園長の野良日記  2011年 7月   ファイル 2011

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原発はいらない! 反核・反原発・反貧困  ←おはら野農園の取り組み
      2011年5月     若狭の海 /姫野洋三&おじさんアンサンブル  忌野清志郎 /RCサクセション 他 →準備中
      2011年3月       日本赤十字社 →http://www.jrc.or.jp/    新しいウインドウが開きます
      2010年11月     206cc的ツアー、R303、R417  紅葉を愛でに、ドライブ
      2010年9月      藤原新也の公式サイト→ 「インド放浪」以来、それなりに読んでいる藤原新也のインターネット上のURL
      2010年1月~     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します
     
                2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災
     
                2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
                2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
                2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。

  
2010年10月。本を読む、というページを作ります。  →本を読む 
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                          2009年10月、2010年8月、9月が文字化けしている。危うく、2010年10月も文字化けするところだった。
壊れるファイル
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2011年7月31日(日)
もうそれは判っている。
本を要約したり、紹介したりするのは私の趣味ではない。
まして、批判・反批判を繰り返すのはまっぴら御免である。
語るべき言葉は、自分で紡ぐ。
科学的方法とは何か /浅田彰・黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉 /1986 /中公新書
随分古い本になる。

   
ターニング・ポイント /フリッチョフ・カプラ /訳: 吉福伸逸・田中三彦・上野圭一・菅靖彦 /1984 /工作舎

  こちらも古い。パラダイム・シフト ニューサイエンス デカルト=ニュートン思想の限界 などなど当時の私の問題意識は今と違う。「ターニング・ポイントに書かれた指摘くらいは、激しい論争はあっても概ね学者・科学者、会社経営者に受け入れられていくだろうと思っていた。内容が多岐に渡るため、各分野、各カテゴリーごとに論争がおこり、いつのまにか自明のことになると思っていた。
  カプラに対する批判は、前作のタオイズムについて、この本ではホーイズム(全包含的)、全体主義と取るべきではない、についての批判になるだろうな、とは思っていた。

  私は、この1986年頃から現在まで、とりわけ1995年以降本を読まなくなったし、「勝手にすれば!全部判っているじゃん!」で済ましても大丈夫、と思っていた。

  ところがどうだろう、3.11以降、日本が世界が変わったというのに、まあそれ故にニュートン的世界観で暮らすペンタゴンの無能ぶりが顕わになったというのに、彼らの終焉を告げる学者・科学者が、相変わらず少数派なのに「驚いちまった、あきれ返っている。」

  時代が変わる時、変わった時、従来通り、従前の思考・方法で解決していこうという勢力が一時的であれ守旧するのは歴史の事実である。しかし、すでに判ってしまった人々がいる。「ママは原発いりません」勢力である。彼ら、彼女たちは新しい言葉を紡ぎだしている。
  ならば、新しい思想・新しい言葉で応えねばならない。守旧派が古い言葉、古い手法で問題解決の糸口を探っている。彼らへの反論・反撃は新しい言葉でなされなければならない。


  この「ターニング・ポイント」、そして前作「タオ自然学」の訳を担当した田中三彦氏に改めて敬意を表する。

  1986年からこの25年間、この科学的方法を巡る論争が、ダボス会議に現れているように、主に政界・経済界を中心になされてきた。また私もそこを基軸に展開すれば自ずと新しい道は出来てくると思っていた。しかし残念ながら、日本においては学者は学者のまま。産学共同から、産・官・学共同=ペンタゴンの牙城へと巨大化していた。そこから利権を求めた政治家たちは、民主党主導の事業仕訳=利権の付け替え、再分配に終始してしまったし、今もまたそこから出ない。

  もう一つ。昨年の「里山イニシアチブ」はどこへ行ったんでしょ。総括もできないまま、「里山」を自爆させたお気楽ニッポン!どこへ行く。世界でもっとも「核拡散」、垂れ流しを続けるニッポン、さてどこへ行く。フクシマに隠れてしまった感があるが、東北の地震・津波による惨状を思うに、科学者・学者は、とりわけ、行政に有識者として参加した職業学者さんたち、己の知見の無能ぶりを猛省せねば、、、臆面もなく「私は無傷だ」顔で、「復興会議」に出るだけでは駄目よ。

2011年7月25日(月)
プファー

  24 July, 2011
  ゴマダラカミキリ、パプリカハウスの中。なんでこんなところにいるの。すばしっこくて写真させないので、捕まえてやったわ。まだ手が記憶していて良かった良かった。
  木の中を喰いながら進むほど、丈夫なこの歯で咬まれると痛い痛い。カナブンを手の中に入れると痛いがそれは足の爪。
  広葉樹が好きで、なんでも喰う。幼虫は1年から2年樹の中で過ごす。

  一杯木を植えて、一杯果樹を収穫したり、綺麗な公園や庭園にして、綺麗美しいを見せようとすると害虫にされる。そんなに嫌わなくてもいいのに。


  土曜、いつものようにUPしようとしたら、サーバーの容量が満タン。昨夜、容量アップしてもらって御覧のように復活。
  他愛もない写真と文だが、書けないとなると胸に閊えて、う~ん、習慣になると恐ろしい。プファー。

  と書いて、、、、サーバーへアップ出来ない日が続いた。
2011年7月19日(火)
ホットメデア、クールメデア マクルーハン

 耐えろきゅうり
  時折、マクルーハンを思い出す。高校2年だったか、3年だったか思い出せない。邦訳本で、タイトルすら覚えていない。朝日新聞?サンデー毎日?文芸春秋?どれかの書評欄に載っていたのだろう、買って読んだ。1967年か68年。
  ”ホットメデア” ”クールメデア”の対比でテレビ文化をクールなメデアと言ってたような記憶だけが残っている。

  台風が過ぎるのを待つ退屈な時間にネット・サーフィンをしていて、ヒットした。
**…マクルーハンによる「ホットなメディア」と「クールなメディア」の定義は、
     正直言って本書を読んでも良く分からない。「映像+音声」を兼ね備えた総合的な
     情報が“参与性”(即時性?)をもって受け手に与えられる時、それを「クール」
     と呼んでいる感じはするのだが...。
お気らく活字生活 『マクルーハン理論』 M・マクルーハン他 平凡社ライブラリー 
                              http://okirakukatuji.blog129.fc2.com/blog-entry-192.html

  判らないまま放ってあって、時折思い出す程度なんで、もうどうでも良い事なんだが。当時は、記号論や意味論から情報を定義するなんてまったくごく一部のあいだだけで、高校生なんかが噛んでも味も、香りもないのだろうが、”クール!”で片付けてしまったんだろう。シュールとかポストモダンとか、ネオダダとか、当時のイカ天だったのか。今となっても判んない。

  情報が記号としてそれ自体に意味を持たず定義付けされて、記号の羅列として処理されて行く。ある約束事を与えて、意味を解読していく。そんな現代の”情報論、情報システム論”の入り口だったのだろう。
  情報informationが、意味の伝達から離れていく時代の転換点だったんだろう。映像・音声・文字がデジタル化されて(意味不明の記号の羅列)TVモニター・音声再生DAC・文字コードのフォントへの変換などは、技術の問題で、そこのとこなどここではどうでもええことだ。
  アナログであろうが、デジタルであろうが、読み解くコードを共有しているか否か、コードを共感できるなにものかと言い変えてそれが同一であるか、自己組織系からみる、そんなところだろう。

  DNA、これを水素結合による塩基の羅列で、意味のない分子結合を、切り取りかたで意味を見出そうとする2重らせん構造とするのは、物質としての塩基の羅列とみる向きと、らせん構造に意味を見出して、それ自体を物質かのごとく扱う向きと、素人目には、どっちも危ういで、となる。DNA鑑定なんぞは、個人の特定という意味を見出そうとするわけだ。これだって経験則から割り出してんのとちゃうんかと、チャチャ入れたくなる。どっちの向きも科学を主張するから厄介だ。

2011年7月18日(月)
重くのしかかる原発銀座、または銀座の地方への移出
なす術もなく台風の通過するのを待つ。

ビートルズはクラブバンド、ライブバンドだった。当時の多くのバンド、シンガーがそうだったように。

噂と風評を分かつものはなにか。

マスゴミ達の群れは、彼らが自覚的に、「市民」の先頭に立っているところに、その罪悪がある。時代の先端にいて「日和見」をもっぱらの仕事にしている。

ペンタゴン: 産・政・官・学・報の御陵角。互いにもたれあって責任を回避している。
大きな渦は小さな渦を伴い
     小さな渦は大きな渦の速度を糧とする
小さな渦はさらに小さな渦を伴い
     輪廻の果に粘性となる
                  マンデルブロー「フラクタル幾何学」
2011年7月14日(木)
台風が発生した
  でかいなあ。これから大きくなって、17日の午後には「猛烈な」台風になるそうだ。

  台風の名前: 台風6号マーゴン(命名香港、馬鞍山) 北にあって、標高702m観光地になってるみたい。
                                    Google map 香港馬鞍山ma-on  

  沖縄にぶつかって、東シナ海~黄海、玄界灘か。

  去年より10日以上早く梅雨が明け(梅雨入りも随分と早かった)、この暑さはなんだ、と今年の7月の折れ線グラフを描いた。
  とっても暑いのだ。明日か明後日には、畑にポンプアップ揚水で、水やりをせねばならないと思う。ナスが固くなってきているし、キュウリはよれ出してるし、

  7月7日にまとまった雨が降って、梅雨明け。その後、気温が上昇している。去年は、10日から15日まで、長雨、ピタっと降らなくなって夏野菜が枯れ上がったり、よれたり、駄目になった。

  さて今年はどうだ。  でかい台風が来ても困るし、雨は欲しいし。






 2011年7月14日まで
 台風6号マーゴン:14日18時現在

2010年7月の雨: 棒グラフ
2011年7月13日(水)
あれこれ、あれこれ、多忙であった
  朝が早いとこんな光を見ることができる。雲の中から太陽が昇って、伊吹山を分ける。庭草の畑の隅に、野カンゾウが一群生えている。それと伊吹山、こちらはお昼前。どちらもオートからマニュアルに切り替えて、シャッター速度、露出を無理に変えて撮る。


  ぴーひょろとトンビが鳴く。つがいで上空をゆったり旋回する。×16でファインダー越しに追いかけてシャッターを押す。これもこれくらいか、と。”撮ったか?!”と言い残して、方面に去った。近くに巣でも作ったか、そう遠くない。

  何が多忙だったか。もっともホームページを更新するのに、PCのCドライブがビジー、残り1GBを切ってしまった。そのうち、其のうちと先延ばししてきたが、これでは遺憾。

  一番大きなフォルダ{デジカメDATA}を別ドライブに動かした。実はこれが、PCを乗り換える度に、えいっや、とHDに移してきた。それが重複しながら16GBを超えている。
  整理・整頓すれば、半分以下になるんでしょうが、それが、それ、「また、あとで」となって、今やなにがなんだか、の16GB。
  そりゃ、あなた、256KBのメモリーを512KBに載せ換えるなんて、ん万円の仕事だった時代は、何々を256倍楽しむとかの時代で、その次はメモリー1MB=1万円の時代を経験して、今やテラなんだそうだ。
  TVと録画のためにHDが量産されて1テラ=1万円、なんとこんなもんに人生託す訳にいかない。あと10日でこちとら地デジ難民だい!地デジ難聴地帯だからって、こちらから払い下げだわ。ケータイのワンセグでTVなんて充分だ。公共放送と蚊、放送事業の公共性をいうNHK・民放さん、選択的に視ないって手段もあらあな。視たい時に視たい方法で視るからね。

  さて、つまらぬPC下世話に付き合って頂いたあとは。

  日中、暑くて畑に出る時間帯が早朝と、夕刻に喰い込んで、夜明けと昼の熱気が冷める夜更けの時間帯が眠くてたまらない。ネットをあれこれ見ているうちに寝てしまう。
  となると、キーを叩く時間がない。

  暑くてレンズが乾くかして、写真の上がりも、マニュアルモードでようやく、写真だなあ、という写真しか上がってこない。
2011年7月7日(木)
sense of wonder  名詞的に理解するんじゃなく、形容詞的に。
   何もかも。概念や理屈を立てないと納得しない輩が多いが、ここはざっくり、そんな状態、行為を優先しよう。
  この地球は驚きに満ちている。雨の中、ジャコウアゲハの羽化。理科の教科書や、その類の本を開ければ、羽化は必ず載っている。
  でも羽化に出会って驚いている私のことなど書いていない。科学から人の肉声が聞こえなくなって久しい。

  医者ですら、脈をとらなくなって、データを集めるのに必死になりデータが語る病気の正体を探ろうとしている。確かにデータは、認識の手段として、共通認識の手段としての有効性は獲得しただろう。しかし、病気に苦しむ患者が目の眼にいるのを忘れては困る。

  人は、病気を治したくて医者の前にいる。患者を忘れて、病気を説明する医者であっては困るはずだ。
  それほどまでに、科学と現実がかけ離れた時代になった。科学の記述が日常からかけ離れ、科学の言葉が、科学者ですら、専門外となれば通訳がいるような時代になった。

  羽を広げて乾かしているのを見つけたのが、正午前。夕刻までいたが、いなくなった。

  「羽化」という概念は物事を語るのには最適かもしれない。しかし、驚いている私を説明するにはほど遠い。
2011年7月2日(土)
だからどうなんだ、と言われても、こればっかりは自分で考えてよ
  伊吹山の上に、珍しい雲が出た。雲の形をググッて見るが出てこない。

  そこには”個人”を迎え入れる思想はあっても、個人が”存在”できる思想はない。”個人”が”思想”だという考えがない。”近代的自我”が、個人の存在自体が思想である、という考えに立っていないからだ。目覚めたり、思索したりしなければ”思想”も”近代的自我”も個人に宿らないと、どうやら考えてしまったようだ。

  先に知り得た者、先覚者、深く思索した哲学者が啓蒙すべきとなってしまったようだ。だから、”なにやってんだ”とか”なに考えてんだ”という問いが、”お前の思想はなんだあ”という問いに聞こえない輩が、学者や識者を任じている。

  そことはどこか。東京にあっては、地方から出てきたものが、ムラを作って都市生活している。大阪は、町家にあって町人ムラを作っている。京都は、公家と坊主が相変わらず古代をしている。
  地方にあっては、金を産む場所ではなく、年貢を納めて金が入ってくるムラのまま、近代を拒否している。

  都市は近代であろうが古代であろうが、都市なのである。

  確かに、近代を産む思想は出来たが、近代を支える思想なんてまだないのだ。ましてや未来に向かった”思想”なんて。
  未来に向かった思想、それって”脱思想”じゃないのかな。だって、”思想”は近代を産んだまま、消えてしまったってのが本当の話ではなかろうか。
  ねえ、そうでしょ、近代主義者、市民主義者のみなさん。

  ”自分の頭で考える”、これが哲学、これなら誰だってそうしている。だけど自分の頭で考えない人がいる。そんな人は、どんな時も、”自分の頭でかんがえちゃいけないんだ、まず人の言うことを聴かなくちゃ”って枕言葉のように頭にくっつけちゃってるもんだから、”わかんない、解んない、問題だあ”なんて、頭の中を”解んない問題”で一杯にしてしまう。


  自分の頭で考える。自分の頭で感激、驚嘆する。”感動”という共有脅迫観念は捨てたほうがよい。
  写真を変えました
2011年7月1日(金)
庭の柘榴が最後の花を咲かせている。
  熱い日が続く。
  3月11日、日本は変わった。そう誰かがブログに書いている。”眠りから醒めた団塊の世代、もうひと踏ん張りしてもらいましょう”と書くブログもあった。

  70代、放射能の感受性は1/100だから安心して、食べて貰いましょう、義勇軍にも行ってもらいましょう。
  60代、団塊の世代と言われたあなたたちが、今の日本を良きにつれ悪しきにつれ作ったんだから最後の責任を取りましょう。この”責任”という単語に反応する最後の世代でしょ、あんたら。

  50代、子や孫のため、ペンションライフに入る前に、一踏ん張りしましょう。

  40代、次の日本を作る中核です。親の世代の言うことなんか聞かずに、動いたほうが正しい選択になるでしょう。

  30、20代、多分、間違いなく正しい選択をするでしょう、自分の感性を信じたほうが良いです。

  かく言う私、還暦を迎え、心穏やかな生活に入ろうとした矢先の3.11でした。心は穏やかだが、今やらなくていつやるんよ。

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