園長の野良日記  2010年 12月

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      2010年11月     206cc的ツアー、R303、R417  紅葉を愛でに、ドライブ
      2010年9月      藤原新也の公式サイト→ 「インド放浪」以来、それなりに読んでいる藤原新也のインターネット上のURL
      2010年1月~     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します
      2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災
      2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
      2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
      2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。

  
2010年10月。本を読む、というページを作ります。  →本を読む 
2011年 1月
2010年 1月 2月 3月  4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2009年 1月 / / /         5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
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2007年 1月 2月 3月 4月 5月 /
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月     8月    10月 11月 12月

 
25 October, 2010 18:53:02  2010年8月の野良日記が表示できなくなっている。復旧まで、お時間を。
                            オリジナルソースにエラーが出て、文字化けしている。このままサーバーにアップすると、2009年10月のように文字化け表示になる。
25 October, 2010 20:50:44  結局、壊れて文字化けしたファイル「2010年8月野良日記」が表示されるようになった。かなんなあ。
01 November, 2010 11:12:22  参った、ファイル「2010年9月野良日記」も壊れた。
                          それで、2009年10月、2010年8月、9月が文字化けしている。危うく、10月も文字化けするところだった。
壊れるファイル
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2010年12月31日(金)
雪の大みそか
  去年は、日暮れてから雪が降り出し、明けて大雪だった。さてどうなりますか。ちょっと心配、ハウスに支柱がいるかなあ、外してあるので、取りつけないといけないのかなあ、思案。

  と、まあ雪だわ。「そんなもん、暖かい夏にするもんや、さぶうてどなろ」。襖の張り替えは、年越しか。破れた2枚かと思ったけど、4枚や、ホームセンターに行って、裏もやらにゃあ、8枚か。番町皿屋敷、四畳半襖裏張ほどの情緒が染み込んだ襖ではない。先代猫♀が残した爪痕を、建ててから初めての襖張り替えで消し去ろうとしている。「はよおせな、とっととおやり」の音頭がでるまで、このままじゃろ。





  今年の唯一、「やったね」黒豆。フラッシュ奴の色調じゃあ、この色。黒光りにうつさにゃあ。





  まてよ?壊れたバイオnote、ハードデスクを取り出したら、古い写真が復活するかも。デスクまで壊れていなかった筈。
2010年12月30日(木)
猫の手
  忙しいのだ。3年分の片付けをしている。溜まる書類を整理するのに、切りがない。スーパーからミカン・リンゴの箱をせしめてきた。もう放りこんで終いにする。猫♀が早速、点検にくる。どうして猫は、新しい箱が好きなんだろう。

  中に入って嗅ぎまわる。「いるかもしれない」は、もう絶対いらん、代替え書類がいくらでもある。そう思っても、もしかして、もしかして、と5年も過ぎれば捨てるのに、猫めの手を煩わしてしまった。
  2009年以前、2010年以降、2011年にも必要。これくらいに分けるんだが、全部、この一年、見なかった書類だし、たしか、あったはず、とさがしたけど見当たらなくて、代替書類で間に合ってしまった事、次は段ボールごと捨てるんだきっと。

  今年は、小屋の掃除、整理から始めた。随分と小屋がすっきりした。家の中から溢れた物が小屋に移動して、ほとんど元の状態まで埋まった。続いて家の中を片付け始めた。整理した物を置く場所を作ることから始めた。
  それで、ゴミと、馬鹿馬鹿しい「5年塩漬け」に分けた。ミカン箱とリンゴ箱が座敷の縁側に積み上がった。
  広くなった座敷のあちこちに、「当面」が産卵、もとえ散乱しだした。なんのことはない、使ったら片付ける・捨てるができていないだけじゃないか。子供の頃からの習慣が少し変わったのは、きっと、次使う時まで生きているんだろうか、という人生の整理期に入ったってことか。

  「・・・改革・・・・始まる」、何年、何回言ってるんだろう、農業改革。改革を改革しよう。やってなさい。
2010年12月29日(水)
雨が未明から雪に変わる、年の瀬
  3時ごろ、冷えてきて目が覚めた。猫が布団にもぐりこんだ。書き込みの少ないカレンダー、取換え。さて、今日は何をするか、朝飯を食べながら考える。
  日記帳は結果を綴る、カレンダーは、さて今日は何の日。白紙のまま一日がはじまる。外は、みぞれ。横のスナップは、一年溜めた名刺やポストカード。手軽に印刷できるようになって、思い思いのデザインが溢れて、ピンナップして楽しい。いつだったか、名刺がないって連れ合いが言う、「どこやったんやろ」、とうに、貼り付けて、「ここに貼ったか、また行く気やな」と思っていたのに、貼ったことを忘れたようだ。白紙のまま次月に変わるカレンダーと同様、過去・未来・現在と、この世の約束事からどんどん遠くなっていく。

  それでもまだ、この大きな余白の多い滋賀オートのカレンダーが、我が家のメイン。字が大きいからいいんや、そうとしておこう。

  さて、この「おはら野農園日誌」も、2011年版に組み変えねばならない。カウントダウンに合わせて、組み替わるようにするほどの丁寧さも器用さもない。タイトルバーのあちこちのリンク・ファイルを変える必要があるし、過去のリンクも置き去りが多いし、農作業の記録や、栽培履歴もとっちらかったままだし。「あっ、これ独立ページにしよう」なんてのは、書きかけのままだし、、、、。
2010年12月28日(火)
Desk Planner
  今年は、やるぞ!という決意表明と、年明け数日の書き込みで、次年にバトンタッチ。机上プランとは、この日記こそいうんだろうなあ。それでも、こうして毎年、買うんだから、この程度の根気はあるってことか。

  読まれて困らない出来事、人にしゃべりたい事柄はこうしてHPに書き込んでおれば、残る大事に秘密にして人の詮索を受けたい事なんて、ないしなあ。

  ヤママユと、襟巻。何回か首に付けて、首周りがもそもそするんで敬遠していた。昨日、じっくり眺めていると、前後ろ、左右があるではないか。腹巻きに前後ろないし、同じようにたんなる筒かとすっぽり巻いていたのは、「当たり前!」でしょ。


  正月のごっつおを買った。家庭料理を楽しむのだ。正月のケーキ、お誕生日にケーキと、切に頼んだのに、年末に買ってしまった。どうやら、また正月と誕生日が一緒になりそうだ。


  80g、「5個買ったら、もう一個おまけよ!」って、それって、これ一個を二人で食べようと思っていたんですけど。




  ポンデケージョ(Pao de Queijo)、ペチボン・ラザニア(Petybon Lasagna)他に、一杯。
2010年12月27日(月)
ひだまり
  ひだまりに鳥がおりている。ハウスの中にネズミ(かやねずみ?)が走った。



  わづかな窪地に霜柱が立っている。




  たんぼに氷が張っている。




  正月まであと数日、それぞれ思い思いに年末の陽だまりを楽しんでいるようだ。
  ジャコウアゲハは、ピクニシャンを決め込んで、北風に身をさらして春を待っている。





  白菜の葉の中にテントウムシが動いている。彼はマイナス20℃でも凍らないらしい。
2010年12月26日(日)
黒豆、たづくり、ぼうだら里芋、蒲鉾、日記、、、、ヤシャブシ 夜叉五倍子
  ジャスコへお買い物。道中にヤシャブシがある。蛇行する川沿いに植えられている。この実で染める草木染め、奇麗な茶色が出る。冬に花が咲く、希少な木である。


  ジャスコにお買い物、途中にたまに寄る。寒くって早々に退散した。
  206cc。オートマのトラブルを修理して、トルコンオイルを入れ替えた。5000km走ったらオイル交換してくれと言われている。乗って3年、5000Kmも走っていない、計算するとあと3年後の交換か。
  それからすると、昔はよく走った。1年で2万Kmが普通だったのに。スポーツタイヤは消しゴムのようなもので、2万も走ると、雨の高速で横滑りしたもんだ。
  5000Kmを一気に走ろうと、せっせと206ccに乗ることにしている。車の寿命とこっちの寿命が競争している。






   横山の北端の龍が鼻に、茶臼山古墳があって、その辺り。織田信長が浅井との姉川合戦で、本陣を敷いた土地。来年の大河ドラマで有名になりそうだ。R365の西濃運輸の物流デポが目印。

  ここから姉川は北西に流れる。
2010年12月25日(土)
プリンターのお守り

  ↑ 28AH1503
  お利口さんには、きっとプレゼントを持ってサンタさんが来る。宿題しない子にサンタさんはこん。冬休みののっけから、そう言われてしまうと、戦意というか、出鼻をくじかれるというか、なんとサンタさんの了見の狭い事よ、とぶうたれてみても、いずれ正月がくれば、宿題せん子にお年玉やらんでええ、と連戦連敗は食い止めねばならない。

  それで、遅れていた賀状の印刷をしている。これがまた輪をかけて、言う事きかん。ちゃっちゃとしいと横でつききりで、排紙や、ゴテチャをなだめている。「お前がせんから、サンタさん、寒いのに外でまってるやないか」と激励するが、「私は、私よ」と、マイペースで、しゃしゃしゃや、ちゃちゃや、ギージーとやっとる。

After Midnight バラードまでそばにいて /Masaki Ueda /28AH1503 /1982
  このアルバムに収められている”悲しい色やね”のヒットで大阪ローカル・ブルースから全国区に出て行った彼を”ブルースを捨てた。大阪を捨てた”とあと押しした人たちがいる。変われない自分を口惜しんで、変わっていくヒーローを罵るのは、ギリシャの古代から、変わらぬ人の心根かと思う。

SIDE 1:Straight Life /Say Good-Bye To Yellow Page イエローページは閉じて /I Miss You All レスト・アローン
    Hello, I Love You /No Thing's Gonna Stop Rock'n Roll夜はもう止まらない
SIDE 2:OSAKA Bay Blues 悲しい色やね /Baby Lady /Your Love Gives Me A Pure Mind
    Save The Last Dance For Meラストダンスは僕に /Happy Days & Blue Days バラードまでそばにいて
    Georgia On My Mind

  とまあ、昨夜からテーブルに載ったこのLPを聴きながら、プリンターのお守り。さあ、あと4枚、がんばれ。サンタさんお待たせしました。夕べの残りもんやけど、ケーキ食べて。

Jealos Night 夜を抱きしめて /Masaki Ueda /28AH1300 /1981

  4曲目、キッド・シャッフルだけがいただけない。幼児の声をダブらせている。今だと、かなりきわどい使われ方に分類されるだろう。

SIDE 1:ダンス・ザ・ワルツ /ロッカ・バイ・ベイビー /ブッドバイ・マイ・リトル・ダーリン /キッド・シャッフル
     オー・マリア
SIDE 2:ジェラス・ナイト /ホット・ナンバー /東京エキスプレス /翔ぶなYASUKO!! /シングル・マイ・ソウル

  ↑ 28AH1300
2010年12月24日(金)
eve
  私が生まれる前だから、昭和20年台前半。ツーショット、親父、おふくろ。こんな写真の束を10年くらい前、叔母に貰った。
  一枚だけ、アルバムから剥がして、立ててある。全部、白黒、印画紙のサイズはまちまち。カメラが好きだったんだろう、若かったんだろう、ラブラブなんだな、どの写真も。

  いいじゃないか、戦後間もない頃の青春、私が生まれる前。私は、かっこいいと思うよ、この二人は。しかし、写真でしか記憶されない親子ってのも、いいもんだ。煩わしさから飛んでいられるから。

  クリスマス・イブ。今宵くらいクリスマス・ソングをかけろと連れ合いがいう、特上のイチゴをトッピングしたケーキが待ってるで。

  どうやら、明日は、ホワイトクリスマス。
米原市 [発表]大雪,風雪,着雪注意報 [継続]雷注意報 
  [解除]強風注意報 

 雪 注意期間 25日未明から 25日夕方まで
   山地 24時間最大降雪量 40センチ
 風 注意期間 25日夕方にかけて 以後も続く
   西の風
   琵琶湖 最大風速 12メートル
 雷 注意期間 25日夕方にかけて 以後も続く
 着雪 注意期間 25日未明から 25日夕方まで
 付加事項 降雪による交通障害 突風




  イブの夜、それはケーキ。クリスマスのケーキ、お正月のケーキ、お誕生日にケーキ。毎年、毎年、全部まとめてドン。それがどうだ今は、独り占め、腹いっぱい、胸張って手作り、甘いクリームべったり、愛情てんこ盛り。これを旨いと言わずに、なんと称しよう。
   手あぶりの火鉢が時代
2010年12月23日(木)
伊吹時雨
  すっかり冬。雨のち晴れ、晴れのち雨。伊吹時雨は山頂に雪を残す。そりゃ、もうクリスマスなんだから、雪であっておかしくない。

  今日は、朝から部屋の掃除と、レイアウトを変えていた。くたびれた。8畳の座敷を住処にしている、座敷に通すような人は、まず来ない。来ないからと言って、部屋が汚くていいわけではない。それで、掃除はしています、程度に整えた。まだ、きれいとは言えないが、大物だけ片付けたので、あとはボチボチ、正月仕事にする。

  次は、HPの整頓か。こちらは、写真ばかりをUPしている、サーバーの容量が尽きる心配が出てきた。デジカメで動画を撮る技を覚えた、それをUPすれば、多分たちまち尽きるだろう。さてどうしたものか。動画などという重たい物を載せなければ済む話なので、そちらのほうがベターだとは思ってはいる。
2010年12月21日(火)
いつだって出来るんやから、いつでもええやん
  いつだって出来る。三菱トラクターが壊れたのが、2004年。それでヤンマーに乗り換えた。三菱を歯医者して、ヤンマーを登録した。あれは、6年前の忌まわしい出来事。エンジンを焼いた。エンジンを載せ換えるのに、中古を購入できるほどの費用がかかると言うので、乗り換えた。

  「いつだって出来る」が、今日の日になった。さて、このプレートがヤンマートラクターにとりつけられるのはいつの日か。「いつだって出来る」その日がくれば。
  隣で、連れ合いが「宿題は貰った日にするもんや」と、呪文のように言う。
2010年12月19日(日)
予行演習
  メモに2002年1月とあるから随分と昔の写真だ。まだ銀カメの時代で、ネガがどこにあるかもう判らん。それで、スキャンして貼り付けた。

  猫♂、うちに来て2ヶ月くらいか、じゃれることを覚えてそれっきり。ネズミを捕ってきたことはない。オスは狩りがへたなのだ。だいいち、この子はその後、コロンコロンになって足が背中に届かなくてバタバタと床を叩いて、挙句にひっくり返る始末だった。毛の手入れでは、べロは中空にあった、そしてひっくりかえった。いたって愛嬌猫に違いない。バトルに負けて家を出て、数か月、疥癬を全身に貰って死にに帰ってきた。子鉄にはなれなかった。

  ヒモにぶら下がっているのは、甘んばの軸とヘタで、ハナグロではない。





  陽だまりのローズマリー。鉢植えにしている。耐寒性は充分あるけれど、過湿に弱い。冬の雪の下とか、夏の長雨なんかで根が弱る。水はけのよい、がれきなんかが適している。しかし、畑ではそのような場所は少ない。

  料理に使うに、この細い葉っぱが数枚あれば足りてしまう。また、ブイヨンのようにスープにするより、魚や肉と一緒に焼いたほうが、香りがストレートに出て、その後にソースに混ぜ込む使い方が風味が勝る。

2010年12月18日(土)
年季の入った落ち葉が、溜まっていた
  3年前にカーポートを作って、以来ほったらかしだった雨樋に落ち葉が腐葉土になるまで溜まっていた。ゴミ掃除用の穴が開いていたのだった。完了、年末の掃除の一つ。



  戸袋の上でニャンと鳴く。スズメを追いかけて駆け上がったんだろう、どうも猫♀は、降りるの苦手なのに進退きわまるまで、ほおっておけばエイ!っと飛び降りる。甘んぼを取り入れることにした。
2010年12月17日(金)
初雪、しろくろ・ハナグロ
  しろくろ・ハナグロ、初めての雪。雪の日の朝は、足をプルンプルンしながら出かけた。朝、一番の散歩はトイレ。

  アメダス米原は積雪0センチ。もうすぐこれくらいの雪は積もったとは言わないほどになる。でも僅かでも積もると、「おおさぶ、雪や」と、大騒ぎしている。



 こんな朝は、彼女らもトイレに行きたくないらしく愚図る。仕方ないので、一緒に出かけて、ハウスの中へ促す(↑の写真左)




  う~ん、ここも直さねば。屋根に登って、雨どいに詰まった落ち葉を取らねば。詰まってるんだろう、雪融け水が漏れている。



  先日、松坂で見つけた柊の花。車庫の傍に植わってるうちんちの柊も花が咲いていた。腰の高さにもならん小さな木、咲いているんだ。

  日記のネタはとぎれない

2010年12月16日(木)
mm
  昨夜の雪で、ここまで雪が来た。山はどうだろうと、奥伊吹・甲津原集落まで出かけた。トップページを飾った。


  近所のローザンベリー多和田に羊が現れた。10頭くらいいるのかな。牧羊犬がいた、ヤギが一匹いた。車を止めて道路わきからみることができるので、暖かい日は、のんびりできそうだ。


  黒豆の選別完了まであと?日。
2010年12月15日(水)
少し進化
  鏡でも使わないと、カメラでカメラを撮れない。猫♀に鏡をみせると、鏡に向かって我が身を攻撃する。しかし、面白くないかして2回目からは興味を示さない。

  それで、カメラをカメラする興味がずっとあって、なんとか方法がないものか。ケータイで写真して、ホームページに載せる。これだけのことに、1年が過ぎた。
  ケータイで写真を撮る →メールを送る
     →メールの写真を準備したフォルダにドラッグする →なんでえ、あとはいつものやり方。

  キャノン PawerShot A530    500万画素 F2.8 広角28mm マクロ5cm
                         ズーム×4 デジタルズーム×16

  きっと、写メしたケータイのほうがスペックは上だろう。 ポシェットに入れて、畑に持っていく。ファインダーがあって16ズームでケリが撮れる。これをクリアーするデジカメが中々無い。

  ケータイで写真を撮る →メールを送る
  この二つに悪戦苦闘しとったら、「取説読めばァ」と横で言う。そういえば、206ccのチルトハンドルが下がらずハンドルにぶら下がっていたが、読めばシートのリフトアップが書いてあった。グンとハンドルを押さえるように構えて、ドリフトターンが快適になった。やればできる、何事も、ならねば、なそう、何事も。少し進化、学習の成果を披露。
  次は、高画質録画 →動画貼り付け
  難関が二つ。取説が無い、HPを重くするだけ。
2010年12月14日(火)
春を思わせる雨の朝。あすは雨か雪、そのご雪か雨。寒くなる、本格の冬、雪景色、おおさぶ。でも賀状はでけた。
  年賀状がでけた。コピペ、コピペで完了。

  作成は、ジャストシステムのラベルマイテイ。

  用紙を選択-はがき →配置→縦置き

 写真を貼りつける→2010.10.23のフォルダから→貼る
    [拡大、配置で、ハガキの印刷領域一杯に、置く]

 文字を入力→[謹賀新年、ARなごみPOP体B、太字、文字サイズ(自動・46pt位)]
             →貼り付け
          2010年 元旦  →貼り付け
          住所・氏名、MS P ゴチック、9pt弱 →貼り付け
             飾り・配置→行間+2% 文字間-1%
          ウマノ・・・、MS P ゴチック、8.4pt →貼り付け

 写真と文字の位置は、ドラッグして適当に配置

 保存や印刷   これで、年賀状の作製は終わり。

ホームページに持ってくる作業
  一覧・コピー →全てを選択→コピー

  ホームページビルダーをたちあげて、  枠の中に→(白・白になるので、背景に色を入れる)
                                    →ペースト

  完了。やれば出来る、チャッチャとやりなさい。連れ合いのアドレスは許可が出ていない。年賀状には載る、はず。

  今年のテーマと、出来の良い写真を探すとこれか。
 ニッチ。ウマノツユクサとジャコウアゲハと福岡伸一。お尻が写っているのがちと残念だが、後ろ足の照り加減がセクシーなんでよかろう。
  こちらはプロトタイプ。完全版は元旦の朝に。

  これは、密かに思っていること、ラベルマイテイは、1枚のシートに、複数のレベルを印刷する、そのため、「一覧」にして、印刷する際、(コピーも印刷も、モニター出力も)、ビットマップ展開しているんだと。
  昔、マックを使っていたころ、マックのプリンターは、文字と画像の出力と、ビットマップ展開して出力するとの二つの機能を有してた。今ではそんな違いを考えなくても文字も画像も自在に表示(印刷)できるようになっている。しかし、PCからプリンター(出力)する際のデータの違いはまだある。
  HPBにコピーしたら[元旦]にギャザーが出るのは、文字データを画像データに置き換えてしまったから。ラベルマイテイだと、ここが違う。
          
  義理賀状は、連れ合いに任せて顰蹙を買っている。私が宛て名書きする賀状は数枚、友人の少ない事よ。


  失敗、失敗。  正:ウマノスズクサ  誤:ウマノツユクサ
2010年12月12日(日)
世界だよ、Automatic Gear Faultからの復帰
  治ってきました、206cc。


  ヤンマーの奥まで突っ込んで、砂利原っぱで、ドリフト・ターン。セイコマの信号を右折、オットトの縁石接近、吹け上がりますがな、ブレーキング・ターンでドリフトしなくちゃ、世界ではない。

  オートマのバルブ2個変えて、コンピュター調整して、トルコンオイル8リットル入れ替えて、9万なり。懐軽く、快調、快調、、、トホホの見返り。ベタ踏み6,000回転、90Km/h,3速へ、1600cc。

  今までがなんやったん?
2010年12月11日(土)
なにやってんだか、お掃除、お掃除
  今日は、朝から野焼き。森越の畑まで、剪定枝や、芝を持っていって燃やす。連れ合いが、何燃やしている?と疑惑の眼で見る。一応、点検して燃やしていいもの、駄目なものと分けて、そう分別して。
  昔は、分別と書いて”けじめ”と呼んだ。広辞苑の3版では、”けじめ”=差別すること、とあった。そのうち、分別と書いて”ふんべつ”と呼んだ。分別のある人、とは見識・良識の代名詞のようなものだった。
  「身分の別」と書けば判りよいか。それとも、分を弁えるとか、、。

  今では、分別と書いて”ぶんべつ”と呼ぶ。「燃えるゴミ」、「燃えないゴミ」、「プラスチック」、「資源ごみ=ペットボトル、ビン、カン」を分ける事。

  湖北村ばたけに出かけた。そこで、私の愛機、パワーショットA530のレンズのお掃除をしてもらった。レンズピカピカ。もう一冬働いてもらうために。

  日もとっぷり暮れて、何か玄関に人影。
  206ccが修理を終えて帰ってきた。「来年の車検は覚悟してください」と言う。週明けに支払いに行ったときに、こってり聞くことにして、「治って良かった、好かった」と手打ちした。

  「来年、車検して、もう二年動いて貰うわ、あんたも2年は働きや」と、人偏付きで言われた。良かった好かった。
2010年12月10日(金)
昨日、今日と、伊吹山のてっぺんは雪
  


  雪がふるわりに、暖かい。鴨の写真はきのうの三島池。風がさほど冷たくない。
2010年12月9日(木)
山は雪、2度目の冠雪、麓はみぞれ
  朝、山の雲の切れ目から冠雪。終日、風が冷たい、夕方からみぞれ。暗くなって山は下まで雪。

  あすの朝は、くっきり雪だろう。スノータイヤに変えなくては。夜、時折、雷、雪起こし。


  三島池の鴨がだいぶ揃った。


  おはら野の一角にきゃんせの森がある。かつて植樹祭があった雑木林がそのまま、公園というか、跡地というか残っている。なんであれ御幸の跡は残る。三島池にも、その時のビジターセンターなるものもある。こちらは、鴨と三島池と伊吹山を観ながら、茶の一杯を休憩のためにとられたそうだ。ビジターっていうから、誰が訪れたのか。この建物(もちろんそのために建設された)は今、鴨のセンターになっている。


  その雑木林で、落ち葉拾いをした。軽トラで乗り付けて、かきあげればいいので、とっても楽。
2010年12月8日(水)
IMAGINE、死んだ人が出かける投票所のある民主主義ってのを想像してごらん、代理投票は認めぬって。
  12月8日は、毎年来る。今夜はホワイトアルバムを聴こう。1980年から30年経ったか。1995年におはら野に移住して15年経っている。

  15年は一昔、二昔、レノンが死んだからって時計が止まるわけでない。その後ってのがある。高度成長経済が70年代のその後ってのを産んだように、それは80年代以降にそれが当たり前の社会を産みだして、倦んだ90年代ってのもある。

  ばかばかしいと思って70年代を過ごし、ばかばかしいと思って80年代を過ごし、ばかばかしいと思って90年代を過ごし、ばかばかしいと思って2000年代を過ごし、なんだ、今年も馬鹿バカしい喧噪で終わる。一つ的を得た出来事があった。「湖北村ばたけ」の誕生。つるむことなく仕組みを作った人がいる。

  レノンが死んで30年、ばかばかしいと過ごして40年。
  昨日、本居宣長が過ごした松坂に出かけた。彼は、二つの葬式をしたそうだ。一つは事細かく本人が書き残した「葬儀」、もうひとつは「そのような葬儀は聞いたことが無い。手続きを踏んで貰わねば困る」と言った死亡届を出した役所が認める「葬儀」。

  本人は、それで本望だったかもしれないが、「死ぬ為」には、その後の手続きと言う浮世の義理を果たさねば死ねぬらしい。近頃は、坊主の「引導」の他に、医者の「臨終」と「死亡診断書」がないと「埋葬許可書」一枚で揉める。揉めると、燃やしてもくれぬ。
  だったら、最後の浮世の義理なるものには目をつむって、医者と役所がしゃしゃり出るのを「許可」しよう。そして、燃えカスの一才を受け取らぬよう頼んでおこう。なまじ物が残って、「千の風」となっても、始末に困る人もでよう。私に「引導」も「葬儀」もいらぬ。
  う~ん、「埋葬許可書」があれば死体はいかように、つまり路傍に捨ておいてもよいのだろうか。それとも、「手続き」的に、「指定管理者」の手で燃やしてもらわないと、野焼きは「禁じられて」いるらしいし、産廃不法投棄にもなるのだろうか。
  手をわずらわすのもなんなんでと考えて、死んで「死亡診断書」を書くようにも言えぬ、「埋葬許可書」を貰いにも行けぬ。こればかりは人手を煩わす。本人が出かけては、死んでまだややこしいことを言うのか、と言われかねない。
2010年12月7日(火)
エナガ、、、、カクカカウ
  今日もエナガが群れ飛んできた。スズメよりとっても賑やかで、しかもじっとしていない。木の実より虫を好む。写真のように、ぶら下がる、飛びまわる。

  下で、猫♀が落ち着かない。尻尾を振って音を立ててあごをカクカクさせる。真夏に見た時は、熱けいれんを起こしたと思った。それほど目は中空をにらみ、尻尾をふる。その先にトンボがいた時は緊張が融け、笑ってしまった。

  6ヶ月、お年頃の猫♀。
2010年12月6日(月)
ヒヨドリ 、大雪
  カラスの渋柿をヒヨドリがつついている。上のほうにある柿は3個、カラスのために残しておく。今日はヒヨドリが食餌していた。×16ズームの写真、手振れ防止装置付きの今のデジカメならでは、三脚無しでは出来ない技。

  そのうちデジカメを買い換えて、ぴしゃっとした写真が撮れるようになったら、「おはら野の四季」に載せよう。


  夕日が柿の木と伊吹山を染めた。

  デジカメですら、こうである。デジタル放送を液晶モニターで観ると、ヌメェー・テカテカ・エッジがくっきりになる。そして登場人物はそのような画面に対して、必死に化粧法を変える。それをみたジョシコーセイは、相応の化粧を現場でする。すると、私なんか、再変換をかけて元の顔を探る。
2010年12月5日(日)
野村紅葉にエナガ
  先日、年中赤い紅葉と書いた、野村モミジに、エナガが群れ飛んできた。この子たちは大変愛嬌があって、枝にくるりと逆立ちしてくれる。下で猫♀が忍び足していたが、敵わない。だんだん大きな獲物をげっとしたろという姿勢は買う。


  随分と南の空から太陽が昇る。まあ、これくらい傾いた感じで真上に上がってくる。地玉中心から外れると、世間も違って見えよう。で、エエイ、ヤットナと写真してみた。毎日見ているとたまにはアングルを変えてみよう。ただ少し船酔い加減ではある。

  本当は、明けの明星が出ているので、それを写真しようとして、少しばかり早起きをしてみた。6時半では駄目で、6時には空を見上げねばならないようだ。
  明日の朝も暖かそう、サイド挑戦。







  カラスではないと思う、アオサギか。この辺りで大型の鳥は。朝からトンビは飛ばないし。伊吹山を背景に朝は結構、賑やかなんだ。


  朝日があたって、伊吹山にかかった雲がもう少し赤くなるのを待っていた。日の出とともに雲がとれて残念。
2010年12月4日(土)
すずめばち
  おととしのスズメバチの巣。さすがに崩れた、中が見える。写真では4段だが、5段の巣を作っていた。とても軽くてこれなら風に揺れずに、ぶら下がっていることができる。
  土に戻すために、今年の落ち葉と一緒に堆肥にする。なんともぜいたくなスズメバチの巣入りの堆肥になる。

  小屋の掃除も、農作業道具区域から野菜のパッケージコーナーへと移った。それで、巣の片付けとなった。3年以上溜まった色々を明日は片付けるか。奇麗になったら写真だな。ここで、選別・調整をしていたのかと、お小言がでないようにキレイ・キレイだけをお見せしよう。
2010年12月3日(金)
チャダイゴケ
  モミガラがこぼれているところにはどこにでも生えるキノコ。茶台とは言い当てたものだ。

  12月に入って、晴天のあとの終日、雨。どこのHPもブログもそうだろうが、「おはら野農園日誌」も書き散らかした一年を整理して、それなりの体裁を整えねば、どこに何が書いてあるのか判らなくなる。
  あれも書きかけ、これも中途で放り出した、そんなページを整理しなくては。

  特に、全体性とか、首尾一貫とかを心がけていない。それぞれのページで完結して、読み切り、そのように書いている。隣のページや、次のページや、日付が違うと、言ってることも違うかも。それで本人はいいと思っているので、これは仕方ない。
2010年12月2日(木)
飛行機雲かな
  今日も快晴。山にぶつかった気流が雲を作る。飛行機雲が風に吹かれて、変わった形。今夜から雨だそうだ。

  と、まあ畑の片付けが進んで余裕が出た。



  火の用心。一寸やばいかなとも思った。ストーブの灰、燃えカスが残っていたようで、1昼夜経った灰が燃えた。
2010年12月1日(水)
12月の空、
  12月の空は晴れ渡った。畑の冬支度もほぼ終えた。ハウスのビニールを剥がす、採りいれた黒豆を脱穀する、この二つくらいか残りは。

  206ccのご機嫌伺いに滋賀オートに出かけた。カレンダーと引き換えに、入院することになった。
  「2速発進する。エンジンをとめると、プログラムがリセットされて正常になったり、ならなかったり。
Automatic Gear Fault!表示が出る」との診断で、しばらくドック入り。
  う~ん、滑っているのか、プジョー送りか。とりあえず、私が壊したのではなさそうだ。

  そんなんで、206ccの修理から12月は始まった。



  カラスウリ:春にはたくさん種まきできそうだ。