園長の野良日記  2011年 8月   ファイル 2011

home おはら野の四季 おはら野 農園 野良日記 遊びたい おはら野ママ link
 リンクがうまく貼れていません。↓のファイルに行って、戻れなくなったらHomeから戻ってください。
     2011年4月4日     3.11東北関東大震災(東北太平洋沖地震 福島原発)  リンク集を分割する
          2011年3月16日    3.11東北関東大震災(東北太平洋沖地震 福島原発)  リンク集  (新しいウインドウが開きます)
                               こちらのリンク集は、2011年5月9日以降、更新していません。下の”原発はいらない! 反核・反原発・反貧困”に統合しています。

原発はいらない! 反核・反原発・反貧困  ←おはら野農園の取り組み
      2011年5月     若狭の海 /姫野洋三&おじさんアンサンブル  忌野清志郎 /RCサクセション 他 →準備中
      2011年3月       日本赤十字社 →http://www.jrc.or.jp/    新しいウインドウが開きます
      2010年11月     206cc的ツアー、R303、R417  紅葉を愛でに、ドライブ
      2010年9月      藤原新也の公式サイト→ 「インド放浪」以来、それなりに読んでいる藤原新也のインターネット上のURL
      2010年1月~     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します
     
                2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災
     
                2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
                2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
                2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。

  
2010年10月。本を読む、というページを作ります。  →本を読む 
2011年 1月 2月 3月  4月 5月 6月 7月 当月
2010年 1月 2月 3月  4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2009年 1月 / / /         5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年        3月                    9月 10月 11月 12月
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 /
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月     8月    10月 11月 12月

  リンクがうまく貼れていません。戻れなくなったらHomeから戻ってください。 

                          2009年10月、2010年8月、9月が文字化けしている。危うく、2010年10月も文字化けするところだった。
壊れるファイル
<<前のページ | 次のページ>>
2011年8月31日(水)
今日で八月が終わる
  ええと、どっちからどっちだったかな。伊吹山裾を関ヶ原⇔舞鶴・小牧へと、ヘリなど不定期航路になっているのだろうか。

  爆音が聞こえて、ポシェットからデジカメ出して、SWオン、×16。だいたい真上まで来ている。
2011年8月22日(月)
誰でも経験する
  孫が背中に飛び乗って、腰を痛めた人を知ってる。
  だれでも経験している。しているはず。

  畑で草をむしったりなんぞしていると、猫♀が飛び乗ってくる。すんなり載るといいんだが、うっかりすると足を滑らせた猫♀が爪を立てて、態勢をたてなおそうととする。結構痛い。

  とまあ、背中に猫マークが付く。前足をポンと乗せて、後ろ足を乗せてけり上げる。巧いもんだ。

  でも、疑問である。だいたいがや、猫が、人の周りでうろうろしていていいものなんだろうか。だが、うちの猫♀は纏いつく。だから、猫は人に付く。
2011年8月17日(水)
昨夜、猫♀がハンテング
  ヤブサメかムシクイ。台所でバタバタ音がしなかったから、帰って来た時は、死んでいたようだ。家の周りはもう埋めるところがない。

  今日の写真はこれ一枚。蒸し暑くって、なんとなくけだるい。
2011年8月14日(日)
猫♀まくら
  暑くていかん、写真も少ない。撮るぜの気合が入らない。腰のポッシェットから取り出す気が湧かない。

  今日はこれ一枚。ヘチマを枕に居眠りしてた。カメラを向けると気配を感じたか、「なんやねん」と眠たげである。
2011年8月13日(土)
月見る月はこの月の月
  明日の未明、3時57分に満月になるそうだ。
                →The moonage calendar http://www.moonsystem.to/


  まあ今夜でいいや。東の空に登った月、7時。
  ぴったり精確がよろしければ、未明、3時57分に西の空を眺めてください。

  便利なのか、不便なのか、日常感覚からずれたデータがデジカメに残る。シャッターを押した時刻などいろんなデータが画像と一緒に残っている。でも、カメラ内蔵時計が精確に刻んでいるとは限らない。PCだってずれてくるわけだし、PCに取り込む際に、自動で修正してくれれば、そこそこ現実世界と一致するんだけど。

  日の暮れだなあ、薄暗くなったなあ、腹減ってきたなあ、ぼちっと帰ろうか。あら、満月だ。だった時刻を割り切れば7時。
2011年8月12日(金)
墓参り
なんて殊勝な心がけだこと。

 ↑ 祖父以降の骨がある
  私は無神論者ではない。そして信仰を持たない。広い意味での”神”を信じている訳ではないが、”神”がいないとは思っていないから無神論者ではない。現に信仰している人たちは、ある意味”神”を持っているのだから、それを否定することはない。
  信仰を古い時代の思想だと思っているから、古い思想を持っている人たちを信仰者だと思っている。別に、だからと言って彼らを”古い”人たちだとは思っていない。
  いつも言うことだが、近代を生む思想はできたが、近代を育む思想なんて未だない。だから近代以前の思想”信仰”を持つ人がいて当たり前だと思っているのである。

  祖父が妻を亡くし、長男(私の父)を亡くして、はかなんだ。墓を建てた。納骨堂。きっと依代だったろう。菩提寺とはそういうものだろう。
ばか 馬鹿 /谷川俊太郎 /ことばあそびうた

はか かった
ばか はか かった
たかかった


はか かんだ
ばか はか かんだ
かたかった


はが かけた
ばか はが かけた
がった がた


はかなんで
ばか はか なくなった
なんまいだ

  近頃は、墓参りして引導を渡している。私たちは一緒に入らないからね。私たちが居なくなったら、訪れなくなったら、それはもうご縁が無くなったんだから、墓石と共に朽ちてください。
  私? 埋葬許可書をもらわないと、どうやら”死体遺棄罪”に問われそうだ、勿論問われるのは私ではないはず。とっとと火葬して、だが骨は拾うな骨といえど、物欲がでる。
  骨になったのを見届けたら、振り向いてさっさと出ていってくれ。そりゃ、ガンジスの火葬のように、火が着いたら踵をかえすほうが潔くっていいんだが、日本の事情はそうはなってなさそうだし、どちらでも構わない。

  仏に引導を渡すのも罰あたりかな。ならば、言い聞かせている。読み聞かせではない。詩は詠みあげるもので、聞かせるものではない。複合語にはなにかしの作為がある。適わん。動詞を名詞的に使うのも気に入らん。

  谷川のこの詩をググッていたら、教師の小賢しい智恵が次々ヒットする。気に入らん。


 ↑ 祖父の祖父の代、ここから墓が分かれた。明治維新。

 明治維新以前の人達の墓はまた別の寺にある。
墓所が三代以上続いている人の顔がみたい。
俺が総領だと言うなら、そらあ室町からかえと、問い返したい。
2011年8月8日(月)
カラスウリ
  カラスウリが実をつける季節になった。7月下旬に花が咲きだし、やがて実がとまる。別にカラスの好物ではない。犬とか、イタチとかスズメとか、ぼろくそからまあねまで、幅広くホンマモンじゃない時につける接頭語のようなものか。

  どちらかゆうと林縁の木に絡んでいるようなウリ科の植物。私んちの畑の隅にあまりあるもんじゃない。けど、畑が林縁なら、生えていてもまあ不思議でもない。
 
2011年8月7日(日)
8月、順番を変える
  ホームページの更新   
野良日記→ 今日の農作業→ 原発はいらねえ!  こうだな。
  過去のページの再編成
  ツイッター

ツイッターを一番にすると、夜が更ける。
  ← もうすぐ正午、単発機が上空を舞う。何しに来たんだろう。レシプロの音はいいなあ、滑空したり推力上げて上昇旋回したり、??、3回旋回して北に向かった。

  んなことより、こっち。

  HPを更新しょうとこのページを開けると、4月からずっと「ネットワークを参照しています。開けますか」なんて表示が出てくる。ソースをみると、ロイターとAFPにリンクしている。でもそんなリンクは貼ってない。
  思うに多分、編集中にリンクさせて、削除してを繰り返していたから、”1行”だけゴミのように残ったのかなあ。思い切って削除してやったわ。構文エラーが無ければ、ゴミとして残ってしまう、残してしまう。そんなところだろう。HTML文に限らず、不具合がでるまで、放っておくに限る。

  そんな些細な理由:行数の少ないうちに原因を調べてつぶしてしまおう、って思ってしまったもんだから今日になった。


  畑で草をむしっていて考えた。ハウスの中は40℃オーバー、横の草をむしる。汗が噴き出るが、家でぐうたらしてるより脳みその健康に良い。体に合わせて味噌が湧く。冷却しようと体が動く。沸点に達していた脳みそが冷える。

  ホームページ、ツイッターの読者に合わせて、”おはら野農園日誌”を更新してから、ツイッターに向かう事に切り替えた。

  人は、現実というシチ面倒クサイものと付き合いながら生きている。ここでは中々辻褄が合わない。なんとか折り合いをつけながら、こなさざるを得ない。ここを放り出すと、家族、あるいは家庭は奇麗事になって、しわ寄せを嫁さん・子供に押し付ける。
  いいじゃないか、もたもた、よたよた、行ったり来たり、が人間らしくって。統計や確率が合理的・合目的的なのは、人の顔が見えないから。だから学者・評論家の出番を誘う。
  私は、私よ。思う、故に我あり。デカルトからニュートンまで、人の顔が見えなくなるまでの合理を追求してしまった。

  日本語では、我思う、故に我あり、となっているが、言語は、”思う”、故に我あり、となっている。正しく日本語に置き換えよう。、、私は、私よ。

  これって、女性に多い表現であることに気付く。先程の話に戻すと。亭主が投げ出し、放り出した”現実”を一手に引き受けた女性の”現実”を直観で支える丈夫な”脳”に喝采を送ろうではないか。

page top