園長の野良日記  2010年 1月

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  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。
虫たちの生活誌 in おはら野 ←畑で見かけた虫たち  栽培(野菜別・米)traceability ←作っている野菜の記録です

      2010年1月〜     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します     2010年1月16日
      2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災 (別ウインドウ)
      2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
      2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
      2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

     

2010年 1月 1月16日  2月 3月 4月 当月     2010年1月10日 伊吹山、山頂の世界記録
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まいった。2009年10月が、10月が文字化けしてしまった。
ページ制作中に、構文エラーを起こしアスキーコードがずれたようだ。ヌル、スペース:空白を全角・半角混在させるときに起き易い。復旧まで今しばらくお時間を。

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2010年1月31日(日)
融資き是空
  こんなもんだ、有識者、有識是空。バカIMEがよ、、、。この程度なんだよ有識者なんて方は。かつては専門バカと呼ばれ、私なんかはバカ専門と尊敬しておった。

  有識者を集めてバカ専門会議をウイーンのワルツにのせても小田原評定にもなりわせんわな、産学官合作。

  それで、うちの猫♀は朝からどこぞへ出かけたと思っていたら、ホップ入り枕をベットに昼寝だった。あ〜それほど暖かいんだな、明日からまた雪かという日に、心の中を見せてやりたい。もとえ見てみたい、猫属の深層心理を。

  と写真があっても無くても、変わらんやんけ、、ぶつぶつ。明日から2月、節分の用意をしなければ。
2010年1月30日(土)
最近、自覚したこと
  写真が入らないと、横にセットされる文字数が多くていけない。(30文字)
長いと読みづらい。もともとややこしい話が多い私の話を横に読み飛ばしていただくには、長いのは困りものだ。
  と横長文字にしてみた。

  そんな話を自覚したのではない。写真がないと文が湧いてこない。
  つまり、視覚がないと、言葉が出てこない。もう一つ、試験に
私は弱い。暗記ができない。暗記、記憶力は詰め込む力ではなく
引き出す、思い出す力を言う。
  それで、気づいた。子供の頃、本を読む習慣が付いた頃、
宿題というやつが増えてきた。これがなかなかとりかかれない。

  それで気づいた。
  私は本を読むのも、宿題をするのも、試験勉強するのも、寝
転んでやってきた。もちろん絵画も布団の中でやっていた。
すると、寝転ばないと思い出せないのである。夢の続きは夢の中で
という話になる。「宿題やってきたか?!!」と、窓辺でまどろむ私に言われても
昼寝の続きは布団の中。
  本は寝転んで読む。写真も絵画も横になっている。これでは現実世界が時計回りか、
反時計か、回転しなくてはいけない。どうして記憶を呼び戻せよう。地玉
にへばり付いて世界を認識していたのだ。現実世界は90度違って見えて
当たり前だった。

  これでは、まるで縦書きを横書きで読んでいたやつが、それは
違うでと、言われて「それって現実が?文字セットが横に長すぎるからか?」

  ウ〜ン、今宵も寝る時間になった。横がきパソコンがあれば、布団の中でキーエントリー押せるのに。
2010年1月29日(金)
さんしゅの実

  こんな話で日記を書いたとは言わさん。

  と言わずに、まあ聞いて欲しい。ハウスの中にさんしゅの実が散らばっている。年の暮れは、まだ赤い果肉をつけていたが、すっかりお掃除されたようだ。

  雪が積もって、小屋の中の古代米が食われてしまったり、軒下の赤い実がくわれたり、スズメさんが餌を求めて人の近くに寄ってくる。それで、ハウスのビニールの隙間から危険をおかして入ってくる。さんしゅの実を糞と一緒に置き土産にしていく。
  まあそういうわけだ。こんな話がネタになるほど、種はどこへでも飛び散って、今年はハウスの中にさんしゅが芽を出すというもんだ。

  どうだ、種も場所によってはネタになるって話は、どうだ。それもこれもボチボチ春の準備のためにハウスのかたずけがてら、草むしりをしている。自主トレを始めたってわけだ。キャンプ地に集合してなにが自主トレだ。プロなら独りでトレーニングせよ。連れ合いが横にいないとなにもしない私だが、そう言いたい。

2010年1月26日(火)
サークルゲーム、バフイ・セントメリー

  彼女の声はコロラトウラというそうだ:超高音のコロラトウラ・ソプラノ(咽喉で転がす発声)
  この声をずっと、不思議な発声だなあ、プレーヤーの調子がおかしくなったのか、などと思っていたが、横で聴いていたつれあいが、
  「コロラトウラやわ」と言う。なんじゃそれ、それでこの歳でまた一つ賢くなった。

  THE STRAWBERRY STATEMENT
イチゴ白書、私のテーマソングのひとつ。このレコードと本と映画を聴いたり、読んだり、観たりすると、神田町界隈で「イチゴ白書をもう一度」とは言えない。深い深い、海の底でうごめき、遠い遠い世界の彼方でざわめく声が聞こえますか、、、、、。
  EPはサウンドトラックLPとはまた違う、隣の彼女が気になる、、気分。連れ合いのことだが、まあいきさつとか、ほれ馴れ初めとか、、、、、、。まあそんなもんだ。

  今日ばかりは上田正樹くんも有山淳司くんも、北新地でビール飲んでる場合ちゃうで、、、、。

2010年1月25日(月)
、オーシャンズ
  ペプシにポップコーン、アメリカンスタイルで映画を観ました、オーシャンズ。画面が大きいのは迫力あってよろしい。音も変に揺れなかったし、上機嫌だ。DVDで、家の小さな画面で観るよりよろしい。

  平原綾香のガチョウが首を絞められて絞り出す声が嫌いな人は、エンデングで耳をフタッしましょう。宮沢りえが好きな人は、彼女のナビが悪いんでなくて脚本のせいにしましょう。

  そんなんで、観る前にカシャッツしたのは正解だった。持ち帰ってカメラに向かう元気は湧かない。
2010年1月23日(土)
エッジのきいた伊吹山はいかが
  昨日の伊吹山。エッジがきいてくっきり。だいぶ雪が融けた。
  雪がとけて川になって流れていきます、もうすぐはるですね。

  と歌うにはあと1月かかる、三寒四温というのもまだ早いか。終日、部屋に立てこもって、涙のリクエストだの、ギザギザハートの子守唄だの奏でている。

  SNG for U.S.Aなんかも聴いた。罪がなくってよろしい。

  山の左手のギザギザは大阪住友セメントが石灰岩を採掘するのに削った跡地に向かう進入路。国定公園は、ここ外してある。閉鎖された伊吹山スキー場もまた外されている。環境だの自然保護だのは、この境界をめぐる争いではなく境界内のことなんだろう。  この辺りのナチュラリストにとっては。




2010年1月22日(金)
プピルピププピルア  気まぐれヴィーナス
  あなたはどうしますか ピプルピププピルア
今年のトマトも、甘くて丸い。きまってるじゃん、おはら野ブランド
おいしいといってくれる人が、おまかせと、つくりますとも桃太郎。
お供をつれてって、、、、
去年のトマトは 青くて固かったわ
だけど如何 もう今年は赤いでしょう
味もきっと くちびるとろかす筈よ
こんな言葉 突然いわれたら
あなたはどうしますか ピプルピププピルア
私きっといいます 指はじきながら
気まぐれヴィーナスが 素肌を熱くして
この夏はおまかせなの

去年のくちづけ 酸っぱい葡萄だった
だけど如何 もう今年は甘いでしょう
ふれただけで 心がふるえる筈よ
こんな私 目の前にしてたら
あなたはどうしますか ピプルピププピルア
私好きといいます もっと刺激的に
気まぐれヴィーナスが 渚に寝そべって
この夏はおまかせなの

私好きといいます もっと刺激的に
気まぐれヴィーナスが 渚に寝そべって
この夏はおまかせなの

この夏はおまかせなの

唄/桜田淳子 ビクターオーケストラ
作詞/阿久 悠  作曲/森田公一  編曲/船山基紀

おまかせなのといわれてもあなた。プレーヤーはテクニクス、SL−MA1。T4Pカートリッジ、完全おまかせフルオートです。

2010年1月21日(木)
雨と、立ち上がる蒸気
  雪が雨で融けて湯けむりのような景色。

  30pあった雪が20pほどに減った。今夜からまたまた雪だと言ってるが、もうそうは降らないだろうと、たかをくくっている。

               昨日の伊吹山だ。


2010年1月20日(水)
雪掘り、大寒
  、、、、のように雪を掘るんです。それで、雪の下からカブラや大根や白菜が出てくる。

  暮れに雪が積もるからと、蓄えた野菜が尽きた。また明日から雨・雪と気象台は言う。掘れねば、ならねば、掘った。

  世間は三月下旬から4月並みの暖かさだという、確かに暖かい。しかし、アメダス米原は、昼過ぎに7℃だという。どこが暖かいんだと、雪が解けぬはずだわ。
  朝、34センチ、、、2時過ぎ34センチ、、、、ずっと34センチ、、、。






         ヤンマー工場前の分水
  周囲に雪、ここだけ春近し?
 姉川水系・用水アルバム→夏の我田引水
 
  ↑雪の上のセキレイ。冬毛でまるんまるん。
2010年1月19日(火)
琵琶湖の小白鳥、こんなもんさと、、、
  伊吹山がこんな風に終日霞んでいた。連れ合い曰く「暖かくて、水蒸気が漂ってるからさ」。写真映りが悪いのが難だが、春なんだか厳冬なんだか、、、。

  そんな陽気に、湖岸まで出かけた。雪が無い!!!。伊吹山のふもとだけではないか、どっさりの雪は。10Kmほど離れているだけで。この違いはなんなんよ!!!です。



  それではと、琵琶湖にプカプカ、私タバコ止めないわ、プカプカと浮かんでいるコハクチョウとカモ。

  逆立ちして、藻をついばむコハクチョウだった。約10羽がいた。20秒ほど逆立ちしては、プハーと浮き上がる。らちのあかぬ餌取りだが、これで終日過ごせば、満ち足りる生活もいいもんだと。



2010年1月16日(土)
阪神淡路大震災 1995年1月17日午前5時46分

  1月17日 朝刊・夕刊
 この日の朝、朝刊を配り終え販売店に戻る道のガレージのシャッターが風もないのに音をたて、バイクが揺れた。

  通勤前の6時までに配達を終えるように新聞は配達される。この日の朝刊を配達しながら被災した配達員も多い。

  この日から、一か月分の新聞を残していたが、毎年訪れる1月17日のメモリアルになった。
  しかし、この15年で、何度地震の被害報道がなされたか。繰り返し起きる震災の度に辛い思いが残る。

  ハイチの地震。神戸の時がそうであったように、天災と言えるのか。都市がますます機能化していく中で、その最先端にいるものはある程度その被害を軽減できる。しかし、その一方で、変わらず犠牲になるのは、都市が生み出す貧困と機能を享受できない人々ではなかろうか。

  クレオール文化のハイチの惨状をみると、ますますその思いがつのる。クレオール文化とは文化の形態ではなく欧米先進国がその支配を強める中でおきる新たな植民地支配の形態なんだろう。

  その日の朝、新聞はなにを伝えたか。当日の夕刊、被害の当事者の新聞、TV局はなにをつたえたか。


  産経新聞 大阪本社 朝刊14版・夕刊4版
   1月17日朝刊から3月6日夕刊までそろっている。





                   2月17日朝刊・夕刊 ↑

  

  1月18日 朝刊・夕刊
  ← 1995年1月17日  朝日新聞 大阪本社 朝刊13版・夕刊3版

  ←下    2月17日     ↓ 翌日 1月18日





   3月6日まで。


  この後、3月末に今の米原市に移住した。震災の結果ではない、家を建て3月に入居可能となっていたから。



デイリースポーツ1995年1月18日 大阪本社

本社家屋、印刷所までもが崩壊した神戸新聞は、京都新聞の協力を得てただちに発行した。






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2010年1月15日(金)
つらら
  今日も雪、きょうもゆき。昨日は宮中の歌会始。世間は一月全部を使って年の初めをめでるようなゆとりはない。

  でも我が家は、こたつの中でハイチを憂い、一郎君の命脈を尽きるのを見、結露で曇る窓からつららを撮る。

  そうきょうはあづきかゆ。おこないの花を入れる。巷でいう鏡開き。

  それもこれも、「あんた!ゆき!ゆきが、ゆきのばかやろう!!」???








  どこの家庭でも、あづき粥を食べているんだろうが、成人式と15日が切り離されて戸惑うこともある。
  横の漬け物ははやとうりの粕漬け。お正月に食べるには、涼しくなる11月以降に少し強めの塩で漬ける。

  写真には、湯気が収まって、餅を上にあげ、アズキをトッピング。しかし食欲に負けて、まだ湯気が立っている、愛嬌と色気もいるさ。 
  続きは冬、池も凍てつくあづき粥
2010年1月13日(水)
たてがみ
  猫は歳を重ねると化けるという。猫♀にタテガミが生えた。やがて七尾にでもなるんだろうか。初代♀は夜中にフライパンの油を、ジョリ、ジョリ、ジョリーン、ジョリーンと舐めていた。オリビア・ニュートンジョンを思い出した。
    おはら野ママ→猫♀
  そんな話は、今夜からの雪にそなえてなぜかはしゃいでしまう私を察知してのことだろうか。








  ガス検針ご苦労さまです。
  雪国は、足跡が風情



  おはら野ママ→206CC
  
2010年1月12日(火)
その根拠のない自信はなにや
  いつだったか、誰だったか?言われたのが残っている。昨年のことだと思う。

  その根拠のない自信はなんや?

  自信を持って言い放つ言葉に根拠なんんかあるもんか。、、と思う。物事は言いきってしまわないと先には進まないとも思う。
  ああでもないこうでもないと考えあぐねている事柄を、人に向かっては、言いきってしまわないと、あでもないこうでもないがパンデミックしてしまうではないか。

  ああでもないこうでもないと考えると、ああでもありいのこうでもありいのどうでもありいの、行きつく答えの豊富さに圧倒されないためには、なんにもせんかったらどうなるかを考える。

  なんにもせんかったら。ハウスが潰れる。雪かきをしたらハウスは潰れないか?それは明日からの雪の量によるだろう。

  なんにもせんかったら、雪かきをしたら、ハウスが潰れるってこともありうるわけだ。なんにもせんかったら、雪かきをしなかったら、ハウスが潰れるってこともありうるわけだ。
  なんにもせんかったら、雪かきをしたら、ハウスが潰れないってこともありうるわけだ。なんにもせんかったら、雪かきをせんかったら、ハウスが潰れないってこともありうるわけだ。

  行為の目的性に合理性を足すのは説得のためで、説得できないのは目的合理性が相手になんの効果ももたらさないからだろう。
  なんにもせんのに、雪かきをするが加わった。してもせんでもハウスが潰れるのなら、なんにもせん、が生きる。
  してもせんでもハウスは潰れない、ならなんにもせんという選択肢は生じない。これは本当か。

  あれこれ考えている間に動かした手が、写真のパイ生地雪をなくした。。ひとえに神さんの手と、「ごちゃごちゃ考えとらんと、手え動かせ」神さんの声だった。
  天の声という人がいるが、神さんの声は地上にある。



     NHKのニュースによると、全国の測候所のほとんどを今年中に無人化
   するそうだ。山はおぼろ、ひともおぼろ、この伊吹山の無人観測所が無人に
   なったのは10数年前。

  ↑2枚の写真は、昨日の朝の風景

  縁切り:今夜からまたゆきだという。降る雪が屋根に積もり、己の重さで落ちる。さらにふる、サイドの雪と繋がる。

  そして屋根のゆきは落ちなくなる。ハウスが潰れる。
  ハウスの雪対策  おはら野農園→農作業日誌

  一晩に50pまでは、雪が繋がらない。多分、繋がらない、決して繋がらないのなら決して雪かきはしない。

  25センチまでならこの状態、雪を除けてもこの三角形は変わらない。で、屋根を滑落するゆきが、繋がるかどうか。繋がった上に、雪が降り積むと、ハウスは潰れる。私のメンツなんぞお構いなく潰れる。メンツよりハウスが潰れるほうが辛い。

  なりゆきというゆきは、パイ生地雪より重い。
2010年1月11日(月)
おこない
  小正月の神事なんだが、国民の休日の変更で、今日になる。二日間の行事だから連休でないと人が集まらないんで、それはいいんだが、気分というものがでない。でないけど気分を揚げて熱中するほどにはならない。
  お宮さんに花を供えて、神事が終わる。そのあと、集落の会議所で直会(なおらい)がある。打ち上げのような暫し神と共にあった身を世俗に戻す儀式といおうか、ようは打ち上げである。こちらには参加しなかった。「花」に寄せられた歌を詠むという歌会始めでもある。

  飛騨や北陸、東北にもっとディープな神事があるので民俗学も人類学も通り一遍のフィールドワークに終わっている。近江湖北の有史以来の壮大さを描き出す人が現れるまで、湖北の文化は細切れのままだろう。
  そのしわ寄せは、都市の文化のその時々の思惑に振り回されて、あいも変わらぬ、断片しか地方には回ってこない悲哀を昔の習いのように受け入れるしかないのかもしれない。


    花に短冊、歌心のある人が詠んでいる。


  このように、祭事の準備をする人は年周りで、宿と呼ぶ。

  昔のままに厳格に行う集落では、この宿にあたった家は一年間、神事のための精進をする。
 おはら野の四季→
      冬、池も凍てつくおこない
2010年1月10日(日)
伊吹山、山頂の世界記録


↑ 10 January, 2010 伊吹山 山頂
  この伊吹山の山頂に、積雪世界一の記録がある。

伊吹山頂では、1927(昭和2)年2月14日に、積雪が実に1,182pになった

  −ブログ名(NPO)氷河・雪氷圏環境研究舎--
から
       http://npo-glacier.at.webry.info/200607/article_1.html

  山頂の右のほう、アンテナか観測塔かが見える。この世界記録は山頂の記録で、多分に吹き溜まりとなった可能性が高い。
  ならば新幹線や名神高速の雪のために不通だのニュースに際して報じられる積雪は?、かつてはこの伊吹山のふもと事務所のあった米原市春照(すいじょう、すんじょう)での観測記録だった。今は、米原市朝日のアメダス米原の記録となる。おはら野の四季→冬、池も凍てつく


  昔、この山頂で観測していた堀田氏が昨夜亡くなった。彼は、私の住む集落、市場に住んでいた。冥福を祈る。
  観測資材や食料をかついで上がったと聞いた。







  今日は、小正月の神事「おこない」の準備だった。

  樫の木に餅をつける。花という。


 ↑20 December, 2009  米原市朝日 アメダス
2010年1月9日(土)
季節外れのスズメバチ
  真冬のスズメバチ。キイロスズメバチの巣である。去年1年、2階の軒に作っていた。今は或る字は、バカIME、主はいない。この巣を「駆除しよう」という不届き者がいる。人を害する最たる害虫に分類されている。刺された時のショックで死に至ることがあるからである。
  玄関わきの軒下に初めてスズメバチ(キイロ)が巣を作った。家の前の道が学堂の通学路でもあったので、米原市役所に出かけ、駆除すべきか相談にいった。巣の駆除は市民の判断と費用で行ってくれとの事だったので、個人の判断を尊重し、営巣が終わった翌春に採って今は玄関のオブジェになっている。
  そのキイロスズメバチが学堂に危害を加えた場合に、敷地内の巣を駆除しなかった私の責任が問われるかどうか、米原市の判断は聞いていない。聞こえてこなかった。

                                        ↓小型スズメバチの巣


  キイロスズメバチが二階の軒下、コガタスズメバチが一階の勝手口の上。暫くテラスハウス状態でシェアーしていたが、共存できなかったようで早くにコガタスズメバチは営巣を止めた。


  昨日、兵庫県豊岡でハウスの除雪中におひとり亡くなられた。私たちも雪に埋もれなやと言いながらハウスの雪かきをしていたので、なんとも言いようがなくて、スズメバチなんぞを引っ張り出して、ああだのこうだの、、、、。
  80歳?、10年前に建てたハウス?、老夫婦。わが身を振り返って、そうなんだあと。直売所が人気。老夫婦の生きがい?、孫、喜んでくれる客?。私たちもそんな風に見られているんだろうか?、年金プラスこずかいの生活?、そんな農業がもてはやされても若い者たちの生きがいにつながるんだろうか?、、、、。若者たちの生きがいと呼べる程度の職業なのか農業は?。
   ????の数が増える昨日から。
  ↑キイロスズメバチの巣


虫たちの生活誌→スズメバチ
2010年1月8日(金)
ニュー






  さて列車は?。


  人もすなる鉄道写真、パチパチ。


  快晴ならば伊吹山がバックに写ったんだ。


ケツが違って、あれっと思っていたが、間にもう一枚撮ってましたね、警報機と重なったのはちと残念だったが、編成の繋ぎ車両が写っていました。


  用があってこの踏切は通るの、たまに極まれに遮断機が降りているんだが、待つと中々だった。


  ここは撮影スポット、休日にはたくさんのデジカメ隊が並んでおられます。

  かつて東海道本線と言われた日本の大動脈がすっかりここだけ細くなって詰まりそうだ、米原〜大垣。数少なくなった特急が停車するわけもなく、日中に1時間2本の各駅停車、関西に向かうには米原乗換、岐阜に行くにも3本に1本は乗換、要らなくなった盲腸ならちょん切りもしようが、バル〜ンで膨らませて通り抜けるだけ。地デジも通わぬ南朝地帯。ベンベン。
    1月8日正午:上り、近江長岡→柏原  乙姫農道





    右から左へ、左から右へ、通り抜けるだけ。夢を見るだけ、うたかたの。ベンベン。
2010年1月7日(木)
わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつむ
  七草粥と集団下校。

  お勤め御苦労さまです、大雪警報を防災無線がノウ天気な声で告げているというのに。 風雪のなかでラウドスピーカーの音を届かせようとすると、ゆっくり明瞭に音節で区切って発語しないと、何言ってんのか判らんになるから仕方ないと言えば仕方ないけど、切迫感がないのは聞いていて判る。





  ブリザードでBSがこのありさま。地デジが届かぬ南朝地帯。北朝の恨み万年雪のごとく融けわせん。未来の地デジ難民は、雪かきへ。

    続きは冬、池も凍てつく

2010年1月6日(水)
春の七草

  きみがため はるののにいでて
     わかなつむ  わがころもでに ゆきはふりつむ


  暮れからの雪は、雪は降り積む どころではない。それならばと、三十日に摘んできておいたのだ。

  滑り込みセーフ。 続きは冬、池も凍てつく

2010年1月5日(火)
削り節のようなぼた雪が
  三島池の鴨が氷上で凍っていた。冷凍鴨?そんなわけはない。

  まだ鴨のほうが多かった。この時期、この季節、団体さんで一眼デジカメ望遠付きがずらりと並ぶ。


2010年1月4日(月)
すこし晴れ間が
  柿の木とハウスの隙間から伊吹山

  晴れるときれいな伊吹山。赤富士ではないが、条件がよければ夕日に映えて朱に染まる山肌が観れる。

  折りたたまれた雪の裾、ハウス。優雅だが、明日からの雪にはこの状態ではハウスが持たないかもしれない。


ヒヨドリか、電線にとまっていた。→

訂正:モズ♂であった。
go to→おはら野の四季→冬、池も凍てつく
 

2010年1月2日(土)
おはら野除雪号 発進
  防寒具の引き出しで冬籠りしていたゴキブリを雪上に放り投げてやったわ。次は私か、遭難するのは。

  先のハウスまでラッセル。これが大変。実はこの除雪機を本格的に出動させるのは初めて。
  ハウスまでたどり着くまで結構かかってしまった。雪上を走行しようと試みたけど、前後左右にギッタンバッタンととても不安定なのだ。仕方なく行って戻って時間のかかること。



  続きは農作業日誌


2010年1月1日(金)
お正月、大雪の朝
  みなさんに
お届けした今年の賀状。
  我が家の御雑煮
  仏壇に供えるアラカルト

  昆布巻き くりきんとん・ぼうだら里芋・
  田作り 黒豆・
  かまぼこ 柿なます だし巻きたまご
  右下に雑煮、まるもちに鰹節

  無神論者ではないが、仏教徒でもない私の家の仏壇は家主と同じ物を食べてもらうように備える
   こんな風に年が明けた。

  去年の元旦も雪だったが今年ほどではなかった。大雪の部類に入る。


  終日の雪だったので、明日はハウスの雪かきになるだろう。





 




  近くの氏神さん、岡神社へ初もうで。http://www.biwa.ne.jp/~m-nakura/
雪が降って俄然張り切ってでかけた。
  だれもいない二人きり、続きはおはら野の四季へ。(編集中)