。



  そう、アブラムシの天敵、テントウムシさん、そう敬語付、が仕事しに来ていた。テントウムシも小さいがアブラムシは更に小さい。

  改めて、「テントウムシさんは働き者」

  働き者のテントウムシを呼び込むにはアブラムシが要る。アブラムシがいないとテントウムシは現れない。働き者のテントウムシは空腹を抱えてアブラムシのやってくるのを待ち受けない。


  これで、アブラムシがいればテントウムシが現れることが判ったので、あとは、野菜にアブラムシをつければ、テントウムシはやってくる。のが判った。
2010年2月23日(火)
ぎょうさんこうたろうがでまわってるらしい
  ハヤトウリについたアブラムシ。ハヤトアブラムシと命名した。浦野動物病院ネタが続く。

  大阪府の話、ぎょうさんこうたろうなる商品券が出回ってるらしい。商品券や金券は貨幣ではない。貨幣ではないので、銀行で両替できない。両替は両替商でないとできない。そのでんで、マクドの株主優待券が偽物だったりすると、???判らん。

  一緒に写っている犬が「わしゃ知らん」てな顔してた。人が作って、その作ったもので騒いでいる。作った人がいれば、つくる人や、偽る人もいる。こういうのを空騒ぎとも言う。
  わしゃ知らん、騒ぐ人に聞いてくれ態度がすこぶる健康でよろしい。

  浦野さんもわしゃ知らんといってるようだ。差し迫る課題は、種まきがはじまるので、その先今年も「アブラムシ、アブラムシ」と騒ぐ連れ合いに、わしゃ知らんと言えない私の態度は如何にせん。

  それで先手必勝、アブラムシ退治の名案を探すが見つからん。かよわい生き物アブラムシはその細い口で若い芽ばかりに吸いつく。固くなった皮に口が刺さらんのがその因なんだが、なんせ数が多いものだからアブラムシを媒介してウイルス感染する前にハヤトウリが弱ってしまう。

  困った話、もう目前に迫った話、困った困った。なに、ハヤトアブラ備忘録変わりにUPした。
2010年2月22日(月)
よく判らん、

  よくわからんので、とりあえず載せた。瓜金上羽ウリキンウワバの成虫。普通は成虫がいて、そいつの幼虫はどいつや、なんてことになるのかもしれない。しかし、畑の害虫となると大概が幼虫芋虫毛虫を見て「シュッしちゃいましょ」なので、成虫を後から発見する。
  こ奴もハウスの中で早くも羽化したようだ。ポカポカ陽気はまだハウスの中だけ、従ってこの子も世間の風が冷たいのを知って、果たして生きていけるだろうか。
  この子がウリキンウワバガなのかどうかも判らない、ヤガの仲間ではあろう。

  あろうけどとりあえず載せた。実は最近、トリミングという技を覚えたので、ドアップが可能になった。その反面、撮る時にピシャッと構図を考えなくなった、甘くなった。

  このようなことは過去にも起きた。このように文章を書くとき、簡単に訂正できるものだから、打ち間違い、書き間違えにルーズになった。
  なったままもう数十年経つ。それで、打ち終えて誤植を直そうと思わないのだ。シビアになる時は、プリントアウトして確かめる。写植屋さんに原稿を預けて、ゲラが上がって校正に入る。そんな風な気分が残っている。

  ただ、当時は、「メモ書きをよこすな!!、原稿にしてから持って来い。」と言われ続けてもいた。
  締め切りが書き始めで、ゲラ刷り校正が推考で、責任校正を預ける時が推敲だったようだ。ページレイアウトができる時に脱稿していた。ようだ、ごめんね。



  いつ写したか判らなくなって、フォルダに眠っている写真が多い。それで、UP出来なくなった写真が多い。こうしてとりあえずの掲載でそれも少しは減るだろう。

  浦野動物病院のブログを読みながら、そんなことを思い出した。。
                        浦野動物病院・なにわホネホネ団毎日の院長ブログ
                    http://urano.web.infoseek.co.jp/→http://blog4.fc2.com/urano/


虫たちの生活誌 in おはら野 ←畑で見かけた虫たち
2010年2月21日(日)
春はピクニシャン、
  近所の蝋梅がまた一輪咲いた。お出かけ、御出掛、ル〜ンルン。

  そこかしこに春はあるんだけど、高感度で行こう!でないとまだまだ見つからない。マクロ+望遠を欲張ったらこんな写真になった。遠景の伊吹山がぼやけている。まあいいではないか、春なんだし。
2010年2月20日(土)
昨日は、雨水、
  昨日は雨水。また、これから啓蟄までの間をさす。ぐづぐづと春が近づいているのが実感できる。昨日は晴れ間を使って、ワケギにヌカを被せた。
おとといからの続きだった。判らん親父の農業用語:ヌカ。この場合、米ぬかではない。漬け物をつけるヌカ床は米ぬかだが、ヌカを被せた、ヌカを焼いたと使われるとモミガラをさす。まあ、親父は適当なのだ。気にするな。この程度で人生は過ぎていくものだ。こだわるな、ええ加減なもんだ。
  さて、一足先だ、啓蟄。ケロッグがポコンと顔を出す日、今年は3月6日に決まった。アバウトなのだ。エイと暦学者が決める。
  みぞれと雪と、、、春がたわわに実る3月6日まで、春よ来い、早くこい、なごり雪が降って、春一番が吹いて、つくしの子が芽をだす、春はピクニシャンが群れる季節。
2010年2月18日(木)
ぐづぐづと春が近づく
  長浜のジャスコの駐車場、ヤシャブシの花。左のポッと可愛く赤い雌花、だら〜んとだらしなく雄花。虫も飛ばない寒風と雪の中で、花を咲かせる。不思議、後ろでボケているのが実。先代の実と、花が同世代するヤシャブシ、倒木や道路開設など急に明るくなった地に生える。すぐに根を広げるので、田畑の川沿いなど、畔を固めるのに植えられた。この辺りでは、国道365号から分かれた馬車道、茶うす山古墳の近くの水路沿いにわずかに残る。

  この花が花粉症の原因だとして、せっかく植えた神戸六甲の群落が伐採の憂き目にあった。人の都合で植えられ、人の都合で切られる。それほど人の近くにいたともいえるが、自然とは身近なところで愛でるもんだとおもうけど、自然を求めて自然を作った里山保全地帯をウオークする時代だから仕方ないか。

  そうそう、このジャスコのヤシャブシは、ジャスコオープンの時、ジャスコが「みんなで駐車場の植栽しませんか」で植えられたもの。私たちも出かけて、ウ〜ンどこを植えたか記憶にないが、植えました。そうしてみると、あっという間のことだったんだ。愛でたし目出度し、芽も出たし。


     おはら野の四季おはら野の草花ヤシャブシ
2010年2月17日(水)
おお〜、やだやだ、朝からこれだ
  夕べから冷え込むやないかと、ストーブの番をしていた。冬は丹前を着て寝ていたよなあ、、

  雪景色になった。チラチラと舞っている。何度目の雪か、積もりはせんでも、寒いよなあ。

   嘆きのハウス。1999年の冬、大雪となった。ハウスの雪かきをせねばと、偵察に行って、昼飯にした。昼寝も済ませてどれどれと。崩壊しておりました。
  写真はその後、雪が随分と融けた頃に、、、。崩壊したハウスは観たくないもので周りが、こうしておけばああしておけばと要らぬ助言をしてくれるものだ。

  その時思った。結果にあれこれ言われても腹が立つだけだと。
  あれから10年、同じ座敷からの風景だが、随分と様変わりしている。クヌギは倒して土の中。保冷車の組み付けをしていたアルナ工場は住宅地に変わった。雪にめげながらも、ハウスは債権されている。左端に、細くて見えない百匁柿がそこそこの大きさに育っている。


債権だって、借金で建てたからまあそのとおりだが、昨年無事に返済が終わった。細生活再建委員会の監視の元、チャクチャクのチャ位は進行している。


スキャナーで読みこんで貼り付けようとも思うが、
銀カメプリントをデジカメして針付けた。→
2010年2月16日(火)
こうゆうカブラが旨い
  道を走る車がジュルジュルと音を立てている、隙間風が冷たい。夜から雪だというから、みぞれでもふっているんだろう。

  こうゆうカブラが旨い。雪が融けて顔をだしたカブラ、葉が傷んでいる、白いカブラの所々が霜焼けで赤く溶けている。だから、かぶらは体液を濃くして防衛に入っている。甘くなっているんだ、旨い。
  天王寺カブ、昨年いただいた種を播いておいた、数株だが、早生大カブと味比べかな、10センチくらいになって、大カブより小ぶり、20センチくらいのカブをぺろりと平らげるので天王寺カブでは上品な食い方になってしまう。よってどちらも◎、食い意地の差だから当人(カブ)のほうに責任はない。

  近頃、長浜のジャスコに出かけることが多くなった。二人と猫♀1匹の人口密度に抗して、せめて人の顔なっとみる機会を増やさねば、猫語ばかりの会話になってしまうではないか。3人?3匹?がニャンニャン言って一日がくれるのでは少しばかりさびしい。

  それで、ジャスコだ。ジャスコであいましょう、ジャスコでねと、そのジャスコは結構な人で賑わっている。平日だから多くはないのかもしれないが、私たち2人プラス猫♀1匹とは比較しようもなく多い。そう、お買い物プランは人気(ひとけ)に当たること、何を買うかの問題ではない。なんと世間から定年熟年のブラリ散歩といわれようと、人語を忘れぬための努力だと。
2010年2月15日(月)
朝からブルー、かかっ確定申告だと申す、おっしゃる
  これは昨年の夏、クロモの花。→おはら野の草花

  OLIVIA NEWTON-JOHN / COME ON OVER 懐かしいなあ、あなた。

  モードは確定申告。朝から、熱い胸騒ぎ、渚にシンドBAT。朝の雨で目覚めて、今日は確定申告するとおっしゃる。確定申告するって、あなた。税務署へ確定申告書を届けるために、記入用紙に微にいり細にいり、書き込んで、何故にビクつくのか胸騒ぎ、デンデンどうだい、と胸張って持っていきゃいいもんを。

  このLP、76年作だ、古いなあ。水の中の妖精も、一緒に齢を重ねているはずだから、いいお年であろう。

  騒ぎの1  農業ポリマルチの廃棄費用はどこだ!!→定期的に廃棄するわけでもなかろう、廃棄を生業にするなら、産廃業だ、雑費でよかろう。雑事だ。
  騒ぎの2  今年限りの稲刈り・乾燥、モミすり調整を人に頼んだ。さて科目は。作業委託料、エイと新たに申告科目に加えたれ、弥生もソリマチもやってる。みんなで通れば怖くない。
  騒ぎの3  騒ぐのはあんただけだから、試算表ができるまで、待機せよ。

  熱い騒ぎのから騒ぎ、JOLENE JOLENE、JOLENE JOLENE、
                 I'm begging of you  お願いだから、、
 NINKI-MONO DE IKO  JAPANEGGAE よどみ萎え、枯れて舞え MISS BRAND-NEW DAY '84
  8年の歳月を経て、続く。それから25年かよ、歳とってしわが増えたわけだ。

  「確定申告」ごときでしわを増やす訳にゃいかん。外は雨、気分を紛らわす窓につたう滴、滴。


  待機中、待機中、期待中、期待中、音楽にまみれて待機中。

  しかし、連れ合いの努力の結果、試算表ができた。な〜にやってんだか、毎年、毎年、ま〜いとし、悲しき赤い数字が並ぶのか、振り返ってかたぶく愛、騒動はこれから試算表に対峙してはじまる。毎度のことだが、確定申告はかくも人騒がせ。
2010年2月14日(日)
水を飲みにきたカマドウマ
  暗闇に生きるカマドウマ、と言われている。人に近い所に住んでいる。長い触角、長い足、別に害をなすことはないが、雪隠とか縁の下とかカマドの裏とか、人から見て薄暗い方向にあるので陰気な気がするのかもしれない。

  しかし、朝方に見かけたカマドウマは私が用意していた水飲み場に現れて、水を飲んでいた。可愛いのである。薄暗かったので、照明を当てて撮影をと思っているうちに動き出した。足を折り曲げて水を飲むカマドウマのショットを逃した。それで、フラッシュを焚いてママヨと写した。暗闇に浮かぶ猫♀の目から逃げて、薄明るくなった猫♀がまどるむ未明の寸時に水を飲みにきたのに、迷惑なこっちゃと言ったとか、云わぬとか。

  猫♀とのひと時の会話があったか無かったか、猫♀は物云わないので、飯くれ以外は、、知る由もない。が、私には迷惑や、と振り返りつつ暗闇に消えた。

  春節、バレンタインデイ、日曜と重なった2月14日はこうしてはじまった。
2010年2月13日(土)
昔、初めての海外旅行
  昔、初めての海外旅行は「アメリカ西海岸の旅、8日間」だった。建国200年を祝う1976年の夏だった。まだ成田は開港しておらず、当然だ、異議なし。
羽田からロス、その頃流行り出した飛行機とホテルだけのパッケージだった。英語がからっきしダメな二人の道中だった。それでもなんとかなると思うほど若かった。

  そこで見たのは、ファーマーズマーケット、フィシャーマンズワーフ、郊外に点在するミュージアム(日本に入ってテーマパークと呼ばれた)、走っても走ってもだだっぴろい道は遠かった。空からみる農場はでかかった。今の直売所なんて、けっ30年おそいは。

  それでこう思った。ロスでアイデアをだし、ニューヨークで金を調達し、ワシントンDCでロビー活動をやり、アジアで部品を集め、シカゴで組み立てる。そして全米にコンボイを組んだトラックが小売店に向かって走る、クソ田舎町まで。このロジステック(当時、スーパーのマーチャンダイジングと呼ばれた)のスケールの大きさに圧倒された。
  デズニーランドは楽しかった。アメリカ全土がワンダーランド、無邪気な市民が世界から吸い上げた商品を消費して、金持ちクラブの金集めに貢献する国、アメリカ。金に国籍は無い。遅れて参入したロシア・中国・インドはその分賢くなって中東油の二の舞は避けようとしているが、さて上手くいきますか。

  ロスのダウンタウンから1時間もフリーウエイを走ったらそこは田舎、延々と田舎。ラジオ局とカントリー、ロックンロールの似合うだっだぴろい道しかないんだから。総務省はラジオの果たす役割とかをみなおすんだそうだが、市民バンドを解放して地域局の免許を取りやすくすればいいのに、小出し免許改善運動しかできないだろう。

  南の飲み屋でアイデアを練り、八尾・東大阪の町工場をたぶらかし、本町の現金問屋に持ち込んで、現金にするスケールとはちと違った。あなた、「おーい、はよ持ってこんか、客があくびして待ってるわ」で、昼には届く大阪の町。大阪へ出てきてから、もう何年?、そんな生活から離れて15年。ちっとは考えるようになった。商売、必要なのは根性、ちゃうか、ちゃうちゃう、ちゃう、ちゃうゆてんやろ、アホ。と悪ふざけがおもろかった。そんな生活から離れて15年。

  ジョーシンはバッタ屋だった。「日本橋行ったら、オマエ、安う売っとるやないけ、かなんなあ、オマエか、卸したのは。だまっとってやるから、うちにもおろさんかい」、「おう、ええで、10台買い取、バッタ屋流しっこなし」、「なんええ、押し込みかい」そんな昔が懐かしい。川口無線は、オーディオルームを備えたオーディオ専門店の模範だった、こっちは今でも専門店だ、敷居が高くて入りずらいが。「まあ、ええか、客が買うゆうたら値合わせるんやど、」、、、「かなんなあ、まあ、売って、売れたら聞くはその話」、、、「アホ、」
2010年2月12日(金)
春を探しに、ふきのとう春節、テト攻勢1968年1月30日、サイゴン陥落、1975年4月30日。昨日は2月11日紀元節、建国記念日。
  雪が融けた、おはら野の春はもうすぐ。
葉はロゼッタ、でもタンポポが咲いている。10分間、みてなさい。


  市民主義者たちが、貧困を排除しようとしている。市民になるのか、敗者貧困になるのか。そのような選択を迫っている。派遣村に入るのは踏み絵か。市民主義者たちが貧困を生みだし、締め出しにかかっている。金持ちクラブが踊るダボスに市民主義者が一緒に浮かれて狂騒曲を弾いている。
l
2010年2月10日(水)
今夜はピジン語
  思い出したように出てくる。懐かしいカートリッジ、スタントンのA600。太くて短いカンチレバー、申訳のように付いたチップ、当時1万円ほどだったと思う。すり減る前に壊しては針を買っていた。これで聴いていたのは、サンタナ、テン・イヤーズ・アフター、ライトニン・ホプキンズ、浅川マキ、ジミ・ヘン、同じレコードを繰り返し繰り返し、よほど気前が良かったかして今手元にほとんど無い。
  傷だらけのレコードとちびたカートリッジが残っている。これをマウントするシェルが無くて出番が無い。ウオークマンが登場して、カセットデッキの売り上げが加速して、アルカリ電池が飛ぶように売れ、やがてレコードが売れなくなった。レコードが文化だと申したバカたれ共だったがCDが文化だとは言えなくなっていた頃、私もすっかり若者からバカ者になりきれずに、前線から身を引いた。以来、スタントンは眠っている。

  今夜はピジン語。だった筈だ。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
  ピジン言語(ピジンげんご、Pidgin languageまたは単にPidgin)とは、現地人と貿易商人などの外国語を話す人々との間で異言語間の意思疎通のために自然に作られた混成語(言語学的に言えば接触言語)。

  英語と現地の言語が混合した言語を「ピジン英語」といい、英語の“business”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている。英語で単に“pidgin”といった場合、文脈によっては「ピジン英語」(Pidgin English)をさす場合がある。

ピジン言語のクレオール化
  ピジン言語が地元に根付き、母語として話されるようになった言語をクレオール言語という。旧植民地の地域で現地に確立された言語がない場所に多く存在する。親の世代が第二言語として話していたピジン言語が、母語として獲得されてクレオール言語として定着する過程をクレオール化と呼ぶ。
  言語名に「ピジン」とあってもクレオール言語として定着しつつある言語(下記のメラネシアの例参照)も多く、ある程度定着してまとまった数の母語話者がいる場合は、「ピジン言語」ではなく「クレオール言語」に分類される事が多いが、両者の間にはっきりとした分類があるわけではない。一括してピジン・クレオール諸語といった表現も存在する


  アメリカ人の無邪気さ
は、ハイチから子供たちを誘拐しても、アメリカ人の善意は世界中に普遍的に通用すると思う、おせっかいの上に成立しているから、アフガンにおけるアメリカの邪気に気づかないのだろう。クレオール文化、ピジン語のクレオール化は「悲しき熱帯」や、「白い仮面、黒い皮膚」、「革命の中の革命」を覆い隠し、欧米モノカルチャーが一見世界をリードしているかに見せるが、それは「生物の多様性」などと傲慢の極みをほざく人類のおごりでもある。
  そこにあるものみな神を宿る。知りつくさねば気が済まない欧米文化といい加減決別したいものだ。
  生言葉が久しぶりに出た、心地よい時間でした。ピジン語がクレオール化して日本語になったから、カタカナ英語がおかしな日本語になるのも、正しい日本語になる前の一時的な姿なんだろう。
  あとへあとへ意味が増えていく日本語のおしゃべりは、すぐにだれの言葉か判らなくなるのは至極自然のことなんだろう。
旧植民地の地域で現地に確立された言語がない場所に多く存在する    とある。

  若干の注釈をする。  言い添えれば、決定的に優位な言語がなく多様な言語がある地域で、新たな言語はそれゆえに受け入れやすく、また宗主国が支配すれば、宗主国の言語を中心にピジン化が起きる。

  ハイチはフランス語を母体にピジン化が起きた訳で、植民地支配の行きとどいた都市部での現象。地震の後、いまだに食料が無いという。しごくあたりまえだろう。今までも無く、わずかな現金収入で食料を買い、配給で暮らしてきた人々から現金を奪い、配給を途絶えさせたらどうなるのか、火をみるよりあきらか。
 
 今までの支配秩序が崩壊した訳で、彼らが食料を含め自立した営みができるようにしてこなかった結果だ。隣のキューバの食料供給体制を先進国は見習うべきだろう、住民のせいにしてはいけない。
  ハイチ政府は誘拐事件でかろうじてメンツを保ったが、支配国依存の政府になにができようか。

2010年2月9日(火)
種を買いに行く、今年の種まきもまじか
  雪も融けて、畑に土が見えだした。じっとしていられなくて種を買いにでかけた。私はいつだって、今までからそうであるようにじっとしているのが好きだ。それは我慢することではなく自然体だ。

  それで、連れ合いに連れられて種を買いに出かけた。台所に転がっているハヤトウリも写真のように芽を伸ばしているし、ハウスのムスカリも花芽をあげた。春なんだな、やがて。

  今年は、苗売りをしない。断固しない、断固しない心算だ、徹底的にしない、かもしれない。この世に断定できることは少ない、そんな中で、断固しないのは野菜苗売りだけだ。
  それで、苗の種まきを半月は遅くできる。数も少なくて、少数精鋭のよりすぐり苗を植えそだてるのだ。

  おうおう、決意表明はええから、とっとと風呂へ行け。

  そうだった、風呂の用意をしていたのだ。
2010年2月8日(月)
10分間、見てなさい
  10分間、みてなさい。

  と、連れ合いが言う。ゴリラさんの気持ちが判る?イライラしててもしょうがないでしょ。

  う〜ん、う〜ん、ゴリラさんとお話してたほうがまだ話が判りそうだ。可愛いでしょ。

  もつれた糸が、こんがらがってきた。う〜ん、う〜ん

  10分間、みてなさい。


      脱帽
2010年2月7日(日)
さて、冬か春か奇妙な同居
  雪と春の日差しが同居している。

  三島池の鴨  雪で枝討ち果てた南天  パンジー  ツノナス  乾燥ミニトマト
2010年2月6日(土)
きのう作ったコンニャクを食す
  きのう作ったのは味噌だけではなかった。コンニャクも作っていたんだ。

  思う存分、刺身コンニャク。うまいぞう、旨い。外は雪だ、昨夜から降り続いて今、24センチ。まだ降るか、もうやむか、、、、。

   続きは→農園作業日誌味噌・コンニャク作り     おすまし猫♀

  コンニャクが嫌いな人もいるだろう、私は好きだ。それも刺身で安心して食える。食えるだけではない、旨いのだ。
  別に、添加物が入っているから、新鮮でないからが、市販のコンニャクをあまり食べないのではない。
  旨いまずいの判定力があるわけでもない。買ってまで、買って食わせてくれ、というほどには固執しないだけだ、
2010年2月5日(金)
おお寒、味噌仕込み
  おおさむ、昨日が立春だったと思えない、外は雪。

  きょうは味噌、手前味噌を仕込んだ。にゅるにゅるとミンチ、大豆。教えてもらいながら味噌。

  盆過ぎにはおいしい手前味噌を食するのだ。また一歩、自給自足の暮らしに近づいた。


  こよい、17センチ、今夜も雪、あしたも雪、そして雪。シンシン、シ〜ン、人口密度二人プラス猫♀一匹の夜が更ける。
2010年2月4日(木)
立春、雪。20センチ
  立春の味噌だる。味噌作りの出番を待っている。

  おお寒い、寒絞めの味噌でも仕込むのだろうかこの雪は、なんだ。

  昨夜、鬼は外、福は内、雪はいらんとかああいい声で連れ合いが豆まきをしたのはゆうべのことではなかったのか。それとも播きようがたらなんだか。
  いづれにせよ20センチの雪は雪。今宵にかけて湖北山間部では30センチの降雪をみるでしょうと、おせっかい気象台が畏まって申す。
2010年2月3日(水)
節分、季を分ける日。そして今年の立春は2月4日
  節分、季を分ける日。そして今年の立春は2月4日。

  きのう鴨の里、盆梅展・蘭展に出かけた。毎年の行事、ことしは1月10日から3月10日まで。長浜の盆梅が有名だ、その有名な盆梅を育てている愛好家が滋賀・湖北地方に多い。彼らが地元の地元で開催しているのがこのような盆梅展。

  この盆梅、いつ頃がみごろですか?  期間中いつでもみごろなんです。大切に育てた梅、とくにことしは雪の中で花を咲かせた。それで早く咲く梅、遅い梅、何度も愛好家が入れ替えていくのです。
  2月初めまでは固いつぼみからようやく一輪、2月に入ってふくらんだつぼみから花開いた小枝。こんどの連休は、いろんな梅を愛でれるでしょう。


  続きは→おはら野の四季→冬、 池も凍てつく 鴨の里、盆梅展・蘭展

  長浜の盆梅サイト:http://www.nagahamashi.org/bonbai/






  猫♀だって年の数だけ。
  小袋やと、歳の数だけ食べられへんわと、連れ合いがゆう。

  鬼は外、福は内、くぁいい声で雪を睨みつけて豆まきの儀おしまい。
2010年2月1日(月)
二月
  二月になった。

  そして雪、あすも雪。雪で年が明けたように、二月も雪かよ。

  206ccの周りの雪が融けたとおもったら、また雪か。