園長の野良日記  2011年 1月

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      2010年11月     206cc的ツアー、R303、R417  紅葉を愛でに、ドライブ
      2010年9月      藤原新也の公式サイト→ 「インド放浪」以来、それなりに読んでいる藤原新也のインターネット上のURL
      2010年1月〜     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します
      2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災
      2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
      2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
      2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。

  
2010年10月。本を読む、というページを作ります。  →本を読む 
2011年 1月 当月 
2010年 1月 2月 3月  4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
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2007年 1月 2月 3月 4月 5月 /
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月     8月    10月 11月 12月

 
25 October, 2010 18:53:02  2010年8月の野良日記が表示できなくなっている。復旧まで、お時間を。
                            オリジナルソースにエラーが出て、文字化けしている。このままサーバーにアップすると、2009年10月のように文字化け表示になる。
25 October, 2010 20:50:44  結局、壊れて文字化けしたファイル「2010年8月野良日記」が表示されるようになった。かなんなあ。
01 November, 2010 11:12:22  参った、ファイル「2010年9月野良日記」も壊れた。
                          それで、2009年10月、2010年8月、9月が文字化けしている。危うく、10月も文字化けするところだった。
壊れるファイル
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2011年1月31日(月)
猫♀ ハンティング
  雪が降ると、エサが無くなる。食餌に、家の近くに近づく。猫♀のハンティングの機会が増える。小屋にモチキビが置いてある。それを食べに、アオジが来たようだ。出かけたと思う間に、ゲットして帰ってきた。
  小鳥が食餌を求めて、近づくのは仕方ない。猫が、カラスに挑戦して手に負えなかったようで、ハンティングが小ぶりになった。これで、四匹目になった。どの子も、妨げる訳にはいかないだろう。




  昼から、雪は小康状態。このまま穏やかに、太郎の屋根に雪がふりつむ、ってことになって欲しい。
2011年1月31日(月)
この冬、一番
  降る、降る、積もる。降る、降る、積もる雪、ふわふわ雪。

 米原アメダス →http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-60102.html?groupCode=43&areaCode=211

2011年01月31日 米原(マイバラ)
北緯:  35 度 23.0 分 東経:  136 度 20.6 分 
標高: 147 m     昨日の観測データ


時刻 気温 降水量 風向 風速 日照時間 積雪深
mm 16方位 m/s h cm
1 -3.0 0.0 北西 1   39
2 -3.7 0.0 北北西 4   38
3 -4.0 0.0 南西 1   39
4 -4.4 0.5 東北東 1 0.0 41
5 -4.8 0.0 北北東 1 0.0 41
6 -5.2 2.0 東南東 1 0.0 45
7 -5.1 3.0 1 0.0 50
8 -4.9 2.5 北北東 1 0.0 54
9 -4.6 3.5 静穏 0 0.0 59
10 -4.2 3.0 2 0.0 65
11            
12            
13            
14            
15            
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 寒い、ふわふわ雪。6時頃から降り始めた雪、除雪のスタートが早朝から。幹線道路が終わって、集落内やその他の道路の除雪がはじまった。




  融け込む猫♀


 ハウスの雪が落ちるのを眺める猫♀
2011年1月30日(日)
ほな、行ってくるわ。きぃつけていきや。
  昨日掘った野菜、小屋の水道凍ってるわ、洗えん、といいながら、田舎のネズミさんは、町のネズミさんへ送る荷造りをしましたとさ。

  シロネコさんも、クロネコさんもシロクロネコサンも、田舎のお母さんの言う事はよく効きます。
  「とっとと、行きや。寄り道しとったらあかんで。道中、雪かもしれんから、きぃつけな」

  明日は、町の子に届く。クロネコさん、おきばりやす。
2011年1月28日(金)
早い話が、走る洗車機
  雪の新幹線、関ヶ原→←米原、

  スプリンクラーの親玉が、床下に水をぶっかける。で、雪玉を落とす。落ち切らない雪玉は、新大阪駅と名古屋駅で停車時間を延ばして、落とす。







2011年1月28日(金)
汚い足、拭いてから上がり、、
  雪がぬかるんで、泥足の儘上がる猫♀二匹に業を煮やした連れ合いが、猫の王道、花道、、絨毯を敷いた。お雛さまの日は赤い毛氈に雪洞の、、楽しみだわ。

  珍しく猫♀が独りで朝のトイレに出かけた。

  何故って、斯様に足跡がある。出て行った気配がないのに、戻ったらストーブの前にいた。名探偵を呼ばなくったて、家政婦を呼ばなくても、歴然なのは、雪。












  先日、レスキューしたばかりだった206cc、泥足で上がってこられてはかなわんので、カーポートに繋いである。





  50センチの雪。それでも、子供たちは集団トコトコ。私だったら休むね、さもなくば途中下車で野遊びだな。


2011年1月27日(木)
きれい、きれい、デオドラント世代の隔離
  きれい、きれい、デオドラント世代が、思いついた。

  もう、これ以上、鳥インフルエンザ被害を拡大させないために!
  水辺に近寄って、カモの糞を踏まないようにしましょう。
  カモと見られる小動物のフンと見られる、糞を見つけたら
  シューしちゃいましょー。

  馬鹿にすなー、怒。ざけんな!怒。日本に鶏が渡来する以前から、カモは日本に飛来していた。
  戦後、俄かに興った「集団養鶏」卵の格安安定供給の結果が、今の結果につながっているんじゃないのか。「分離・隔離」に断固反対するぞ!!!

  卵が無いから、ケーキがつくれない、ってか。ケーキが無ければ、「パン、喰えばいいやない」


  小皇帝の庭、着雪したメタセコイア、竹垣の風情を見せる、隔離エクステリア。たまには「存在感」キショイ単語だこと、を見せねば、、、、




  だからって、もうじき8時。

  未来の区長候補、字長がホイッスル吹きながら「集団トコトコ」やってくる。

  フエ吹く奴も奴だが、吹かれて従う奴も従う奴。きっと、サウンド・オブ・ミュージックみても、絶対、感動するやからだろう。

  幼稚園が一緒、小学校も一緒、中学校も一緒、墓まで一緒。幼稚園から給食、ずっと給食、葬式の時はみんな集まって会食、同じ釜の飯食って生まれて、食って死ぬ。



  生物多様性の崩壊、だわ。「我が、山東町には、いじめはありません!」と、いじめられ泣く子の親に、言い放った学校があったそうだ。かくて、隔離エクステリア。基地の街、沖縄で只一つ、内に向かって柵がある少年院、さて、このエクステリアはどっちむいているのか。

 21 January, 2011  滋賀県・長浜港の水鳥と見られるフン
2011年1月26日(水)
雪の日の新幹線
  雪の日、ラッセルして撮影に向かう。んなんてことはしない。車の中からこのように写真できるポイントで待つ。ここは、秋に、コスモスと新幹線を狙ったところ。

  横殴りの雪の中で、トンビが風に乗って遊んでいた。遊んでいたかどうだか、遊んでた。








  
  秋、コスモスね。

   →去年のコスモス(見当たらない)
2011年1月25日(火)
愛情本位制経済社会とマイクロクレジットあるいはソーシャルビジネスを巡って      一考察
  こう持って、こう折って、ね、空気が抜けるでしょ。そんで、クル、クル、クルって三回折ると、仕上がりがぺシャッとなって積みやすい。で、4回折ると、バシッと決まって中のコメが動かない。
  こうでしょ、こうでしょ、で、こう曲げて、ここを通してキュっとね。バンドが閂になって抜けないのよ。でも、ここを引っ張ると、ほおらね!簡単にほどけるんよ。ノンタン、アババ。

  蔵出米。埋蔵金じゃないんだからここにあるのは米、自家用米。愛情本位性経済がもたらすものは、なあに、米なんて百姓を絞ったら米何ぞいくらでもでてくると、思うな、親と金。
 


  蔵から出して、コイン精米機。「お米はお米入口に入れてください。お金はコイン投入口に入れてください。精米はお好みのボタンを押して開始してください。」

  横のじっしさまは、米を載せた一輪車押して、自転車押すばっさま連れてやっとるわ。車がないとどこへも出られんと、おおこわ。

  ほれ、じいさん、お米いれとくんなはれ、ゆうてはるがな。 硬結びしときよるからほどけんのや、まちいな。ほれいれたで、袋置いたか。 袋、じいさんが持ってるがな。
  娘が米送れゆうが、この大雪でようよう道が明いて、ほらまた降ってきたがな。はよせな大根掘りにいけんがな。
  あわてな、はさんだらあかんから手いれたらあかんて書いてある。  ほなよけのまいするん、じいさんだけや。わしはせん、お利口さんや。  おこぼれを待つスズメさんが、わろてはる。うふふ。







  三島池の鴨さん、輪になって踊ろ。凍った池に雪が積もって、輪になってツルンツルン。なにほたえてるんや、こけて怪我したらどすんねん。
2011年1月24日(月)
農業土木
  農業土木機械の目的外利用。年末、オートマが壊れて以来、せいだいに乗ることになった206cc、town use早い話がスノーを持ってないもんだから、斯様に出動前に、雪かきとなる。

  散歩・買い出し、ジャスコへお買い物。そのめえに一汗かいてシェクシェイク。ニュータウンに引っ越した頃、近所にジャスコがあった。やがてでっかいジャスコが進出してきた。小さいジャスコが無くなると思ったがドッコイ、生き延びた。ゆとりのおおジャスへ家族でお買い物、あんたらまっとき、すぐ帰ってくるから、と口を開けてピーピーと啼く子供たちを置いてちいジャスへ買い出し。

  今日はおおジャスへお買い物、ジャスコで買いましょ、ジャスコでね。さかな、さかな、さかな・かな・なか、さかなVS野菜を食べましょ、野菜をね。今日はアル・プラ(ザ)の負け。いえ、私はどっちゃでもええんですけど、かみさんがね。このサイズの幸せを噛みしめて、いかが駿河の海苔巻きせんべえ。

  これもなあ、あれもなあ、「児童労働や怒!!」、お怒りはごもっともで、バナナは如何?。ゲット。

  畑にコンビニ弁当を放りこむ奴がいる。拾っては小屋の分別ゴミ箱へポイ!。ストライクしなくて入口に転がっていた。
  「たかっちゃんは、最後までやらんから、怒られるねん」





  確かに、これじゃあ、ゴミを捨てたと思われるわな。ひろてきたのに。

  雪が解けると、まあ、あちこちがこんなん。
2011年1月23日(日)
コーヒーブレイク ペンションライフ
  いやぁ、懐かしいカップのコーヒーブレイク。写メしてしまうところだった。
  裏に感温があって、コーヒーを注ぐと、”おとうさん、がんばって”、って。お誕生日プレゼント、ああ懐かしい。がんばる父さんも、がんばらない父さんも、じいさんになってしまったもんだ。

  ヨモギパン。「児童労働」のKIT KATはもういただきませんと、おっしゃる連れ合いは、パンを焼く。ネスレさん、そういう時代なんですよ、あなた。働く父さんが偉かった時代は、とうに過ぎた。だから働かない爺さんをポイしちゃいましょう、時代も過ぎたってこと。

  「主食のコメを守れ!」、って、あなた。コメを主食だと思わない文化とは、主食と副食の概念を持たない文化なんだから、文化の衝突を言うのなら、食物を、「主食と副食」に分けて考える文化と、そもそもが「なんか分ける根拠」でもあるん?とあさってに笑われるだけよ。
2011年1月23日(日)
ルンナ 私 うふふと笑う
  電線に着いた雪を眺めてる。ポトンと落ちると、うふふと笑う。ハウスの雪がザザッーと落ちるのを見て、うふふ、、、可笑しいのだそうだ、箸が転がってる、、うふふ。寺田虎彦の「団栗」を思い出した。


  ついて来ないので振り返ったら、雪を蹴っている。うふふ、川が雪で関戸められた。
  続きをやってると、いつまでもやってると川が溢れて怒られるで、と言う。
  そうかあ、それで、「たかし!なにやってんにゃあ!」といわれるのか、いたく納得した。

  他愛のない身の丈の、毎日を過ごしている。


  BS・NHKが「公務員に争議権は要らないと大多数の国民は考えている」と報じる。
  労働争議権のない国を民主主義国家と呼ぶんだろうか、争議権を許さない憲法を持つ国を民主主義国家と呼ぶんだろうか。しいたげられ、差別される人たちに、付与するものとでも思っているのだろうか。
  公僕??、立場や職業で、権利が違ったり、はく奪される国を(曲がりなりの)「」付きの「民主主義国家」とは、呼ばない。  まあ、この国は、民主主義が成立する前に、公僕(公家に使える人々)社会主義が、奈良・平安時代に成立した国でもあるが。

  付与される側の身になればなれば判るのだ、この国の人たちは、付与する側にいるとでも、思っているのだろうか。

  身の丈を縮めて暮らす人たちが、やはりこの国で暮らしていることを知らないのだろうか。
  「生きさせろ!」という、身の丈から発した言葉を理解できない人たちが作る民主主義なんて、そんなもんさ。
  私のことではない、と思った、アンタにこの言葉を送っている。殴る真似はよせよ、なあ兄弟

  「兄弟に相談に行ったら、殴られた」 ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(A Change Is Gonna Come
2011年1月22日(土)
ウレピー
  2〜3週間かかると言ってたモニターが治ってきた。ジョーシンの3年保証に入っていて「よかった!!」
  なんと、LCD交換7万円也。金くれっていわれたら、「バカにすなー!」だったんだけど、余裕の「有り難いなあ!」

  バイオ君にはピンチヒッターご苦労さんと、消灯してもらった。でも、1年前に求めたNEC、〆て12万強のパソコンのモニター修理に7万円でっせ。新しいの買っても3万でお釣りがくる。やってられません。

  明るい、もう少し暗くしよう、また今度ね。
  パソコンなんて気合よ、気合、ばぁといこ、バァっと。なんとかなる歴も還暦を迎えると値打ち。
2011年1月22日(土)
お題は、雀


  退屈をダースで抱えて、ハウスに出かけた。ハウスはスズメのお宿だった。家のハウスは猫♀の狩り場になっておちおちしてれない、でもここは広い、猫は来ない。

  もしも、僕に翼があったらなあ、
  空は僕のもの、高く高く飛ぶんだあ





  追いかけるからあ、サイドからサイドへ飛行する。




  鳥ってこんな風に羽を動かして飛ぶんや、感心するわ。




  台所で遊ぶ鳥、カエル、火落菌
2011年1月21日(金)
散歩
  朝から、そわそわする、落ち着かない。なんとなく読めて来た。正月から畑に雪がドンとおおって、どうやらすることを失って、居間をウロウロしているみたい。

  散歩、散歩や、歩くんやで、車の中でじっとしてたら一緒やで。

  犬の眼にも、クソ、、、ググッテみると、犬の糞が汚いだの、病気がどうたらと、どうでもええショウムナイことばかりヒットする。アホクソ。


  長浜港、長浜ロイヤルHから。湖上にプカプカ浮かぶ鴨をみようかと、まずやってきた。

  わぁ、鴨さんのウンコ!、とおっしゃる。隣の岸壁には「小さいウンコはするな!」と落書きしているから、大きいウンチしたのだろうか。よく見ると、小便するな、だった。ものは読みよう。

  南浜に移動して、電柱に留まるトンビをみてたら、Vj字編成を組んで、鳥が飛んでいった。白い腹の群れだったから、??誰だろう。私のデジカメはこの程度よ。





2011年1月20日(木)
新幹線、鴨
  三島池近くのため池、ここにも鴨がいる。あっちとこっちを行き来しているのかな。凍ったため池の片隅に寄っている。すぐそばを新幹線が走り抜ける。米原を出てすぐのトンネルを抜けると、志賀谷集落、伊吹山見える側にある。すぐまた、関ヶ原トンネル、こちらは大野木山を貫通している。
  写真の新幹線は、下り。この区間に、関ヶ原で床下に着いた雪を落とすための融雪装置が勢いよく水を噴き出している。
  開業当初、雪の関ヶ原は冬のTVニュースネタになった。革新的技術の塊と騒がれた新幹線もここ関ヶ原でこべり付いた雪を、落としながら走って床下の機材を壊した。

  上越新幹線が開業する頃には、あの駅を降りたらそこはスキー場「越後湯沢」をどうこなすのだろうと、思った。スカートを長くして、機材を被ってしまった。
  安定的に速度を上げる技術だというが、わたしなんか、雪除け雪国仕様だと思っている。

  フェンスがあって、気付かずに通り過ぎる。以前はここにヒシが一杯あった、今はない。
  三島池にヒシが無くなり、冬の田んぼに水が無くなり、ヒシクイ(雁)も飛来しなくなった。ヒシクイや白鳥を観るには湖岸まで出かける。
2011年1月18日(火)
ヒヨドリ
  う〜ん、ピントはあったが、色彩が、、、。アゲハは本当、ピクニシャンなんだ。吹雪のなかで、ハンモック、登山ならビバークというべきか。


 渋柿に、ノイバラ、スイカズラが絡まっている。確かに、ここだとカラスや他の鳥の来襲を防げるのかも知れない。


  ところで、猫♀は、今日もヒヨドリをゲットした。家の周りに雪がド〜ンと積もって、立木の、金木犀の下辺りしか土が見えないので、標的にされているようだ。食う奴、食われる奴、、、、、。

  誰も教えないし、学習したり考えているようには見えない、生物の戦略。
2011年1月17日(月)
一人前
  まだまだと思っていた猫♀が、捕まえた。ハウスの様子を見に行って帰ってきたら、居間でバタバタ駆けまわっている。部屋に羽が散乱している。鳥が飛ぶ、猫♀が飛ぶ、茶碗が跳ねる。

  籠に入れて二階に置いてあるが、まず助からないだろう。



  32mmパイプ。50センチの雪に耐えてくれるかな、次の20センチの積雪に耐えてくれたらサイドの雪かきはせずにすむんだが。


  ツグミかなあ、ツグミのイメージは、去年のこれ →おはら野四季 冬
         →ツグミ 冬の渡り鳥


  BSアンテナが横を向いて砂嵐、羽の散らかる居間。賑やかなこと。

  結局、ハウスの雪かきをした。雪が激しくなって途中で止めたけど。

  ツグミは、夕方見に行ったら死んでいた、猫に襲われた小鳥は、大概死ぬ。外傷性ショックを死因にしておこう。さて、雪の中、どこへ埋めようか。湖北・ホネホネ団?剥製作りの出来る方、いないかなあ。
2011年1月16日(日)
この冬、2回目の大雪、まだ降ると言うから
  若いって、いい。素足で雪の上にいる。おおさぶ、といいながら雪かきを始めた。うまくなったもんだ、ずーっと押して行って、ポイ!、手際良くなった。



  雪の日は、家の周りの写真がUPし易い。なんせ、汚れが目立たないから。





  8馬力で、えっちらおっちらやってると、じゃりじゃり、ガシガシとやって来るんです。働く自動車”ドード・ドーダー”、もう、ガンダム、発進!!!!よりワクワクするもんだから、手が止まる。



 これくらい傾いてもこけない自動車。


  今から、買い出し。うさじいポシェットを抱えて連れ合いが襖を開けた。
2011年1月15日(土)
もう、どいつもこいつも、ぶつくさ
 NECのモニターが、冬モードに入って、画面が乱れる。寒い、ストーブを焚く、乾燥する、ホコリが舞う、静電気が今が出番と部屋に充満する。モニターが汚染される。

  あのね、物理的特性、信頼性って物事の基本だと思うんですけど。このバイオだって前歴はある。PCを乗りかえる度にモニターが増える。

  乱れるNECとのツーショット、楽しくもない。三代、三台並べて使っちゃろか。

  灯油が無くなったと言う。ポンプが破れたと言う。「またあ、タカシ君したんかあ!」、と連れ合いが言う。たまたまやん、たまたま、私が使ってるときに壊れるんや。
  「もっと、丁寧にやさしくしたら、壊れへんのや」

  もう、どいつも、こいつも、、、、、、、、、、、壊れた、と言い訳し、壊した、と叱られる。茶碗が落ちたと言い、茶碗を落としたと怒られる。、、、、

  ジョウシン電器に行って、「壊れた」と言い、3年保証で治してもらう事になった。応対した兄ちゃんは、上新電機だった頃に生まれたんだろう、多分、大阪・日本橋で名うてのバッタ屋だった頃を知らないだろう。上新のパソコン販売と、高電社の怪しげな周辺ソフト、、ああ、懐かしい。大坂のパソコン使いの爺さんで知らなかったらモグリ。ユーザーとハード・ソフトの開発者が混然一体となっていた昔を懐かしんでも仕方ない。
2011年1月14日(金)
念入り、丁寧
  用があって、彦根市内に出かけた。そこは小学校のとなりで、我が母校。
  写真の宗安寺、赤門と呼ぶ。彦根城から出てくる、キャッスルロードにある。このキャッスルロードに改名されるに時、この道は拡福された。この赤門も寺内に後退した。お陰でヒコニャンはすっかり有名人になった。
  徳川時代、将軍が交代したしたとき、朝鮮半島から使者が来た。滋賀県・草津まで街道を行列してきた彼らは、中山道に入らず、一筋湖岸に寄った”朝鮮人街道”をまっすぐ(道は曲がっている)彦根城を目指した。芹川を渡って、西高の前を通り、消防署にぶつかり、関西アーバン銀行の角を曲がったここにある宗安寺(通称:赤門)を宿舎にした。
  今は”朝鮮人街道”と呼ばない。芹川の堤防を轟音を立ててブルドーザーが通った。幼かった私は、”戦車”が来た、っと堤防を転がり落ちた。路線バスが通る大通りの筈だったが、今見ると狭い。

  そんな話を書くために始めたのではなかった。この赤門に軒を連ねるようにもう一つ寺がある。 ↓








  奥に城西小学校の体育館が、まだ建ってるやん。おっさんや兄ちゃんがやって来て、工事が始まった。炉で真っ赤になったリベットを大屋根の鉄骨に跨って待ち受ける兄ちゃんに、放り上げる。兄ちゃんはグローブで受ける。そして、ガッガと音を立てて真っ赤なリベットは鉄骨を繋いでいく。60年安保の前後だと思う。

  この話でもない。

  少年が、図画工作の時間に、この寺で写生を始めた。柱と、屋根のタル木と、支える木組みに感動して、箸からハシまで書き始めた。

  一向に終わらない。一つ一つ、大きさも形の色も違う。
  丁寧に書き取っていった。春から夏へ、夏休みも過ぎ、友だちは別の絵を書いている、、、。トホホの一年が過ぎた。











  こんなもんさ。絵描きさんは、「よし、でけた」、っていつゆうんだろうと少年は思った。きりないやん、でもまだ描けてないし、、、、。色を塗り始めたところまでは記憶がある。完成したかどうか、多分未完のまま、もうええから次やりと、先生がいったんだろう。



  どの露地も、この露地も、三角ベースに充分広くって、野田や北川や、村田や佐藤が、「オォ、どうしてるんや?!」と声をかけてきそうだ。

  滋賀県人は、京都や奈良の神社・仏閣に連れていっても、さほど感動しない。このような木造の寺や宮さんで、子供の頃から遊んでいるから、大きいか小さいかでしかない。その代り、お賽銭をあげて、土産をどっさり買う。


  と、まあ、こんな風に書くと、決まって、「ちゃんとみんなが判るように書け!」、と言われた。

  今日、母校の近くまで、用事があったので、寄った。かつて正門だった入り口は、裏門か打ち捨てられた場末のゴミバコ状態だった。二宮尊徳の石像は、見えなかった。
  やっぱ、あかんわ。  一度だけ、正調派「遠足の感想文」を書いたら、校長室に呼ばれた。これは大変と首をひっこめてドアをあけたら、「たつ!書けるやないか。こんな風に書いたらええんや」
  バッカ、馬鹿しい。こんなおもろもない作文がええなんて、大人ってアホや、と確信した。


  赤門の鬼がわら。こちらの釣り鐘堂は描いていない。

 

  もうひとつの思い出。
  小学校の境にある溝。シマヘビだったか青大将だったか、掌に尻尾をぐるぐる巻いて遊んでいたら、ヘビがこんな洞に入ってしまった。綱引きになった。

  少年は半ズボンのお尻で手を拭って、「なかったこと!」って、駆けだした。翌日も、その翌日も、頭を洞に入れたヘビがいた。
  カエルを麦藁で吹いたり、BB弾を入れたり、そんな遊びをしてきた少年は、人一倍環境保護に精をだすそうだ、と誰かが言っていた。

   昔の城西小学校の正門。

  こちらから入ると、二宮尊徳の石像があった。こちらから抜け出すことはあっても、毎朝、遠回りするほどの時間の余裕はなかった。今は表通りになった旧掘を踏み渡って、職員室を避けながら教室に駆けこんでスリル&セーフ。6年生になって、「あと一年や、今まで後輩のために木造校舎で、よう我慢した」と新築鉄筋校舎に入った。職員室が近くなって不便が増えた。
2011年1月13日(木)
寒中お見舞い申し上げます
  ピクニシャンのハンモックが、凍てついている。ツララかアゲハか。





  デジカメが凍った。マクロ撮影がうまくいかない。次回に期してまず、一枚。

  こうして寒い冬を越す、あんたはエライ。あんたのお母さんはエライ。ここにしとき、と言ったお母さんはエライ。えらくなければお母さんはやってられない。


  マクロに失敗した私は、つららああ、次回に期す。







  雪掘りを待つ白菜。この葉の中に、冬越しをするヨトウムシがいる。きっといる。絶対居る。





 寒中お見舞い申し上げます

          着氷注意報の出た朝
2011年1月11日(火)
おはら野の空、ツーショット
  どうも腰の切れが悪い。ジョキングや散歩は癪なので、仕事と称して外に出る。いつもより遠いところから写真を撮った。500mほど畑から離れているかな。

  空では、正月の魚、旨かったな、腹ごしらえに遠出しようか、とトンビがおはら野の雑木林の上まで来た。
  この人も、はよついてき、お腹出てきたらあかんやろ、と言われているんだろうか。合掌



  コゲラが、立ち枯れしたナラの木をつついている。奥の椎茸はご近所のサルが食っているそうだ。


  林の中の雪も融けてきた。このまま、春。なんてことは、ない。
2011年1月10日(月)
黒豆ティスト、小豆粥
  小正月、小豆粥。子供の頃は、1月15日は小正月で、ドントの日だった。近江八幡までいくと左議長。火を焚いて、門松やら注連縄や、去年の習字を燃やしたりした。
  湖北にくると、「おこない」となる。私の感覚では、正月は、神さんにあやかって「遊んでいても怒られない日、ああせいこうせいと言われることの少ない日、数少ない現金収入のえられる日、手伝いの少ない日」だったのに対し、小正月は俗世の事初め。正月が終わって、村の人事の交代があって、「今年こそ、しっかり勉強して、サンタさん、お年玉のご機嫌とっとくんや」と、一年の始めを打ちのめされる日だった。

  それで、小豆に替わって、黒豆が入っている。「黒豆、おいしいから」。しきたりとか風習とかの縁起ってこんなもので、3年もしたら、延喜式だもんな。

  今年もおいしい黒豆、作るぞ!最後の最後まで作るぞ!、

  そうか、小正月の行事がいつか、成人式の日に移動して、その成人式が浮動小数点のように、変わるようになった。その成人式が今年は、今日。それで、今日、黒豆粥を食べた。いつの時代からか、神さんがカレンダーをみるようになった。






  ←シジュウカラ、シジュウカラよ。って言われても、家の前の桜の枝。啼いている、居る。写真ってこれくらいよ。
2011年1月9日(日)
レスキュー
  今夜からまた雪だという。ダイコン、白菜を掘り出す。カブラも一緒にネ。



  コロンコロンと畑にカボチャを捨ててある。カラスがつついている。食いものが尽きてきている。雪ん中から顔をだしたら速攻である。

  とかなんとか、言いつつ腰のあたりをひねって、ちと切れがなくなってきたぞ。ダイコンが甘い、白菜がジューシーとバクバク食ってきた結果が見える。ツイスト、シェイク・シェイク・シェイク、、、、、、、、、。
2011年1月7日(金)
ほんでもって、ブンブン
  はふはふ、あついがな、ふうふう、はふぃはふ。
  急いで食べんでええ、だあれもとらへん。

  七草粥の講釈は、→去年の「おはら野の四季 冬」→七草粥春の七草
2011年1月6日(木)
トラブルメーカー


  ここで、相談・受付が終了した。
  還暦お誕生日が過ぎた。お正月は終わり。粘菌請求の手続きに彦根まで出かける。

  住民票を取りに米原市役所へ行く。年金請求書に「住民番号コード?」を記入する欄があって、住民票にもそれを記載しましょうか?と問われる。
  なんと、平成14年に、「私にも番号が付いて、はがきで通知した」という。「ほうかあ、ワイ受け取ってない。勝手に番号ふるな。これからは、番号にタツタカシと振り仮名ふるんか」
  年金事務所で、コード記入せいと言われたらどうします?、というから、「なしは、年金事務所でつける」
  住民票記載項目から、当該欄「省略」の住民票をもらった。

  彦根市役所に、戸籍謄本を取りに行った。「事情あって、今日は発行できない、明日取りに来るか、郵送しましょか」と、いう。
  「暮れから、今までなにしとったん」とは言わずに、「ほな、郵送して。年金事務所にこれから行くが、謄本が発行でけん旨、どう説明しよう」
  「あのう、切手代頂けます?」、「(アホ!を呑みこんで)、そっちの不手際で、なんでワイが銭払わんならんねん、エエ」。「市役所で負担します」。「当たり前や、問うな」



  ノープロブレム。住民コードなしで、受付完了。謄本は後日郵送、了解。
  拍子抜けしちゃいました。
  そらそうだと思います。あれほど、根気よく叩かれて、年間、100万人が押し寄せるとなると、書類の逐一をかもてられんわなあ、私はそう思う。

  それは、完全・完璧を追求すれば、事細かく書類を精査することになろう。それとて、書類手続きの完全・完璧であって、事実の確認と追認ができれば、それで「ええんちゃうん」

  明日は、小正月、七草粥。七草は雪の下、はて、去年は、暮のうちに採っておいた。今年は、手回しよくはできず。


  雪のR8、鳥居本
2011年1月5日(水)
ユズリハ
  雪の徳源院を見ておこうと、清滝に出かけた。徳源院と清滝神社の境に、ユズリハを見つけた。春に葉を落とす、あたかもどさっと音を立てて落ちるかのように。それで、譲り葉の名をもらった常緑樹。

  春、若葉が出て、古い葉が落葉する。

  徳源院の写真は?、どうした。どうも最近不調なんである。建物が傾いて写る。電柱が斜めに刺さる。どうしたことか。そうは見えんだろ、って具合に写ってしまう。

  撮り直しだ。虫や鳥を撮っていると、まあ、どう傾いていても、こんでええんや。と、見えたまま載せるが、建物は人が作ったものだから、こう見えて欲しいという雑念が伝わって、そうじゃないだろうと、こちらの雑念とがぶつかる。
  広角だの、標準だの、望遠だのレンズのせいにしておこう。いっそ魚眼レンズでも使おうか、そんなことのできる一眼レフは持っていないが。曲がった根性は、曲がったまましか写せん、そうも聞こえる。


  下のように見えていたので、下のように撮りたかった。下のように写しそこなったので、トリミングでごまかす。テクニックとか、編集とか、小賢しい雑念が、頭をもたげてどもならん。デジタルはあかん。

  最初の一枚が、写りは悪くても、気分は写し込める。
2011年1月3日(月)
レスキュー
   去年まで、雪の日は206ccに乗らないことにしていた。昨年、オートマが壊れて、乗らないと壊れることに、ようやく連れ合いは気付いた。早急に5000km乗らねばならなくなった。それで、雪の日も道路に雪が無くなったらのることになった。
  しかし、道路に出るまでの雪を206ccは越えられない。おおげさのようだが、4駆・スノーの軽トラのようにはいかない。雪かきを初めてした。そいでもって、醒ヶ井まで雪見に出かけた。

  おうおう、それで?


  地蔵川に咲く梅花藻を見てきた。


  くわしくはいづれのページにか、アップするとして、湖北は浅井三姉妹で燃えている。


  「これはんこ」、「浅井三姉妹 一筆箋」(ヒコハン謹製)のお求めは、JR醒ヶ井駅前、醒ヶ井水の駅で。

  醒ヶ井水の駅
    →http://www.samegai.jp/





  ところが、まだ出かけるというのだ。ジャスコへお買い物。えへへ、トッピングのイチゴを買うのだという。「バナナが欲しい!!」と、床に転がった。すると、イチゴとバナナをトッピングしたケーキがでけた。
  赤ずきんチャンのような、怖いお話ではありません、実際にあったお話です。果報は転がって待て。
2011年1月3日(月)
田舎の四つ間住まい、室内温度4℃。おおさぶ

   Visconti Panettone ヴィスコンテ パネトーネ 80g

  イタリア発祥のクリスマスケーキ、ブラジル産
  ガンダムチョコレート!!



  「ガンダムチョコレートはこんなに小さくない!!」。その昔、息子は叫んだ。「テレビで見たチョコレートはもっと大きかった。」
  これくらいか、もっとか。もっとや。こんなんか!!。もっとや。ガンダム。

  お誕生日、おめでとう!!還暦ケーキ。もっと大きいと思って買ってもらったのに!!。

  ケーキのおうちに住んだら、おなか一杯食べられるね、と娘は言った。


  写真が溜まってUPが追い付かん。





  お誕生日おめでとう、その2

  で、めだたくクリスマスのケーキ、お正月のケーキ、お誕生日にケーキ。


  猫はケーキには興味を示さないようだ。独り占め。

2011年1月2日(日)
初もうで
  元旦の朝、氏神さん岡神社へ初もうで。遠くのでっかい神社のその他大勢にまぎれるより、近くのこじんまりしたほうが、覚えもあるだろうと。

  ついでに、鳥居の参道も夜中に雪かきなんやね、「ついでとはなんやね。参道の雪かきしたついでに、神さんだって飯は食う、現世のご利益を運ぶ駐車場も雪かきする、そういうもんやろ」
  日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。
  この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。「それでは帰らせて頂きます」。「あすとりに来させていただきます」。「そいうわけで、御社に受験させて頂きました」。「はい、おかげ様で、元気に暮らさせて頂いております」。
  この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来ー他力ーによっていかしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお陰でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山の説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それいよって「お陰」が成立し、「お陰」という観念があればこそ、「地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました」などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、「頂きました」などというのは、他力への信仰が存在するためである。もっともいまは語法だけになっている。
  かつての近江商人のおもしろさは、かれらが同時に近江門徒であったことである。京・大坂や江戸へ出て商いをする場合も、得意先の玄関でつい門徒語法が出た。
  「かしこまりました。それではあすの三時に届けさせて頂きます」
  というふうに。この語法は、とくに昭和になってから東京に浸透したように思える。明治文学における東京を舞台にした会話には、こういう語法は一例もないそうである。 
     p11

  司馬遼太郎/街道をゆく 24  近江・奈良散歩/朝日文庫/1988
    初出『週刊朝日』1984年1月20日号〜7月20日号に掲載

  近頃、東京弁にも入り込んで、とは、1984年頃の事なのか。今ではすっかり芸能人・司会者・その語法を真に受けた視聴者の語法になっている。こうもかくにも、真宗門徒が多くなったかと。その一方で、学校給食の現場では「手を合わせ、いただきます」が、消えていくようである。「召し上がれ」と、丁寧の命令語(目下の者が、目上に命令するときに)に置き換わっていってるようだ。どちらも従来の社会制度から外れて使われるようになった、たんなる語法・用法であるから、意の通じるところで用いられるのであるから、そういうもんだの了解ですみそうだ。
  しかし、「誰のお陰で、ここまで大きくなったんか、考えてみい」と怒鳴られて育った私は、勿論真宗の門徒ではない。どっちかというと自力を旨とする曹洞宗である。こんなところで宗派争いはしたくない。信教・宗教の自由をいうわりには、門徒・宗派の違いは結構、みなさんシビアになる。葬儀の様式、玉ぐしの供え方、あつらえる仏壇、数珠、袈裟、生身の人間がまとったり、所作、立ち振る舞い、言葉となると、そうそう引き下がらない人が出てくる。
  しかし、信教や宗教の自由とは、そういった違いを越える事をいうのではないのか。このままいくと、日本人、みな真宗門徒になりそうだ。今はまだTVの中にしか、そう見かけないから、いいのだが、TVをみなければいいのだから。だけど、ニュースや、ドキュメント番組が真宗門徒派に占拠されたり、国会が一辺倒になっても困るが、そんなこと言うのは私だけなんだろうか。
  まあ、「自立、自立」と「自立小僧」がでしゃばって、「自立」できない気弱さが吐く「用法」では、どちらもあるけれどね。
  



 白に、朱。黒沢明の「乱」の色彩はグロテスクであった。
2011年1月1日(土)
賀正
  飯が旨い間は、死なんというそうだ。

  梅干しの入ったお茶。正月の間のお茶になる。丸餅、すまし汁、削りカツオ。結婚するまで、彦根で食べていた雑煮は、切りもち、味噌仕立て。雑煮は嫁さんの味になるようだ。食い物にこだわると旨いものは食えん。

  2005年の暮れ頃にHPを作って、思うに5年が経った。園長の根気がここまで続くのは、きっと読んでる人の堪忍のお陰だろう。



  新年の仏膳、叩きゴボウは、「あっ忘れた」





  地デジ難民まで、秒読み。
←これだもんなあ、雪の日のBS放送は。ポインターをのせると、除雪後の写真に。

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