私は無神論者ではない。そして信仰を持たない。広い意味での”神”を信じている訳ではないが、”神”がいないとは思っていないから無神論者ではない。現に信仰している人たちは、ある意味”神”を持っているのだから、それを否定することはない。
信仰を古い時代の思想だと思っているから、古い思想を持っている人たちを信仰者だと思っている。別に、だからと言って彼らを”古い”人たちだとは思っていない。
いつも言うことだが、近代を生む思想はできたが、近代を育む思想なんて未だない。だから近代以前の思想”信仰”を持つ人がいて当たり前だと思っているのである。
祖父が妻を亡くし、長男(私の父)を亡くして、はかなんだ。墓を建てた。納骨堂。きっと依代だったろう。菩提寺とはそういうものだろう。
ばか 馬鹿 /谷川俊太郎 /ことばあそびうた
はか かった
ばか はか かった
たかかった
はか かんだ
ばか はか かんだ
かたかった
はが かけた
ばか はが かけた
がった がた
はかなんで
ばか はか なくなった
なんまいだ
近頃は、墓参りして引導を渡している。私たちは一緒に入らないからね。私たちが居なくなったら、訪れなくなったら、それはもうご縁が無くなったんだから、墓石と共に朽ちてください。
私? 埋葬許可書をもらわないと、どうやら”死体遺棄罪”に問われそうだ、勿論問われるのは私ではないはず。とっとと火葬して、だが骨は拾うな骨といえど、物欲がでる。
骨になったのを見届けたら、振り向いてさっさと出ていってくれ。そりゃ、ガンジスの火葬のように、火が着いたら踵をかえすほうが潔くっていいんだが、日本の事情はそうはなってなさそうだし、どちらでも構わない。
仏に引導を渡すのも罰あたりかな。ならば、言い聞かせている。読み聞かせではない。詩は詠みあげるもので、聞かせるものではない。複合語にはなにかしの作為がある。適わん。動詞を名詞的に使うのも気に入らん。
谷川のこの詩をググッていたら、教師の小賢しい智恵が次々ヒットする。気に入らん。
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