園長の野良日記  2011年 3月

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     2011年3月16日    3.11東北関東大震災(東北太平洋沖地震 福島原発  リンク集  (新しいウインドウが開きます)

      2011年3月       日本赤十字社 →http://www.jrc.or.jp/    新しいウインドウが開きます  20110312
      2010年11月     206cc的ツアー、R303、R417  紅葉を愛でに、ドライブ
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      2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
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      2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。

  
2010年10月。本を読む、というページを作ります。  →本を読む 
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                          2009年10月、2010年8月、9月が文字化けしている。危うく、2010年10月も文字化けするところだった。
壊れるファイル
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2011年3月31日(木)
口に、、、を咥えても、健康には影響がないらしい。 /放射線作業者の安全を守れ
  まだNHKに、当初の勢いはまったく見られないが科学技術部の某山崎が出て解説している。これはきっと上から終身面倒みるなどの念書もらったな、と思いましたけど。
  原発の被害拡大防止作業の進捗を聴きたい訳でない。それで、いつまで続くんだ。その見通し意見を聴きたい訳だ。

/放射線作業者の安全を守れ

 NHK、夜7時のニュースで知った。東京電力は、放射線作業者の安全を確保していない。国が、政府が、厚生労働省が、彼ら放射線作業者の安全を確保していないことを知った。

-NHKニュース から-    →http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110331/t10015024581000.html
一部作業員の被ばく量量れず  3月31日 19時8分 -

  深刻な状態が続く福島第一原子力発電所の復旧作業現場で、放射線の量を量る「線量計」が地震で壊れて不足し、一部の作業員の被ばく量の管理ができていないことが分かりました。厚生労働省は「作業員を大量の被ばくから守るうえで問題だ」として、東京電力の安全管理の在り方を調べることにしています。

  福島第一原発では、水素爆発などが相次いで広い範囲に放射性物質が飛び散り、場所によって高いレベルの放射線が検出されています。しかし、東京電力では、被ばく量を量るのに必要な線量計の多くが地震で壊れたとして、一部の作業グループでは代表者にしか持たせず、作業員一人一人の被ばく量の管理ができていないことが分かりました。国の規則では、被ばくを伴う作業を行う場合、作業員全員に線量計を持たせるよう事業者に義務づけていて、福島第一原発で電源復旧に当たった作業員の男性は「被ばく量は作業によって一人一人変わるはずで、自分がどのぐらいの放射線を浴びたか分からない」と不安を訴えています。東京電力では「放射線量が高くない場所に限った運用で、安全管理はできている」と説明していますが、厚生労働省では「原発事故の現場ではいつどこで大量の放射線を浴びるか分からず、事実なら作業員を被ばくから守るうえで重大な問題だ」として、東京電力の安全管理の在り方を調べることにしています。
  -以上 -

  労働者に対する法律を守れない、法律をネジ曲げる東京電力に、事業者としての資格はない。またそれを容認する厚生労働省も同罪である。
  あらためて、私は言う。

東京電力は、作業者全員に線量計を持たせるように。
国は、放射線作業者への基準値引き上げ(250mSv)を撤回すること。
 私は最後の最後まで、安全のために戦うぞ。戦うぞ。猫♀
2011年3月30日(水)
口に札束挟んで、もごもご。はっきり言いなさい。
  そうだろうなあ、口に挟んでいたら、そのお口、どっち向いているかな。と思っていた。某NHK、解説東大教授某、この方、平成23年2月7日に、こんなことしている。
           →http://www.pref.fukushima.jp/nuclear/info/pdf_files/110225-5.pdf
  それで、悶々としていた。すっきり言ってる人を見つけたので、紹介。

  大阪芸術大学 芸術学部哲学教授 純丘曜彰-
              ウイキペディア→
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E4%B8%98%E6%9B%9C%E5%BD%B0
              彼が投稿したINSIGHT NOW →http://www.insightnow.jp/
  タイトル -東電のカネに汚染した東大に騙されるな!  純丘曜彰 -
                                       →http://www.insightnow.jp/article/6430
  -以下本文-

/寄付講座だけで、東電は東大に5億円も流し込んでいる。一方、長崎大学は、その買収的な本性に気づき、全額を東電に突き返した。水俣病のときも、業界団体は、東大の学者を利用して世論操作を行い、その被害を拡大させてしまっている。いま、同じ愚を繰り返してはならない。/

 なんと5億円! 寄付講座だけでも、これほどの大金が、東京電力から東京大学大学院の工学研究科にジャブジャブと流し込まれている。これは、東大の全86寄付講座の中でも、単独企業としてあまりに突出した金額だ。(詳細データ http://www.u-tokyo.ac.jp/res01/pdf/20110301kifu.pdf 本記事のコメントも参照せよ)

 東大だけではない。東工大や慶応義塾大学など、全国のあちこちの大学の大学院に、東京電力は現ナマをばらまいている。これらの東京電力のカネの黒い本性は、2002年の長崎大学大学院で暴露された。そもそも東京電力が、自分の管区とはほど遠い長崎大学に手を伸ばしたことからも、手口の異様さがわかるだろう。

 長崎大学医学部は、戦前の官立六医大の一つという伝統を誇り、その大学院医学研究科を2002年4月から医歯薬学総合研究科へと発展させることになった。ここに突然、東京電力が、9000万円で講座を寄付したい、と言い出した。テーマは、低線量放射線の人体影響。そのうえ、その趣意書からして、原発推進とも受け取れる表現が踊っていた。これに対し、当時の学長、池田高良(まさに被曝腫瘍が専門)は、趣意書の書き直しのみで、カネの受け入れを強行しようとした。

 このため、学内外から猛烈な反対論が沸き起こり、夏には混乱の学長選となった。おりしも、東京電力は、福島第一原発三号機で、炉心隔壁のひび割れの事実を伏せたまま、97年にむりに交換し、二千人近い作業員にかなりの被曝をさせ、その後もこの事実を隠蔽し続けていたことが、ようやく発覚した。もはや、なぜ東電が被曝後遺症を扱う池田学長に唐突に大金の話を申し出たのかは明白だ。かくして、代わって斎藤寛(公害問題が専門)が学長に当選。長崎大学は、9月に臨時教授会を開き、東京電力の寄付講座受け入れを取りやめ、すでに大学側に振り込まれていたカネ全額を東京電力に突き返した。

 1956年に水俣病が発見された際、地元の熊本大学は、ただちに現地調査を行い、有機水銀が原因であることを特定し、チッソに排水停止を求めた。ところが、日本化学工業協会は、東大教授たちに水俣病研究懇談会、通称「田宮委員会」を作らせ、連中が腐った魚を喰ったせいだ、などという腐敗アミン説をでっち上げ、当時のマスコミも、この東大教授たちの権威を悪用した世論操作に乗せられて、その後も被害を拡大し続けてしまった。

 いままた、同じ愚を繰り返すのか。「核燃料70%の損傷」を、燃料棒292本の7割、204本のそれぞれにほんの微細な傷があるだけ、などという、アホな詭弁解説をまともに信じるほど、いまの国民はバカではない。なんにしても、テレビで口を開くなら、まず、東京電力から受け取った黒いカネを、全額、返してからにしろ。

 テレビもテレビだ。公正、中立、客観を旨とする以上、解説を学者に頼むなら、原発賛否両方の学者を公平に呼べ。調べるプロなら、連中のウラ事情ぐらい調べておけ。

/by Univ-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka

      -以上-

  ↑ 電気保安猫♀。今日も点検

リンクhttp://www.u-tokyo.ac.jp/res01/pdf/20110301kifu.pdf
 は、私が貼りました。本文はURLアドレスだけです。
2011年3月26日(土)
工事、ラセン杭を打つ


  ハウスのビニールを発注して。
  ラセン杭を打つ。岩をも砕く”はつり”で穴を開け、バールで石をこじいてなんとかねじこむ。
  と、上の写真だけだと、完璧な施工のように見える。

  岩もくだく”ハツリ”だけど、径10センチほどの穴を開けると、なんのためのラセン?てなことになる。下の写真。
  このような施工と設計・監理の間には証拠写真ってもので取り繕われる。上の写真のラセン部分が切断された写真などがあってない。

  このような工事は、学者や、管理の”想定外”になっている。”手抜き”と称される行為は、元請け、下請け、孫請けに至って、「責任」が拡散する。薄くなけば「直ちに安全に影響はない」と「報道」される。

  勿論、上の文が3月26日の日付だからって、書いた日と、ラセン杭を打った日が一緒とは限らない。やったのは昨日、書いたのは今日。そんなものさ。
  下の文を載せるにあたって、ネットをいろいろ巡った。当然の反証や、本人の文章ではないなどのいちゃもんなど見た。だが、そんなものにいちいち関わる気分になれないほど、悲しみが憤怒阿修羅になって吹き出している文章ではないか。
  「科学」とか「論理」とか、反証可能なとか、「無知」が正体もなくはびこる時勢に、「個」が「全体」に打ち勝つ力が何なのかを教える。

  -原発がどんなものであるか、知ってほしい- 平井憲夫

原発がどんなものか知ってほしい(全)

平井憲夫

私は原発反対運動家ではありません

 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

  1. 私は原発反対運動家ではありません
  2. 「安全」は机上の話
  3. 素人が造る原発
  4. 名ばかりの検査・検査官
  5. いいかげんな原発の耐震設計
  6. 定期点検工事も素人が
  7. 放射能垂れ流しの海
  8. 内部被爆が一番怖い
  9. 普通の職場環境とは全く違う
  10. 「絶対安全」だと5時間の洗脳教育
  11. だれが助けるのか
  12. びっくりした美浜原発細管破断事故!
  13. もんじゅの大事故
  14. 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?
  15. 日本には途中でやめる勇気がない
  16. 廃炉も解体も出来ない原発
  17. 「閉鎖」して、監視・管理
  18. どうしようもない放射性廃棄物
  19. 住民の被曝と恐ろしい差別
  20. 私、子供生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
  21. 原発がある限り、安心できない
著者 平井憲夫さんについて

私は原発反対運動家ではありません。

 二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。


「安全」は机上の話


 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

 例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

名ばかりの検査・検査官



 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

いいかげんな原発の耐震設計


 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

定期点検工事も素人が


 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。

放射能垂れ流しの海


 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。

内部被爆が一番怖い


 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。
 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。

普通の職場環境とは全く違う


 放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

「絶対安全」だと五時間の洗脳教育



 原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。

   こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

だれが助けるのか


 また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。

びっくりした美浜原発細管破断事故!


 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。

もんじゅの大事故


 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?



 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない



 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

廃炉も解体も出来ない原発い


 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。

 結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理



 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。

  今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物


 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか? そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別


 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

 ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。 こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。


 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

 その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。

  「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

原発がある限り、安心できない



 みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。

               優しい地球 残そう子どもたちに


筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

e-kochi

原子力発電がなくても暮らせる社会をつくる国民会議
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IAM

2011年3月24日(木)
嘘で塗り固めて、貼っときNHK、そのお口、チャック
2011年3月23日(水)
気落ち菌
  きのう、ようやく腰巻:裾のビニールまででけた。朝から、さあやるぞと、小屋のビニールを引っ張り出した。なんと、このハウス用のビニールと違うではないか。昨年の農業用ビニールの回収時に捨ててしまったようだ。急きょ、発注した。これで数日遅れに。遅延に遅延となる。

  どうやら気落ち菌が体にとりついているようだ。ガッカリ。予定変更、他のハウスのビニールを先に張ってそちらで育苗することにした。


  ン。猫♀のポーズはどこかワンストップ・モーション。
2011年3月22日(火)
買い出しに出かける。
  買い出しに出かけたスーパーの屋上駐車場。開店そうそうで、どこでもどうぞ、空き。随分とはみ出しているではないの。家だと、猫でも運転できます、ほどどこへ止めてもいいし、第一白線など引いていない。緊張感に欠けているね。
  軽トラのほうが、よっぽど荷物がどこにでも載って楽なんだけど、キテイちゃんが”お出かけですか、ETCカードを入れてください”ってゆうし、ひょっとしたら”もう、ええ加減にして、ETCカードの使える所まで乗りなさい”って言われそうなくらい。

  横滑りするまで車を振りまわすことも無くなって、車内にオイルの焼ける匂いが入ってくることも無くなった。すっかりお買い物車に慣れるほどには、この車に付き合っていない。こうして週一回の買い出しに使うくらい。「ハイオクですか」ってスタンドで訊かれるけど、レギュラーです。


  ブラジルのイースターエッグ。長浜・バイパス店「パトリシア・ミンニャ」懐かしい故郷って意味か。
  パトリオットは、祖国(愛)って名のミサイル。リ・パトリシェィションはFXの通貨のなんとかかんとか。

  で、4月24日に向かってエンドを飾ってあった。東北・関東へ送るカンパ箱がレジにあったので、釣銭をカンパしてきた。
  ラザニアとか、生ソーセージとかパスタとかコーヒーとか、ブラジルの日用品を買う。そうそう、ピザを買って昼飯にした。
  イースター・バーニーとイースター・エッグ。彼らと仲良しになって、どんどん楽しみを共にできるのは、いい事ではないかと思う。
2011年3月21日(月)
ほうれんそう、搭立ち
  ハウスの中、大きくなるまでにホウレンソウが搭立ちを始めた。換気を始めたばかりで、水蒸気で写真がもやった。
  農作業の記録に載せる出来事だが、どうもそちらへアップする気分ではないのは何故。

  花が咲いた日野菜 →
  育苗用の箱にこぼれ種で、日野菜が育っていた。

  実は今日、間近にヒバリを見て、カシャカシャしたけど、接写モードのままだったから、ぜ~んぶ完璧ピントぼけ。電源ONのまま持ち歩いたのがいけなかった。今日の写真はこの2枚だけになった。
2011年3月20日(日)
猫だって測る、猫でも測る
  写真撮っとらんと、さっさと測れ、と言いたげである。
  昼ごろから雨と予報が出ている。早くハウスを組みあげねばならない。この雨があがったらビニールを被せたい。それで、猫♀の手の出番。


  測るって行為は、目的に向かって進む。猫♀の手を使って、ハウスの妻に立てるパイプの位置決めのためにスケールで測っている。直角に立てたいし、褄の強度を得たいので、間隔も図りたい。
  サイドから80センチの所に立てたい。
  最後にビニールを被せるので、どの程度正確かが今の課題である。何度かの風雪で、ハウス自体が歪んでくる。その上での正確さである。

  経験から、5センチのずれは見てくれが悪いし、建屋によろしくない。上下で3センチ以内だと、打ったり止めたりしながらなんとか、辻褄が合う。
  パイプにスケールを当てたところに、猫♀の手で押させてもらっている。
  専門家だと、精度以上に誤差に煩い。JIS規格だと、許容される誤差に対して、何通りかがある。それは約束事になってる。何mm以内とか、何㎝以内とか、その誤差を積み上げて出来上がったもの、その時の誤差に向かって、それぞれが決まる。そのそれぞれの誤差や実測値については、経験的(実証的)にも、論理的にも練り上がったものである。

  このハウスの場合、台風のような風、突風に対し、30mの風に耐えてくれ、超えそうな予報の時は
中の作物を犠牲にして、事前にビニールを剥がす。
  雪。一晩に25センチの降雪に耐えてくれ。朝から雪かきして次の降雪が25センチを超えないことを祈る。超えそうな場合は、作物を犠牲にして、ビニールを剥がす(大概は破ってしまう)ことにする。



  放射能の計測した値が、断片的に報道され、そのたびに「安全・健康」が言われる。おかしいじゃないか。
  一つに、継続したデータとして発表されない。その時の値に一喜一憂している。だから「今すぐ、健康に被害を与える数値ではない」と叫ぶだけになる。
  瞬間値と、累積値と、その基準値と、予想される推移値とを同時に発表すべきではないかな。

  二つに、計測されたデータは、短期的、中・長期的に、人にどのようなリスク・被害をもたらすのか、それは既に議論され、一定の評価を得てデータが蓄積されるようになっている。なのに、意図的としか思えない混同が行われている。
  今、叫んでいるのは、「短期的」つまり瞬間的な被ばくリスクを負って仕事をする人の瞬間的・累積的数値を、あるいは普通の人が、例えば病気や怪我を直す目的を負った時に敢えて犯すリスクを承諾したうえでの、数値を、その延長に、日常生活を送る上でのつまり健康を維持するための数値にまで当てはめようとして叫んでいるかの如くだ。目的リスクと日常生活リスク、この二つの測るスケールの違いを無視し、混同している。
                -未定稿-
  朝日。夕日と言い換えても通るよな。
2011年3月19日(土)
ほんまか
  ノゲシ。3年ほど前、小さなな花が奇麗だったので、育てた。それ以来、家の前の庭や畑のあちこちに咲くようになった。
  あの芥子粒のように小さな種が(当たり前だが)、飛び散っている。この写真は、ポットに植えたウドより先に大きくなったケシ。わが農園は先着優先の原則があるんで、ほおっておくと、このような事になる。
  ウドは先を越されてどこにあるか判らない。

  勿論、このケシは観賞用のケシなんで、ブツが採れるわけがない。

      ほんまか!?

  ブツは採れないので、安全・安心です。

     ほんまか!?    ほんまか!?

  絶対、本当です。人の健康を損ねることはありません。

      ほんまか!?ほんまか!?  ほんまか!?ほんまか!? ほんまか!?ほんまか!? 

  エライ人、賢い人がゆうてはるから、ホンマやろ。

    そりゃ絶対、あかんわ。とりあえずやめとこ。
2011年3月18日(金)
I don't know how to cry
  哀しくて とてもやりきれない
  かなしくて 声にならない

  雪が残った伊吹山、寒さで玄関に入った水仙。冬を耐えて芽吹いたロ-ズゼラニューム。

  きっといいことがあるさ。あらためて被災された人たちに、こころよりお見舞い申し上げます。


  昔、修学旅行で上海の列車事故に遭遇し、駆けつけた家族達のことを思いを寄せた、「喪の途上にて」という本が出た。野田正彰/ 1992/ 岩波書店
  私が印象に残った個所は、「喪の期間」が周囲の者たちによって喪失されること。押し寄せる報道陣、事態を収拾解決するための行政・諸組織・団体が、当人を取り囲み、哀しみにある人に、安息を与えない。
  彼、野田正彰は当時、滋賀県の長浜日赤病院の精神科の医者だったはず。その彼が、上海列車事故に対し、朝日新聞にコメントを残している。それを読んで、本を求めた記憶がある。

  悲しみを癒すには、それだけの沈黙の時間が必要だと思う。ともすれば社会的事実や過程のように、社会心理学者、児童心理学者、教育心理学者は言う。でも、個人的な、極めて個に生じた肉体的な喪失感を、そこからの回復を社会復帰に向けたプロセスのようにとらえるのは、酷ではなかろうか。


  個に固有なものを社会に帰して議論するべきではないと思っている。

  メメント・モリ 死を想え

  死ぬな生きろ!/死臭を嗅げ

  生きさせろ!

  など、個に基点を置いた発言・実践が要る時代だと思う。
2011年3月17日(木)
これが最後の雪であって欲しい
  お彼岸を前に、雪。積雪8センチ、-4.1℃。毎年、この頃まで雪が積もるちゅあ積もる。氷点下になるのは、4月下旬まで起こる。日中の最高気温は0.4℃、陽が沈む前に0℃を切った。
  それでも日が射すとハウスの中は軽く初夏になる。目が離せない。

  14日に購入した種イモ。ハウスの中で発芽させている。促芽処理という。

  私たちが言うジャガイモは、彼らからは、根が出て、芽が出て、葉が展葉するまでの栄養源。ミルクというか、母乳というか、離乳食というか、生まれたばかりの魚が腹に抱える??(正しい日本語を入れて読んでくれ)だな、きっと。

  それで、お彼岸前後に、芽を付けて3~4個に切り分けて植える。
  畑の雪が融けて、少し地面が乾いた頃。
2011年3月16日(水)
自家用ほうれんそう
  年末に種を播いたホウレンソウを初めて採った。当初は、3月上旬を目指した。途中、中旬に変えた。それで、本格的に採れるのは3月下旬だろう。

  3月に入って、初物を食べようと、毎日、もう喰うでと、声をかけていた。子供に”野菜・米”便を送るというので、朝方採ってきた。世間では、関東・東北方面へ”生活物資”を送り始めているようだ。
  私んちは、無くなれば送ろう、のスタンスで子供たちに送っている。さすがにこの数日は送る気分になれなかった。何も、配送トラックや道路に負荷を追加する気になれなかった。なけりゃあないようにやりくりすればよろしい。
2011年3月15日(火)
見周り隊
  伊吹山の上空は、定期航空路のエアーポケット?なのか、不定期便のチャーター便と思わしき飛行機や、自衛隊機、報道関係のヘリなど、怪しげな航路をたどってやってきて去っていく。

  このヘリは福井方面から奈良向きだった。そんなことを思うのは、大阪に住んでいた頃、富田林市、そうPLの隣で、南から大阪上空に入ってきた飛行機が生駒山に向かって突っ込んでいって、大きく旋回し伊丹空港方面に去っていった。8月1日の夜8時頃から最終便だと、PLの花火を上空から観賞するルートになる。平時は、伊丹が込み合うと、上空を旋回して着陸待ちになる。つまり上も下も横も無い空間の筈なのに、きちんと同じ経路をたどるのである。続いて突っ込む機体はそんなに低いところを飛ぶんかよ、低空飛行をする。

  だから、大きな事件があると、ヘリが飛ぶ。そして、シロクロ見回り班~市場~庭草~森越~八幡さん参道が、近頃うちんちの小屋で一服するようになった。小屋にある椅子の上にいる彼をカッシャしたら、ピカと目が光った。こちらは定期便のようで、多少の迂回はあっても、同じルート。

  そんな隙間をねらってか、どうか、トンビを避けながらヒバリが舞いあがる。


  ×16で、ファインダーに入ったらカシャカシャ。何枚かには写っている。飛びあがって鳴き声がすると、もうはるか上空で、啼きやむと、一転落下するように畑に降りる。にぎやかで、よろしい。

  →写真をみてヒバリだ!って判る人は少ないと思うが、実際をみると、飛行スタイルから、ヒバリ以外考えられないから。それで、よろしい。

  写真や文章から、理解することを職業にする人からは、このような写真や文章は嫌われるかもしれないが、実際を現実として、生きている人から見れば、余りに当たり前で、なにくどくど説明するねんとなるだろう。

  そう、現場に行ったことも現場と話したこともなく、レポート・報告書の類の閲覧・はんこ、命令書・指示書ばかり書いてきたで、えらくなった人には判んないだろうなあ、ニャロメ!関村直人。
2011年3月15日(火)
滋賀県はこういう所
  この写真とコメントを、撮影した1月2日に載せなかったことを反省している。

  マキノ・ピックランドのメタセコイアと雪を1月2日に見に行った。その時の写真である。

  この道路には、雪を溶かす融雪設備が設けられている。上の写真。

  その融雪設備は、掘られた井戸からポンプで組みあげられた水が、道路中央や脇から噴出される。
  降雪を感知する設備で、雪が降り始めると、自動運転される。その設備は、滋賀県・高島市では、写真下のように、原子力発電設備周辺地域交付施設、まあ周辺住民への対策費用、ここだと国と関西電力が出したことになろう。


  冬のソナタ、高島市版は、このような原発対策費で防御されてるってこと。日本国中このような状態な訳で、どこがどうという訳でもない。金さえもらえば、OK大国なんだなあ。

  山越えれば福井県の原発がある。

  なかば冗談、半分本気。

  60才以上の、現職国会議員・元国会議員は、推進派反対派問わず、福島原発の礎になりに行きなさい。
 推進派で当選した地方自治体の首長と議員は、福島原発の礎になりに行きなさい。
  いまさら、翻意したからって駄目です。

  残ったもので、国会と政府、自治体を構成しなさい。若返ってよろしい。それくらいの人材はいる。
  技術大国・ニッポンは沈没した。かかわった人たちは全員行きなさい。
  でなければ、今、犠牲になることを顧みず施設内部にとどまって働いている人たちに申し訳ないだろう。
  NHKでいまだ解説している、東大教授関村直人、職業・立場詐称でしょ。こんな所で、主査を務めているあなた。     →http://www.pref.fukushima.jp/nuclear/info/pdf_files/110225-5.pdf
  あなたもただちに福島原発にいきなさい。

  半ば冗談、なかば本気である。とりあえずであれ、こんな表現しかできない私を恥じる。
2011年3月14日(月)
今日
(いずれのサイトも新しいウインドウが開きます)

  これだな 原子力資料情報室 の公式ページ →http://cnic.jp/

  貼り付けていたサイトアドレスは移動しました →こちら(新しいウインドウが開きます)
  

 ↑ ヒバリ。再び空を飛べる日がくるように
2011年3月13日(日)
藤原新也がアップしている
藤原新也の公式サイト→ 「インド放浪」以来、それなりに読んでいる藤原新也のインターネット上のURL
   
  彼は、今、「死ぬな、生きろ」のメッセージを送り続けている。同じように、”東北地方太平洋沖地震”の被災者にも送り続けることになろう。

                          13 March, 2011 午前 8:05:20
 ↑12 March, 2011 撮影:スイカを植える予定(5月)の所へ溝を切って堆肥を埋め込む。予定
2011年3月13日(日)
日本の偉いバカと、日本の賢いバカfが、もうお手↑
  昔、専門バカじゃのうてバカ専門じゃ、という言い方が生まれた。

  福島原発が次々、炉心熔解を起こしている。「偉い人と、賢い人が安全だ、地元のために金も落とすといううてはる」、と、「わしら判らんから、議員さんと町長さんにまかせよやないか」と。
  三者が人の頭を借りて作り上げた、日本の現実社会。

解説ー橋本治 『戦中派不戦日記 昭和20年/山田風太郎 /講談社文庫/1985』
  文庫化された時の『解説』文である。橋本治はそれを独立した「橋本治の書籍」にしてしまった。

40年前に、現代青年はいたのである。p534
”焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰をおろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵が吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで「ねえ、、、また、きっといいこともあるよ。、、、、」と、呟いたのが聞こえた”p540

  彼女たちの辿った戦後が、-女の一人がふと蒼空を仰いで「ねえ、、、また、きっといいこともあるよ。、、、、」と、呟いたのが聞こえた-だったとしたら、淋しい。そして水に浸かった雑木林や家屋のたもとで、
また、次の世代に、「ねえ、、、また、きっといいこともあるよ。、、、、」いわさせめるのか。

  少なくとも、今報道している人たちに、この彼女たちの声は届いていなかったし、届いていない。
                    13 March, 2011 午前 7:43:04

 ↑12 March, 2011 撮影:腹の文様が、似ている。


 日本赤十字社 →http://www.jrc.or.jp/
                  新しいウインドウが開きます。
2011年3月12日(土)
地球が揺れた。
  人の住む所に地震が起きる。

  被災された方に、心よりお見舞い申し上げます。また、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
  家族や友人・知人の安否を気遣われている方、私も同じ心で無事を祈っております。

  昨日来、TVがつきっぱなしだ。この期になってまだ、「今は、安全だ」と、福島原発は言う。安全でなくなったら、想定を超えたとでもきっというだろう。
  私が訊きたいのは、想定・人智を超えた時に、「安全なのか」。人の死を自然死と思えるほど、安全なのか、と。経験則や、知り得た最適の値と観測したデータが小賢しくみえないほど、安全なのか。


  なぜ、日本では伝えないのか。
   イギリス BBCが伝える ”Huge blast at Japan nuclear plant”
                   BBC →http://www.bbc.co.uk/news/

  福島原発のHuge blast at Japan nuclear plantが海外で映像付きで報道されている。日本の報道機関は、官庁街で知った情報以外の収集能力がなく、また報道する気力も体力もない。
  だから”マスゴミ”と揶揄される。
   同じころの NHK →http://www3.nhk.or.jp/news/

”Japan nuclear plant/ニュース” グーグルでヒット

                              12 March, 2011 20:28:10
 ↑3月12日朝

2011年3月10日(木)
なにを涸癪なマニュアル その三
  ← 白が潰れないように露出すると、これ。1/80 F5.5 ISO100 23.2mm

  ハウスのイチゴ。クラウンがふくらんできたなあ、咲いた。

  日中、陽が射した。気温は低いがハウスの中は、かなり上がったんだろう、ムスカリがしょんぼりしている。



     オートで撮った写真 →

  オートなんだから、もっと最適露出にせいや。と、言うのは私だけ?













  ←1/125 F4.5 15.8mm  やっぱヌメ~
2011年3月9日(水)
マニュアル撮影、その弐
  家の前、白梅が咲いた。何を涸癪なマニュアル撮影。この白を味わい、蕾、枝を味わうには、もっと被写体深度を深くして、、、。

  ISO感度を上げ、シャッター速度を遅くして、F値を上げ、目一杯被写体深度を深くする。まだまだだわ。でも、こうして馴れていくもんだ。

  昨日の写真が典型、なぜにこんなにぬめるのよ。
2011年3月8日(火)
今、またマニュアルの時代
  どうもいかん、近づくと白が潰れ、全体に露出オーバー。ならばマニュアル操作にすれば、、となったが、これが中々。このような時、人は取扱説明書を読むそうだ、私はしない。やってるうちになんとかなるものだ、そう信じ込んでいる。

    右の写真が、HPBで明るさを補正したもの。→

  大概のことはどうとでもなるもんだ。明るい屋外でモニター見たってみえやせん!。ASA感度・シャッター速度を変えようがない。困ったもんだ。

  水仙に続いてチューリップの花芽があがった。
2011年3月6日(日)
普通に報道してよ
  昔、ポケベルが思いっきり安くなった頃。ジョシコーセイの必須アイテムになった。その後、ポケベルからケータイに変わって、机の下でピッピパッパ、メールを打ち出した。授業中であれなんであれ、5分とか10分とかで返事かえさんかったらハネコだそうだ。キーなんて見とりゃせん。
  2年ほど前、ジョシコーセイがおっさんに車で誘拐された。助手席のジョシコーセイはポケットの中のケータイからピッピパッパとメール打ったそうだ。気の毒なおっさんは、居場所がばれて捕まったそうだ。

  んなんだから、キーボードを見ずにメール打つ練習をしたヨビコーセイは、練習・予習・学習せんならんほど出来が悪かったと言わざるを得ない。それを報道するTV局や新聞社は、己の智恵と想像力の欠如の故のもっと出来の悪い様を露呈するになる。
  市民主義者の行きつく先はそんなもん。

  うまくやりきってこそ、実用の用をたしたことになる。出来の悪い大学教授達と、出来の悪いTV局・新聞社と出来の悪いヨビコーセイの合作喜劇でしかない、騒ぐことか。報道せんうちに解決していくだけの実力が当事者にないってこと。
  同じように能力に欠ける国会茶番・八百長相撲、なれ合いの出来レースを追っかけるTV局・新聞社、ようやく全てが大衆という名のローマ・コロシアムの見世物興業に成熟したってことだろう。演者も観客も評論家も。議員さんも政治家も、有識者・知識人もようやく大衆並みに成熟したこの今日の社会。決してその逆ではない。

  アメリカだって、今富裕層は心底怯えているだろう。作らせて使わせるサイクルの中に大衆をおいていても、破状(ええい!でてこん!)する現実。イタリア、ギリシャ、スペイン、ポルトガル、チェニジア、エジプト、スーダン、リビア、その周辺国、「大衆」という名の民衆に翻弄されているではないか。

  もうひとつ。リビア・サダフィが傭兵を使っていると非難する。ローマ・シーザーだって傭兵を指揮した。ギリシャ・ローマの時代から、兵隊は傭兵であったのは西洋の習わしだった。フランス・ナポレオンが初めて国民軍を編成した。徴兵・志願兵による軍隊の編成はこの時代からではないか。古くは十字軍のように、取りつかれたように軍隊に参入する人たちの狂信・妄信ほど始末の悪い物はないのは歴史を振り返ればあきらか。大義の御旗ほど、凄惨な結果を生みだすものはない。

  イラク・サダムフセインのように、捕まれば国際軍事法廷で殺されるのは自明な訳で、降参投降するわけがない。第一、抵抗出来るだけの武器をあたえたのは、サダムフセインのときと同じように、西洋諸国・先進国じゃないのか。西洋、先進国の利権の再分配のために翻弄されるイスラム・地中海諸国、そう私はみる。
  
2011年3月5日(土)
水仙とばかり、、明日は啓蟄
  ハウスから玄関に移動した。ハウスの中では二重トンネルで過ごしていた。外は、まだ寒かろうと、夜はビニールで被う。

  畑にいると、いつも傍にいる猫♀。ハウスを移動するので、一旦解体しているく脚立に登って、さあどう降りるのか、登りより器用ではないが、手足を使って、うん、この先は飛び降りた。

  猫♂は、苗を植えたあとで、一緒になって地面を掘ってくれた。この子もどうだろう。風は冷たいが陽射しは春。
2011年3月3日(木)
奇麗綺麗デオラントソープ時代の、実際
  タイガーマスク基金を作るんだそうだ。善意の行為や、ボランティアを否定するつもりはない。その匿名性に疑問がある。善意の一方通行じゃないのか。己へ向かう実際のベクトルのない寄付行為は、おかしい。
  その一方通行の行為で、万一己の誤りがあっても判んないのである。今、「個人情報の保護」の意味を「自分が誰だか、他者に判らないようにすること」のように理解する人が増えているのと同じ現象だと思う。自分が傷付くのが怖いのである。自分の匂いを消して、匿名性に隠れて自己防衛しているのである。

  大学受験で、あり得ないカンニングをした男が現れた。ケータイでメールして、答えを返してもらう、それも瞬時に誰かが打ち返すだろう前提で。そして、試験する側は、そんな使われ方をするなんて想定していない。
  ここは、「あっぱれ!見事、快挙!。でも反則だから点数ゼロ、否、試験を無効にする」でいいんじゃないの。森毅が現役だったらそう云っただろう。解答方法は違反、回答の主体の欠如。問題を解くのは誰?試験者に回答するのは誰?違反がばれなくする手立ての欠如。
  ここでも、実際に、行為の結果が現実世界ではどう扱われるのかについての想像力の欠如が見られる。

  梅の花。マニュアル操作で写真して、トリミングを施して載せている。だから、私というフイルターを通してここにある。切り取った現実世界の、「切り取った」私が介在しているって事を忘れてはならない。
  ここを、なにかしら無色透明のように機械を思ってしまう錯覚におちいってはならない。
2011年3月2日(水)
寒い日になった
  ムスカリの花が咲いた。ハウスの中は暖かい。夜になって外は雪かな、車の音がジュルジュル鳴っている。


  明日は雛祭りなんで、寒くなければ玄関まで移動したいんだが、、、一寸可哀そうか。
2011年3月1日(火)
雨模様の3月
  さあ、開いたぞ。

  2月雪解けの後に掘り上げた水仙も花芽をあげた。

  今、デジカメをマニュアルで写真することを練習している。オートだとどうも露出オーバーになる。ASAを変えて、絞って、シャッタースピードを遅くする。こりゃなんのためのデジカメだ、心境。

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