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2010年6月30日(水) |
ホウズキカメムシの産卵 |
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連れ合いは、ホウズキカメムシに優しい。私がこのホウズキカメムシの卵をつぶしていると、この子は、実をかじらないし、この子がいるとアブラムシがつかない。茎にびっしり付いて樹液を吸うがそのためかどうか、アブラムシがつかない。
そんな話をしながら卵をバラバラと落としていると、とんでもびっくり、刺激されたか孵化するではないか。丁度、クモの子を散らすようにワラワラと孵化して散っていく。優しい連れ合いは、昔は手で潰すなんてできなかったのに、とすりつぶしていく。

産卵と孵化、今年の何代目かの周期にあたったのだろう。一度に見れた。
←ホオズキの葉裏に産卵するホウズキカメムシ
孵化して散っていく→
6月26日に続いて |
虫たちの生活誌→ホウズキカメムシ |
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2010年6月29日(火) |
ここで待ち受けモードですか |
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何本ものパイプ支柱に、アマガエルが入っている。たまたま落ちたんではなさそうだ。この穴に潜んで食餌がやってくるのを待っているみたいだ。
パイプは22mm、ナスやピーマンなどに支柱をたてる際、強度を増すために二間置きに鉄パイプを使う。その中に潜んでいる。目に表情のない爬虫類や鳥類なんだが、その表情がないことに無表情をくみ取って、ただ待つ姿を感じる。
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2010年6月28日(月) |
雨の奈良井宿 |
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←ライ麦ってこんなに奇麗なのか、ライ麦とキャベツ。山並みは北アルプス。いいところだ。
松本 自然農法国際研究開発センターへ見学に行って来ました。
http://www.janis.or.jp/users/infrc/seedservice/index.html
そこで見た、ライ麦。来年の今頃は、わが「おはら野農園」にもライ麦畑が現れる。
木曽路にはにわか雨が似合う。奈良井宿で遭遇したにわか雨。→
もう少し強く降れば写真にくっきり写ったんでしょうが、私の技量ではこの程度。
帰り道は、松本から中津川までR19を辿った。木曽路・中山道をブラリ、ブラリ。
奈良井宿の続きは おはら野ママ→ほう葉巻き 奈良井宿 |
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2010年6月27日(日) |
梅雨空にかたつむり |
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今年は、ナメクジが多いと聞く。太田種苗でもナメクジ駆除剤が入荷の尻から無くなっていくらしい。おはら野ではナメクジはそう見かけないが、カタツムリが凄い。草をむしっていたり、カブ元を奇麗にしていると、カタツムリが休憩している。
今朝は珍しく早くにハウスに入った。くもり空だし、蒸しかえっている。それで、まだキュウリを食していた。左上のイボのように見えるのはカタツムリのウンコ。
このような姿を見ると、食を引いてしまうかもしれないが、見なければそれまでってこともある。駆除剤がかかったキュウリを食うか、ナメクジ・カタツムリの這ったキュウリを食うか、さすがウンコ付きを供することはない。
駆除剤はナメクジ・カタツムリがそれを食って下痢したり、まあ食中毒なんだが、結果としてキュウリから剥がれるんだから、ナメクジ・カタツムリが這ったキュウリも混じる。
そんな事情を全部含めて、農薬を使わない「おはら野農園」から野菜を買って欲しい。
エスカルゴも伊勢海老もクラブもでるところへ出れば、みんな大好きなんだから、これも食えとは、勿論云わない。
このカタツムリを食しに、モグラが集まる、カラスやスズメも集まる。そちらに弱っている。モグラの食道と化しているんだ、畑が。
半白きゅうり:昔きゅうり、黒イボ系。青臭い風味が好きなので毎年作る。10〜12センチ前後を食する。大きくなると風味も薄れ、種が大きくなる。2〜3株に一本、いたちキュウリにする。食味も色合いも普通のきゅうりとは比べ物にならないほど、美味。
いたちきゅうり →おはら野農園_野菜の栽培 実を食べる→キュウリ (2009年の記録) |
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2010年6月26日(土) |
なんで、雨なんや |
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雨のおかげで、こんなもん見つけたわ。ホオズキカメムシの卵。昨夕から頭が重くって、天気予報にない雨を感じていた。にわか雨でもふるんだろうくらいに思っていた。
朝からこってりの雨。仕方なくハウスのホオズキが倒れないように補強した。見つけた。ホオズキカメムシのタマゴ。ナス科であればホオズキに限らずなんでもとりつく、害虫といえば害虫。
連れ合いは無関心、この子たちはパプリカについても茎を吸うだけで、実に悪さしない、と。確かにそうなんだが、ホオズキは、上を切って、葉もほとんど落としてから盆花にするし、実をかじることもないから、実害はない。そうなんだが、、、、。とりあえずふみつぶ〜すの刑に処した。
ホオズキ:ナス科 ホオズキ属 多年草。お盆に使った残りをうまくうっちゃっておくと、果皮を虫が食ってくれて正月飾りになる。使いまわし。
→虫たちの生活誌→セミ・カメムシのなかま→ホオズキカメムシ |
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2010年6月25日(金) |
これは、ここだけの話。内緒 |
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この場所は、コンポストCompost:生活の塵芥を原料にした農業要有機物資材。堆肥の代わりに使われる。ごみの量を減らせるところから、環境保護の立場からも注目されている。
コンポスターComposter:土中の微生物の働きを利用して、生ゴミをたい肥(コンポスト)にかえる容器。 (例文で読む カタカナ語の辞典 第3版 小学館/1990年)
この場所は堆肥生産する生ごみ置き場。ここへ食べ残しを捨てる。カラスやスズメなんかが、まずお相伴にあずかりに来る。使い残した里芋をポイポイする。気温が上昇し、雨が、かようにしなびた里芋の最後の力を振り絞った芽出しを助ける。
内緒なのである、里芋を、べつに一反とか一畝の単位とはいっていない。冬に5株も食えばいいのだ、ご近所さんからいくらでも頂ける。だから連れ合いは植えようとしない。私は、畑に里芋の葉が茂っていてもいいと思っている。それで、この里芋を、リサイクルのリサイクルに供することにした。しかし、ここだけの内緒、畑の隅に植えた。どこに植えたか、内緒。
ここでそのまま大きくしてもいいのだが、いいのだが、この場所はすでに捨てたカボチャと冬瓜が大きく場所を占拠している。連れ合いは、せっせとツルの向きを変えたり、伸びる先に茂るコンフリーを刈ったりしている。よって場所を変える。それはシークレット。
日本語になったカタカナ語は、主格、従属格、目的格など、極めてあいまいにする。つまり日本語に変える。そこはかと漂う英語の意図を感じるために、カタカナ語辞典と、英語辞典をめくることがある。
キューバ危機のあと、アメリカの経済封鎖を受けてカストロが推進した各家庭に菜園をもうけ食料のリサイクルを促す政策なんかに、この家庭コンポストの意義を見出すことができる。
私はただ、収穫した里芋を食べたいだけで、そのための思考の全過程が必ずしも必要とは思わないが、避けてとおれない課題もあるととどめる。 |
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2010年6月24日(木) |
朝顔が咲いた |
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奇麗。夕方覗きに行って、また朝から楽しみにしていた。今朝は12.5℃、寒過ぎてまた明日、みたい、と言う。
8時過ぎに咲いた。朝日が花を透かして花弁に色を付けた。ヘブンリーブルーだそうだ。きっとこんな色なんだろう、天上では。
梅雨の空を見上げて、雨!ドカピーンと日替わりの天気に、顔を洗うたびに見つめられて猫♀も忙しい。
 
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2010年6月23日(水) |
きっとこれが梅雨なんだろうなあ |
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昔、「あたまの中がかゆいんだ」(うろおぼえ)と書いた人がいた。「ガダラの豚」を書いた。う〜んわき始めたか、あたまん中がやばくなってきたなあ、ほどほどにしないと、と思っていたら、死んだというニュースを聞いた。
水虫がわいたかして、偶蹄目ソックスでは駄目みたいで5本指靴下に戻ろうか。クラッチを踏み込む足指が痒いと不用意な動作をして危ない。きっとこれが梅雨なんだろうなあ。
昨日、姉川へホタルブクロを見に行った。写真を撮ってきたので見たい方は、おはら野の四季か草花か、見に行って欲しい。
未明から雨脚が早い、雨に濡れても風には響かない、悲しき雨音ほど、水虫は深刻ではない。昨日、写真狩り(?写真で狩り?)してきたのは正解だった。きっとこれが梅雨なんだろうなあ。
ザクロが先週から咲き始めた。トルコからアフガニスタンまで、このザクロを乾燥させて干しザクロにするという、きっと珍味だろう。梅雨空に赤と緑が鮮明な日本の梅雨、硝煙と砂ぼこりの舞い上がる空にザクロが似合って欲しくない。
花も好きだが食えん。実が割れて食えそうになっているのに、まだ食えん。見上げた空が、まあだだよと言ってるみたいでじらされてじらされて、それでいかほどに食いでがあるかと思う果物だった。
ザクロは見上げて愛でる木だと思っていたが、植えてみると、見上げた自分がまだ背の届かない記憶のままだったのに気づいた。
きっとこれが梅雨なんだろうなあ。
ぷふぁー、昨日、スイカをビニールトンネルからだしてやったら、ぷふぁーと言った。風呂に入って、久しぶりにぷふぁーと言ってみた。はらの皮までぷふぁーとたるんだ。体重減ったでしょ、と言うので、変わらんわい、と体重計に乗った。59.9Kgだわ変わらんやろ。
3年前の指導備忘録を取り出して、65Kgやったやないの、5Kg減ったわ、と申す。そんなもん、記録にとどめるな、体重計が減ったんや、と反撃に出たが、時すでに話題は変わっていた。
きっとこれが梅雨なんだろうなあ。
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雄花→
ザクロ:ザクロ科ザクロ属の落葉小高木、安石榴。トルコからアフガニスタン、ガンダーラを原産地とする説と、カルタゴ、北アフリカを原産とする説がある。どちらの説をとっても、古代から乾燥と戦争が似合う土地、ザクロのような傷口と比喩されるあまりおだやかな実ではない。
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2010年6月21日(月) |
夏至 |
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今日は夏至、ヨーロッパのようにこの日を夏のはじまりとしてもよさそうだが、梅雨のさなかで昼間が一番長い日、が似合う。太陽を求めるヨーロッパ圏なら夜明け前でも仕事をはじめ、日の沈むまでに一日を終えて、長い夜を楽しむスタイルもよかろうが、秋の夜長と言うように、そのような楽しみはやはり秋にとって置こう。
それで、今日はマメの種まきをした。「現代農業 7月号」に大豆の増収栽培方法が載っている。そこに、「大豆は典型的な短日性、、」とあった。なあんだ、そうだったんだ。短日で開花し、実を充実させる。以下はググッて判ったこと。
@原産地:中国東北部からシベリア、マメ科ダイズ属 日本に自生するツルマメが原種。Soy
bean Soya bean:中国から持ち帰った時の、醤(油)を作るマメの意。大豆:大きな豆ではなく、大いなる豆の意。
日本でも縄文時代からの栽培植物とされている。ヨーロッパへはケンペルが1712年に持ち帰ったのが最初とされ、アメリカには1804年とされている。
A欧米では1910年以前は重要な作物(マメ)とはみなされず、自動車フォードがプラスチック原料として作付させたのが、大規模生産のはじまりのようだ。また飼料としての作付が開始されたのもこの頃。1930年代、アメリカで油・飼料用に大規模栽培されるようになり、主要な投機作物となっている。
ここまで ダイズ ウィキペデア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%BA
なあんだ、である。1930年代とは大恐慌以降のアメリカのニューディル政策、第一次大戦から第二次大戦に向かう、疲弊した欧米諸国の食料事情を反映しているし、豆を食うのではなく肉を食うために、まず油を取り、大豆滓を発酵させて飼料とする、そんな政策から一躍脚光を浴びるようになったんか。大豆インク、これも古くて新しい欧米流なんだ。
戦後、GHQは、戦中に油を絞った大豆滓を醤油にしてきた食料政策に次のような待ったをかけた。貴重な大豆滓を飼料に回さず、醤油にするなんて食料政策としては間違いだ、と。
コメの斑点米とおなじように、泥で汚れていては駄目、虫食いはおろかピカピカツルツルでなければ等級外とする日本の大豆政策はもう取り繕うことができないまでに破錠している。
B短日性。短日で花芽分化、結実すること。つまり夏至以降に開花し、結実する。従って早播きの限界は草ボケしないように、夏至以降に花芽分化を起こさせること。
C開花期は種まき後60〜100日、積算温度が2000℃以上、最低気温が○○以上でなければならない。また、梅雨時期の播種は適期を逃しやすい。
つまり、栽培技術と、栽培適期は各地の気象条件、他の作物の作業に大きく左右されるのが実情。
BCは No.27 大豆 2.播種期 他
http://rms2.agsearch.agropedia.affrc.go.jp/contents/kaidai/daizuNo27/27-3-2_h.html
なんんだ、である。大豆を作ろうと思ったら、昭和30年代以前の栽培方法、技術に従えば良いのである。とりわけ、減反政策以降の、水田転作「大豆栽培」に毒されなければいいのだ。
ここで、はたっと行き詰まる。今、ばあさまの智恵はその年齢からして、30年代以前に覚えた人と、転作大豆で覚えた人が混在している。さてどのばあさまの智恵をいただこうか。
たかが大豆一つとっても、縄文時代から欧米近代化モノカルチャー・植民地政策まで視野にいれなければならないほど、混乱、混沌しているんだ。整理・整頓が苦手な私でも、私の歴史観の正しさには自信がある、なあんだ、私流を貫けばいいんだ。植物生理と、栽培植物の起源と展望。これなら自信がある。
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去年の夏至 →野良日記→6月21日 |
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2010年6月20日(日) |
多賀町 [発表]大雨警報(土砂災害) [継続]雷注意報 |
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不意を喰らった。時々、通り雨くらいに思っていた。
ところが、こんな注意報が米原市に出ていた。それで、隣町、彦根市と多賀町をクリックすると警報である。
2時過ぎにドシャッとマ雨が落ちた。2時台の時間雨量は5.5mmだった。う〜ん彦根市内は11.0mm。
米原市の下は彦根市と多賀町に隣接している。とくに多賀町は、霊仙山の頂上が境で、気象は地形からから見ると一体のようなものである。中山道宿場町、番場・醒ヶ井・柏原は北端の山裾である。ここで、土砂災害が発生したら、米原市行政は、注意報下の行動しかとれないから、とらないだろう休日だし、「注意報でした」と開口の弁を述べるだろう。
細かく分解して、予測をたて、それに従ってマニュアルを紐説き、しかるべき諸策をこうじる。細かくなればなるほど、やるべき策は限定されるから、それ以外はやってはいけないから、「予想外の事態」を招く。
これは「降水短時間予報」 午後1時30分
ちょうど彦根・多賀・米原が黄色から橙色になっている。雲の流れが早かったので、短時間で雨は移動した。
何をブツクサいっとる、と言われそうだが、天気予報も交通事故並みに予想されるようになった、ってことか。 悪いのはあなた、痛いのは私。痛みをあなたにあげる訳にいかない、自己防衛だろうなあ。

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平成22年 6月20日12時58分 彦根地方気象台発表
滋賀県の注意警戒事項
滋賀県では、20日夕方まで土砂災害に警戒して下さい。
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米原市 [継続]大雨,雷,洪水注意報
特記事項 土砂災害注意 浸水注意
土砂災害 注意期間 20日夕方まで
浸水 注意期間 20日夕方まで
1時間最大雨量 40ミリ
雷 注意期間 21日昼過ぎにかけて 以後も続く
洪水 注意期間 20日夕方まで
付加事項 竜巻
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2010年6月19日(土) |
いつもの柿の木に、太いツルが垂れ下がって?? |
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?柿の木にツルが垂れ下がって?ン、どさっ。
近寄るとぶっとい青大将。草むらに身を隠す。結構臆病なんだ。スイカズラのツルがあるし、鳥がよく止まるし、木の上で寝てたのだろうか、足を滑らせて落ちた?それとも飲み込んだ卵を割るために落ちることがあると聞く、なんだろうか。でっかい青大将がこの辺りを巡回しているのを何人も目撃しているし、みんなが知ってると、3人いれば「みんな」なんだそうだ、連れ合いには。確かに人口密度2人プラス猫♀1匹の暮らしだから、3人は「みんな」だ。
家では。ごめんやっしゃと、シロクロ鼻クロ君が猫エサを食べている。近寄ると、「ウー、フイー」と迫力が無い。その合間に、ガツガツとエサ皿をかじる。ますます迫力がない。なんやとばかりに猫♀があらわれて、これにまた迫力のない威嚇をする。猫♀はなんやねんと威嚇もしない、鼻からバカにされたシロクロ鼻クロ君は2階へ駆け上がった。部屋の隅であおむけになって、猫♀に「ウー」と言うが、それでは猫♀も「なにほたえてんねん」と取り合わない。
なんとも、梅雨空の蒸し無視。まったく存在感のないやっちゃ。 |
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2010年6月18日(金) |
犯人は、お前や! もうかなんなあ |
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昨日、お出かけ。ん!この汚れはなんや?運転席から、汚れが見えた。
今日、再び、くっきり見えた、確認した。
お前や、オマエ、うごかん証拠を残して。浅はかなやっちゃ、泥足で歩くからや、シロクロの鼻グロ君。君の仕業や。
猫足ペタンペタン。砂ぼこりのついたボンネットに泥足、さし足するからばれる。
普通は、奇麗に洗車しておくものだ、そのうえで汚されんようにせえと。
最近、シロクロ鼻グロ君の定時巡回コースに家ん中、猫♀エサ皿を舐めまわすオプションが加わって賑やかなもんだ。 |
猫足ペタン206cc |
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2010年6月17日(木) |
アメバチだと思う |
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アメバチだと思う。ヒメバチの仲間、イモムシに卵を産み、やがてイモムシから出てサナギになり羽化する。寄生バチの仲間。とってもかわいい。
我が家に訪れた新顔、森越の畑で仕事をしていた時に服にとまったのだろう。昼食のテーブルを共にした。
森越にいる時間が長くなったってことだろう。
と、ここまで書いて今日撮った写真を閲覧している。あれもこれも、どれもそれも載せたいけど、すでにおねむの時刻を過ぎている。
サツマイモの定植のサワリは「おはら野農園」に載せた。このアメバチはもう少し詳しく調べないと「虫たちの生活誌」にはならないだろう。ひっくり返ったおもちゃ箱はそのままに、寝ることにしよう。梅雨の晴れ間は予想以上に熱かった、そういうことにしよう。 |
寄生バチには、アオムシコマユバチがいる。こちらはキャベツなどにつくモンシロチョウのアオムシに卵を産む。 →こちら |
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2010年6月16日(水) |
ひねもすのたりかな |
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日が暮れちまったわい。いちにちがかり、畑を耕して参りました。以上、報告終わり。係日誌につけておこう。
スーパー平和堂の明かりが、カラスと交代で点いた。

わずかばかりのサツマイモの畝を、一日がかりで作った。始めた頃は日は東。明日は、ここへマルチ、明後日はサツマイモを植える。スローワーク。
思うに、獲る・採る生活から、採りつくす・獲りつくす流浪の生活へ。そして現代、ほどほどに獲りつくさない、再生可能な採りつくさない生活へ。それって程度の認識の問題で、限りある資源、再生可能な保全たって、死ぬまでが命の脳みそが考え出した智恵な訳で、死んで先、脳みそは認識しないから、生きてる限りの智恵。
それで、こんな伊吹山もある。
戦後、間もない頃、今はガレ場となった裾野の集落を移転させて、一山削って、操業終了となったセメント工場が掘りだした採石跡地。企業は都市に残っても集落が再生されることはないだろう。
琵琶湖国定公園はこの山の大部分、鉱山権のある部分を除外して設定されているから、一山崩そうがお墨付きな訳で、御都合主義なラベル貼りは今も昔も、かわんねえや。
自然観察会、手頃な高原植物の群生地、伊吹山山頂への伊吹山ドライブウエイ。これも地図を辿るとほとんどが岐阜県、国定公園指定外地、お手軽なもんだ、守るも攻めるも。
交付金・補助金が出るならやろう自然保護、出るならやろう出んならせん農業、付き合いたくない。
ひねもすのたりかな
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2010年6月15日(火) |
伽羅先代萩 |
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「伽羅先代萩めいぼくせんだいはぎ」には色気を感じるけど、「樅の木は残った」には野暮が見える。
シュールさんの畑には、屋敷の庭から動かした花木が畔際にある。雨模様の空に、存在感があった。
おお、これが有名な先代萩か。「平幹二朗と吉永小百合よ」と、さすがシュールさんである。さっそくググッてみた。NHK大河ドラマ、1970年放映。山本周五郎原作。道理で私が知らないわけだ。アンチ大嫌い大河ドラマ派なのだ、私。しかも1970年、青春まっただ中の私が知らないのは自慢できるほど正しい。
この大河ドラマが大っきらいなことと、平幹二朗、吉永小百合、先代萩とはまったく関係ない。ただ、大河ドラマが嫌いなだけで、彼、彼女、先代萩を排除することはない。
梅雨空に先代萩が、シュールさんの畑に似合った。書き留めておかねば、、、mm。 |
先代萩:隣のシュールさんの畑 |
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2010年6月14日(月) |
梅雨入り、降るのか、降らんのか。待ち受けモード |
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昨日、おはら野が梅雨入り。降るのかどうだが、判らない空を眺めて待ち受けモード。様子見に外へ出て、ハウスにひっこむ。
詮無くハウスの草むしり。暫くぶりに中をゆっくり眺めて、草ボウボウを確かめて、草引きを始めた。チコリの花が満開。キク科のレタスの仲間のこの野菜は多年草?
ハウスのトウモロコシが食べごろを迎え、「もう獲っていい?」と聞く。ヒゲがまだ白っぽいが食えるだろう。この時期収穫のトウモロコシは虫がつかず、奇麗な粒を食できる。

mm、片付け仕事のような一日だった。しかし、こんな日がないと、どこに仕事したのか判らなくとも、明日からの仕事がどことなくはかどるから不思議だ。
だんどり仕事の前の、お片づけとでも。
mm:手癖。出だしが思いつかず、キーを叩く私のホームポジション。
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すこし若かったが、フレッシュ |
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2010年6月13日(日) |
中山道、宿場町、居醒の清水 |
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醒ヶ井水の駅に野菜を納品しての帰り、時折立ち寄る。宿場町の中を通る。関ヶ原の方へ半ばを過ぎるとこの居醒めの清水がある。生活と観光が一緒になった風情は、土産物屋やけばい飲食店もなく、のんびり歩ける。プロムナード風に舗装された街道は、そのためか「歩行者専用道路ではありません」との立て看が所々にある。
夏の梅花藻見学の季節が近づき、一方は見学観光客、一方は生活者、街道の両脇は民家でそれこそ、見学OKだろうと土足で庭先に入られてはたまったものではないし、家を出入りする車を邪魔物扱いされても困る。
観光地化は観光客と受け入れ施設の間で取り交わされるマナーやモラルによってなんとなく取り決められているかに見えるが、それは生活者の視点を欠くことが往々にしてある。その一方で観光地化で自然素朴な味わいを失っていくとの言い分は、なにもかも都市生活者のモラルによってしか保てないという我が儘にも繋がっている。
だいたいがこの居醒めの清水がこの現在の位置にあるのは、名神高速道路建設によって、真上を通るルートから現在の位置に移設した結果である。西宮〜栗東の開通、続いて栗東〜大垣が開通、その結果、居醒めの清水も隣の神社とともに移設された。
「熟年・定年」、「日帰り安上がり」旅行のブームの最中、この醒ヶ井宿は、静かな佇まいと梅花藻、ハリヨの生息地として脚光を浴びている。番場の宿から関ヶ原の宿まで、室町時代から関ヶ原の戦いまで、日本を古代から近世へと転換された時代(中世)のドロドロした内実を秘めたこの辺りの散策の拠点として見直してもいい頃だと思っている。 |
冬の醒ヶ井宿はこちら →冬ダイジェスト醒ヶ井
→冬、池も凍てつく →冬の中山道、醒ヶ井
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2010年6月12日(土) |
ヘアリーベッチ |
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庭草の畑の用水に咲くヘアリーベッチ:マメ科 ソラマメ属 西アジアから地中海東部原産。
hariry vetch (髪の毛のようなカラスノエンドウ) クサフジ。
牧草・緑肥植物として日本に入ってきた。この辺りでは、用水の土手に野生化している。アレロパシーがあり他の植物を抑制して生えるという、しかしそれは程度の問題で結構共生している。
この草を土手草にしようかとも思う。しかし、カラスノエンドウより背丈が高くなり、必要に応じて刈りこむ際に、ツル性のマメ科特有の刃に絡みつく、面倒を思い、しない。まあ自生している分には絶やそうとは思わない。
花期が終わってのたうちまわるまで、クサフジの名の通り夏草の花として遠目に奇麗。
そうか、ソラマメ属か。すると実は空を向くのかな、今年は確かめてみよう。 |
11 June, 2010 |
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2010年6月10日(木) |
m |
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@この著作物の著作権者である私は、ここにその権利を放棄し、パブリックドメインの状態にします。これは全世界で適用されます。
A法的にこれが不可能な場合:
B私は、法で要求されるような条件を除きいかなる条件も付けず、あらゆる人に対してその目的を問わずこの著作物を利用する権利を認めます。
上は、ウィキペディアのウィキメディア・コモンズから引き出した、項目に付せられている著作権に関する宣言である。
@ABの記号は私が付けた。@が主文、Aは、@が不可能な場合には、B。
つまり、著作権を放棄しても、法的に、その著作物に法的な規制がかかっても、(あらゆる人に対してその目的を問わず)の目的が、法に触れても著作物を利用する権利を認める。
平たく言えば、造反有理・革命無罪なのである。日本人はこのような心情を共有していない。
更に言えば。これは著作権について記述されているので、その著作物に生じた他の権利はこの限りではないことは自明なので、ここでは規定されていない。
日本語では条約と訳されるプロトコルprotocol議定書は、法が違いルールが違う者同士が意見や態度を顕すさいの相互に了解した手順書のようなものである。コンピュター用語で使われるプロトコルも同様のもの、記述言語の違うコンピュター同士をつなぐときにプロトコルが必要。
キリスト教におけるプロトコル、神の意志を人間に判るように顕すさいの手順書に由来する。時として宗教裁判・魔女狩りにまで発展した。
つまり、直接には理解不能な相互を取り持つ手順書なのである。
どうやら私の一文にもプロトコルが必要みたい。
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墓標 |
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2010年6月9日(水) |
singing EON thinking my basket |
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バスケット一杯の納品、バスケット一杯のお買い物、いまだ行きのバスケットがまさったことが無い。イオンはうたい、バスケットは考え込む。
caterpiller
↓アザミの葉に。 玄関先に↓
 
芋虫、あんたは誰の子?新顔は困る。名前はまた後ほど。
左:ホソバセダカモクメ ヤガ科 セダカモクメ亜科
右:フクラスズメ ヤガ科
どちらもカトカラ。下羽がとっても奇麗。 とりあえずなので、?付き
きっとこんな日が来るだろうと、子供にかこつけて求めて置いた。スズメバチの巣、caterpiller、クロネコクール宅急便。さて子供がせがんだのはどれでしょう。
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2010年6月8日(火) |
クローバーはマメ科、ならば豆ができている筈。 |
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昨年の今頃、田んぼの畦にクローバーを植えた。そこそこ以上に生えた。今年は畑の縁に植えてみようかと、企んでいる。屋敷のまわりにたくさんあるクローバーを引っぺがして育苗箱に入れて暫く養生、それを市松模様に貼っていく。これが楽。
今年はそれに、種を採ってばらまく。を試みよう。
はて、クローバー、シロツメグサ白詰草:マメ科シャジクソウ属、ヨーロッパ原産の多年草。シャジク車軸草なんだろうか、それはちょっと置いて。
マメ科なら、種の前に豆ができるはず、きっとできる。
それで、×20倍で覗いた。左がクローバーの花、その中に豆、豆の中に種。やっぱりマメ科なんだ。あらためて感心してしまった。それで、今日の大半が終わる。生きてて良かった一日。
ピーピーマメよりずっと小さい。この小さな豆を食餌にする動物はだれだろう、それとこのひと房に2〜4個の種、それがぎっしり集まってあのボンボン、それが群生しているわけだから、シロツメグサの戦略は一杯ばらまいて生き残る。なのだろう、この豆を食するテーブルはスプーンおばさんのキッチンよりも小さいのかも知れない。 |
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2010年6月7日(月) |
今日のhana |
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宿根スイートピー、ズッキーニ。
花茎が短く固い、アレンジかブーケに。ズッキーニは一日花、写真は雄花。
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2010年6月6日(日) |
今日は野休み |
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毎日が日曜なおまえに、野休みの意味を問う。こたうるにあたわず。
そんなんで、今日は野休み。田植えが終わり、集落こぞって祭り、田畑に出ることを禁ず、の日。隣町まで206cc。でっかい動輪の見学をした。D51の動輪、昔はなにもかもでかかった。昭和17年製造、昭和45年退役のD51。
このような旅があれば↓、 このような旅↓(スライドショー)もある。
カマスに柳行李、ズタ袋、チッキで運ぶ。
東京行きの切符を買えば、布団袋がチッキで送れた。そんな時代があった。今でも送れるんだろうか。長浜鉄道スクエア「旧長浜駅舎・長浜鉄道文化館・北陸線電化記念館」に展示されている。
 
←D51の運転席、ほとんど前が見えない。視界が悪くても線路から外れることは、たまにしかないからそれでもよかろう。
長浜から福井への途中、柳ヶ瀬まで開通した後に、東海道線が開通しているんだって。知らなかった。
神戸から大阪、京都。京都は哲学の道、蹴上から琵琶湖疏水を使って水運、浜大津から琵琶湖水運、長浜、そして敦賀に向かって鉄道、途中柳ヶ瀬まで。
長浜から、関ヶ原→名古屋、この長浜→関ヶ原が、馬車道とR365。琵琶湖と敦賀を運河で開削しようと計画した時代、治水とは水運だった。利根川水系の大氾濫、戦後すぐの台風で荒川が氾濫して利根川が水運から東京の氾濫水害から守るための治水に転じた。しかし、あくまで治水であって用水ではない。そうして、明治政府は、琵琶湖水運路線から、鉄道輸送に方針転換した。時代は荒々しく進んだ。
そのような遺物としての長浜鉄道スクエア、勿論、そのような論旨での展示も掲示のない。ないがそう読み解くのが歴史ではなかろうか。
ついでに。京都・蹴上の水力発電所、大津宇治の間の天ケ瀬水力発電所、姉川の小泉水力発電所、関西電力による統廃合以前の宇治川電力の仕事。この当りは、関西の私鉄の統廃合の歴史と合わせて、明治から大正の国土開発政策を垣間見ることができる歴史。今はJR湖西線になった旧江若鉄道が近江と若狭をつなぐ私鉄の壮大な構想の一部、また京福電鉄が京都と福井を結ぶ構想の挫折の結果、やはり時代は荒々しかった。
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2010年6月5日(土) |
、、を食べさせていただきました。 |
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テレビ局のマイクを突き付けられて、「、、の肉を食べさせていただきました」そんなニュースを視た。
マイクと一緒にTVカメラが目の前にあるのだろう。マイクを突き付けた人の先に、視聴者を意識するのだろうか、誰を相手に何をしゃべったらいいのか、戸惑いが自分の存在を自分の発言にためらいを隠せないその人は、おもわず「、、させていただく、、」話法をもちいる。
自分の先に、誰がいるのか見えない、もしくは自分の存在を隠したい防衛反応が、「無難話法」にはしるのだろうか。
「わっはは、安全・安心宮崎牛のロース肉を食べましたわ、わはっは」であかんのか。
カメラやマイクの先は、NHKなりのテレビ局の判断が入り、編集・報道は局の責任と主体によってなされる。構うか、勝手に報道せい、わしゃその結果まで責任ないわい、とならんのか。
それは、キャスターやコメンテーターの餌食にされたとしても、それは、報道というフィルターのなせるわざだろうが、そこで責任をとらないから、こんな話法が流行るんだろう。
取材が稚拙だから、迷惑する。そんなところだろう、ねえキャスターさんコメンテーターさん。ねえそうでしょ、レポーターのせいにする局のデレクターのせいにする、迷惑な話だ。一部でマスゴミと言われているそうだが、、、、。 |
アイスプラント;右の一枝を採って、枝先をパック(左) |
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2010年6月4日(金) |
辞任させていただく |
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辞任さす。辞任させる。辞任しえる。辞任しない。辞任す。辞任する。辞任せよ。辞任せる。辞任そ。
辞任させる・て・いただく。ありがたい事なのか、辞任って。「(ありがたいこって、お陰様で、)辞任させていただきました。」仏教徒か。お陰詣り。
()内の省略が、さかんに行われているが、話法の乱れではない、主体の消滅、責任の不在を物が立って要る、バカIME、物語っているのだろう。
有り難う、手伝えなくて。生き物が狩り。正:ありがとうってつたえたくって、いきものがかり。
桑田君のうたはわかるのに、生き物係は判らない。小学生くらいからやり直すか、聴きなれた音が違うんだろう。
カートリッジを換えれば聴こえてくる音もある、名言だなあ。
ところで、今日、庭草の草刈りをしていたら、ヒバリのヒナが飛び出した。産毛が残るヒナだった。親が近くで心配そうだった。ヒバリが巣を作るほどの草ワラになっていたんだろうか。それとも、巣立ちの前の散歩の途中だったか。 |
ボリジの花:開花しながら色変わりする |
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2010年6月3日(木) |
怒ってんだぞ |

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怒っている。角をだして威嚇している。ツンツクつついて出させて写真だからやらせ。
数日前、20数匹を数えたキアゲハの幼虫、今日は数匹になってしまった。カラスかツグミか、セキレイかに一族殲滅させられたようだ。たくさん育って、一匹生き残ればそれで良しの戦略が生きる。赤い角をだして威嚇しても効果はなかったんだろうなあ。
庭草の畑の電線にとまって啼いている。あんたが食餌したんじゃあなかろう。
国境、昔は住んでいる人の都合などなく国境が決まったんだろう。中を取り持つ代官様に任せておけば安心・安全は今も昔も変わらない。

米原市長久寺、滋賀ナンバーと岐阜ナンバーが同居する集落。全国区では、寝物語の里で有名だが、地元では全国版の情報でお茶を濁す。地元情報を次に
道路を挟んで、左滋賀県米原市、右岐阜県。人家の間を国境。またいで越境。
この水路の先に角を濠取って水屋があって一服の菖蒲なんかがあった。お寺跡の標があって奇麗に整備されて跡かたもない。
まだ銀カメ時代のネガが残っていたら、15年前の姿をお見せしよう。
局所的にこだわってみしょう。
味わい深く読み解くには、
司馬遼太郎「街道をゆく 近江・奈良散歩」24/朝日文庫/1988.12.20
寝物語の里P20
昭和三十年代から急速に膨張した土木人口が、政府・自治体の予算を餌にして、ときに餓え、ときに血膨れし、国土の中を猛獣のように彷徨している。政治家の票にむすびついては、無用のダムや埋立地や橋梁などをつくってきたが、近江にかぎっていえば生命の源泉ともいうべき琵琶湖を狙うというところまできているらしい。略
この司馬遼太郎氏の抱いた危惧はいまだにある。
共に京大農学部卒の滋賀県知事、米原市長。私の記憶ではお二人とも京大パルチザンのバリケードのどちらにおられたかは知らないが、同世代。姉川水系・琵琶湖を食い散らかさないで欲しいものだ。週末からホタルまつり。行政が食い散らかして通るところは、ホタルがいないことになるらしい。関知しません、知りませんでしたが通る世界。農学には農業土木と言う世界もある。
河川学には、治水と用水があって、日本の河川学は主に治水にあって用水は少ない。どう違うかって、違いが判らないほど治水優先。知りたかったら砂防会館の住人に聴いとくれ、とくとくと治水学を説くだろう。環境学は、土木行政の綻びを取り繕う程度にしか認識されていないらしい行政学では。
川に雨水を流し込んで、溢れたらゲリラ豪雨の責任に転嫁する、そういう治水がまだまかり通っている。
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2010年6月2日(水) |
今年の看板娘、ヘブンリイ・ブルー |
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ざっとこんなもんよ。できあがあり、スカイブルーの支柱、でっかいポットのヘブンリイ・ブルー。決める時は決めるのよ。
花の苗以外はなにもない、軒先、直売「おはら野」、しかし、7月には色々でてくるだろう、きっと出てくる。出てこなければならない。
と、ここで由紀夫ちゃん、辞任。右派に足引っ張られて辞めるんだって。社民右派、民主右派、現状維持派に負けた。つまり、なにも変わりたくない日本国民に負けた。「沖縄」「基地」に反対してるだけが精いっぱいの右派に負けた。「米軍は、日本から出ていけ。さもなくば日本の指揮下に入れ」と正しく主張できない右派に負けた。
米軍は日本の指揮下に入って、少なくとも極東では「平和維持軍」日本派の指揮下に入って世界の番兵気どりはもう止めなさいと、きっぱり。
由紀夫ちゃんが一郎君を道連れに、辞めるんだって。事業仕訳、利権・権益の付け替えに一郎君さえもあきれたのだろうか、天下り先の付け替えに抵抗した守旧派に負けたんだろうか。
いづれにしても、「変化を求めない」国民が、民主党圧勝を導き、「変化を求めない」国民が見捨てた。また、「変化を求めない」自民・公明・社民、共産連合、野合の時代が続くのだろうか。民主党「変化を求めない」派はどこへ行く。
小林千代美ちゃん、名指しで辞めなさいと言われてしまったね。名指しされて辞めるのは、政治家の命を失うことよ。遅かったね、今更辞めても地獄、辞めなくっても地獄、どっちを選ぶかそれはあなた次第。
あっ衣替えか。sorenara、意匠を換えれば流行りのドレス、ベンベン。
人気者で行こう Miss Brand-New Day/サザンオールスターズ/VIH-28179/1984 /EPS-53STDD+EPC-280C
今回の参院戦は、宝塚ファッションはもう捨てよう、東京渋谷派に委ねよう、ってか。
よどみ萎え、枯れて舞え/VIH-28179
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2010年6月1日(火) |
衣替え |
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家の前を行く学童が夏服に変わった。衣替えというそうだ。かつては季節に服を変えていたのだが、今では流行りで服が変わるので、服から季節が判らない。ただ人に押し付けるに、「衣替え」が残った。無責任だけが残ったということか。
そんなんで、「あれっ?」で6月を迎えた。このHP野良日記もリンクのずれを修正しないままページ替えになっているので、数日は不便をかける。うまくリンクしなかったら、タイトルメニューバーで移動して欲しい。
←ツバメ。このようにドイツのジェット戦闘機:メッサーシュミット Me 262
(Messerschmitt Me 262 "Schwalbe") が、
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC
%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Me262
←迷彩色に塗られて格納庫前に集まった様子が上空から見える。プラモデルを作って、遊ぶには、ぬべっとしたデザインがいまいち、冴えないから、隼や0戦に負けるのは仕方ないか。(5月31日の話の続き)
軍用は、目的合理性を追求するのでそのデザインは一途なものになる。一途な思いをデザインに託してj戦争という情念を燃え上がらせる。しかし、少年の「戦争ごっこ」は、例えば「奉安殿」、
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%AE%89%E6%AE%BF
を取り壊したはいいが、基礎のコンクリートがむき出しで、校庭を駆け巡った少年が、け躓いて、生えたばかりの永久歯を木っ端みじんに砕いてしまったまま成長し、うづく前歯痕を押さえてプラモを作った、それって寂しい思い出ではある。「戦争ごっこ」に潜む「反戦」の遺恨。私の戦争体験。
プラモ作りは卒業した。家の前の「直売コーナー」に朝顔を育てることにした。朝顔の釣瓶をたてようと、ペンキ塗りを始めた。ハウスやハヤトウリの支柱に使うパイプに色を塗らねばならねば、、、「そこまでするか、、チャッチャとでけん、、、すぐフリーズ」と横から連れ合いの茶々いれ。
だって、ブルースカイに似合う朝顔の釣瓶でなければ、ならねば、、、、。このペンキ塗りで突破して、朝顔ー直売コーナーを全面展開するぞ!!
昨日の続きのU
欠席することの少なかった古文・漢文。では多かったのは、筆頭、英語、横文字は苦手だった。おかげでいまだにローマ字とアルファベットの区別がでけん。実験の無い日の物理と化学、実験だと意外な展開があったけど、、。宿敵が講義した倫理・社会は外すことができない授業だった、おおむね出席したように思う。美術は2時間通しだったから使いでのある授業だった。数人と自主的にボーリングに変更して校外活動が終わって表に出たら、体育も校外活動のマラソンで、鉢合わせになった。麻雀にしとけば良かったが、そちらはやれる面子を揃えるのに手間取るので、行くべ、で賛同者が集まりにくかった。
なあに、3学期の集中受講で、つじつまは合った。 |
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