園長の野良日記     2012年 2月   ファイル 2012

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                 2010年1月~     新グラウンドの候補地を市場・夫馬地先に決定されたことに反対します
     
           10 February, 2012      2010年1月       1995年1月17日午前5時46分阪神淡路大震災
     
                 2009年9月 6日   浜名湖サーキットツアー       編集中
                 2008年9月30日   206cc的旅行              淡路島・鳴門、瀬戸大橋、牛窓  サツマイモ・ラッキョ
                 2007年
        沖縄にひめゆりの塔は無かった  2006年   ごうや

  たつ園長は野良日記を綴るけど、毎日綴るとはならない。龍 隆たつたかしは
おはら野農園の園長だが、すぐ畑仕事を投げ出してしまう。その投げ出し、はみ
出た日暮しを野良日記に綴っている。
  つまりそんな読者の期待に応えようとしている訳だ。ペンネームと間違えられ
る本名とはそういうものだ。

  
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2012年2月28日(火)
古来、仏の教え(仏法)と言われてきたものの中に、道教が色濃くあること、
平田神道に顕著な「神道」もやはり、道教が入り交じっていること
  道教と古代日本/福永光司/人文書院/1987
無量寿経というのがあります。これは、AD252年に漢訳されているのですが、昔の?ギョウの都、いまの河北省、臨サンズイ章県ですね。ここは三世紀に曹操の建てた魏の国の都ですが、二世紀の終わりに「黄巾の乱」という道教の宗教一揆の拠点となったところで、いわば、初期の道教の本場です。ここで漢訳された無量寿経が道教くさいものになるのは当然ですね。日本にも眼に見えないところで、道教の思想信仰の地下水的な影響を深く受けているのではないでしょうか。  明日香と道教(横田健一・福永光司)p125


・・・どこを歩いても華南地方であれば、宇治か嵯峨野あたりを歩いているのと変わらない。・・・そしてそこで行われている宗教的な習俗も、九州とよく似ているということを、この足で確かめ、目で確かめて帰ってまいりました。
  そいいうことから、これはやはり今までの日本人の中国に対する理解認識の仕方は北に偏りすぎていたのではないか。特に日本の文化を論じる場合、江南との関係が軽視されすぎていたのではないか、そういうふうに私は考えて、仏典を読むにせよ、道教の経典を読むにせよ、できるだけ江南の特殊性に注目するように努めました。『無量寿経』と道教p230


人間の体というものは、生命の根源であって仏教の教えるように煩悩の塊でもあるが、しかしこの肉体がなくては生きてゆくこともできず仏教の真理も体験しようがない。
中国の伝統的な教えでは、人間が人間として存在することの根本条件は、飲食と、男女であると言われる。「飲食男女は人の大欲の存するところ」、これは有名な儒教の経典『礼記』(礼運篇)の言葉ですけれども、、中国固有の宗教である道教は、この考えをそのまま取り入れて何よりも重要するわけですね。-同-p245

追記: 05 March, 2012

  万物を斉し(ひとし)と見る「斉」の哲学=老子・老荘の真の哲学、、、
  では斉とはどういうことか。それはヨーロッパのデカルト論理では絶対に許容されない、Aと非Aの同時存在、Aと非Aが同時に成り立つ場を考えるということですね。Aと非Aが同時に成り立つ場、これを宗教哲学おして言えば、生と死が「即」の関係で同時に成り立つということです。もしくは鈴木大拙先生の言い方をすれば、集客の対立のない世界で生と死が同時に成り立つ場を考えるということですね。これは最近の欧米の学会でニューサイエンスといわれる学問の推進者たち、生物学者や理論物理学者などが考えていることですが、Aと非Aを極大と極小の問題として取り上げる。そしてこれと関連して密教の真言の真、荘子の斉の哲学を問題にしております。、、、、『無量寿経』と道教/親鸞の中の道教的側面p244
 

もう一冊
道教と日本文化/福永光司/人文書院/1982

もともと中国の思想の歴史において、人間の存在を広大な宇宙空間のなかに位置づけ、自己の生存の根拠ないしはこの世界の始まりを切実な「学」の問題とする”天地の哲学”を最初に内的な思惟の対象ととしたのは、老荘の学であった。孔子を始祖とする儒家の額は、額としては老荘の学に先行するけれども、その儒家の説く「道」は要するに「先王の道」であり、「君子の道」であり、「孝弟忠怒の道」であった。つまり人間の生き方と社会の在り方とを切実な問題とする政治倫理であり、人間の生きてあることそのもの、人間の存在を含む天地万物の生成死滅の根拠、その根源にある条理を究め問おうとするものではなかった。・・・三浦梅園と「荘子」と陶弘景p138

追記: 05 March, 2012
  ヘーゲルの正反合の弁証法と「反観合一」。凡ゆる事象は相反して皆相成す。相反して相成す。三浦梅園と道教(四)p168

  「近代文明と呼ばれる巨大な機械を作るために働いた個々人は、機械的習慣の奴隷となり、彼らの創造した怪物に冷酷に支配されていった」岡倉天心
  「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり、機心胸中に存すれば則ち純白備わらず」荘子。岡倉天心と道教p184
 
2012年2月27日(月)
早急な結論は不用
仏教思想の遍歴 -空海から親鸞へ -/上山春平/角川書店/1977
「神々の体系」からすると、この本は異質になる。遍歴というように、上山氏が辿った遍歴が書かれている。思想の遍歴ではない。


現在、公害問題などがきっかけとなって、自然というものに関心が集まっているが、自然のとらええ方はまだまだ浅いように思われる。人間が、その中で生まれ、その中で生き、その中で死んでゆく、そういう自然というものは、もっと精神にみちあふれた側面があるはずだ。そいいう自然の深いとらえ方を、親鸞は私たちに示唆しているように思う。  Ⅵ仏教史上の親鸞 6自然法爾 p266


1977年頃この時期は、いろんな人が、言葉を変え、言い分を変えて言いだした頃だ。80年代に入って、それはますます勢いを増した。少なくとも私にはそう見えた。これが油断だった。最先端をいく人たちにはなんら届いていなかった。反省
2012年2月27日(月)
そろそろネタぎれ
晴耕雨読という、外へ出て体を動かすと知恵もわき、頭も動きだす。
こうも部屋にこもる日が続くと、春に向けて「お部屋」の掃除、模様替えをやって、「来たるべき日」に備え終わった。
本は、毎晩、寝床で読むので、尽きていない。
しかし、頭が尽きた。しばらく体を揺すって、頭の活性化を図らねば
日本とは何か-近代日本文明の形成と発展/梅棹忠夫/NHKブックス/1986
比較文明学、文明の生態史観。今西錦司はカゲロウを、日高敏男は蝶蝶をやった。梅棹はオタマジャクシをやった。形態学をやると、こうだ。カブトムシはカブトムシでカナブンではない。「私のカブトムシは、なんかえ、かぶと虫じゃあないとでもおいいかい。カブトムシの見方が間違っていても、かぶと虫はカブトムシじゃあないか。それともあんた、見方によって、カブトムシがカナブンになると強弁なさるお積もり変え」
  対象を見る目によって、対象は変わらない。これが形態学者の言い分である。この言い分に、物理学者や数学者は、見方を議論できても、たちうちできない。
文明の生態史観、これが梅棹のいう生物生態学の立場から、社会進化論を進化論的進化論だと、切って捨てた根拠になる。

この本は、1970年代前半から1984年にかけて、丁度日本経済の転換点にさしかかった頃に、万博跡地に国立民族研究所(独立国立大学共同利用機関-学生のいない大学)併設の国立民族学博物館が創設された、その時に中心メンバーとして活躍した梅棹の軌跡でもある。

大阪21世紀協会が堺屋太一をイメージするように、「日本アパッチ族」小松左京を思い起こす万博記念公園の奥に民族学博物館はある。とっても好きな場所で、なんども訪れてる。世界から集めた「ガラクタ-壮大な無駄」の展示品の一つ一つは、人類のコレクションだし、生活から切りだしたままの匂いがしている。こんなもん、なにに使ってたんや?なんてね。
2012年2月25日(土)
乱世にさいた花
観阿弥と世阿弥/戸井田道三/岩波新書/1969
  公から私へ-観阿弥。神から私へ-世阿弥。「花伝書」をひも解きながら、「太平記」を歴史舞台に、古代から中世への転換期に生きた観阿弥・世阿弥を単なる芸能書ではなく、歴史の中においた日本の精神史に迫った本。
  花、私が立ちあがってくるさまを捉えた言葉だと思う。

  1969年に刊行されたこの本は、当時の史学会、民俗学会、のみならず社会史の書き換えの時期に書かれている。
  今の私から見ると、いいとこまで行ってるのに、引き戻される思いがする記述が何箇所もある。しかし、それは私が通り過ぎた道のりでもある。

  葉隠、日暮硯、歎異抄など、明治になって再発見された本は、明治の匂いを付けていまだある。話は飛ぶが、当時の人に愛読された「フランクリン自伝」が今では「フリーメーソンの地域での集会」にも似ているなど、私はそう思う。

  公私の公。おおやけと読むが、大きな家でもある。公家がくげと読んで、奈良王朝から平安貴族の集団を公家というのは、文字通り貴族が大きな家であった証左だと思う。
  その公が、変遷していく過程は、日本人の意識の変化でもあろう。近代になって、「私」が多く語られるが、「公」に言及する本は少ない。まして日本人の身体、身体観と併せ語られることは更に稀である。
  身体をゴロンとそのまま語らずに、身体論として語られる時、身体をどう見るのかという「心」が抜け落ちていたり、「心」だけを取り上げたり。

  乱世は、訳も意味も無く体が「物狂う」時代のことだろう。観阿弥・世阿弥を産んだ中世。中世から近代への戦国時代、体がもの狂おしく暴れた。結果、しずめる「茶道」や「葉隠れ」が「こころ」のよりしろの如く読まれる。
  「葉隠れ」を読んだ、奈良本辰也が言った、体、動作、所作を意味を介さずそのまま読め、と。いまでも有効な方法だと思う。
2012年2月23日(木)
バウッダ・佛教/中村元 三枝充悳/小学館/1987
バウッダ・佛教/中村元 三枝充悳/小学館/1987
インドでは、宗教や哲学は、それぞれ各個人のものなのである。社会的権威によって束縛されるものではない。だから、西洋でいう「クリスチャニティ」や「イスラーム」に相当する造語法が、古代インドにはないのである。

  - 中村元のまえがき-

こうも言う

 「仏道」と呼ばれていた。仏による生き方なのである。
   
  -第4部 「宗教」と「哲学」の意義  中村元 p330

  「宗教」や「哲学」はそれぞれ各個人のものである。そしてそれは「生き方」なのである。

  自分の言葉で考えていいんだよ、人から規範を教えてもらうものじゃあないんだよ。その分、考え始めたら孤独だよ。だって自分の言葉はあっても、周りの言葉とは別なんだから、、そして通じなければ言葉じゃない、、、。


  そうしてみると、個人の生き方を「説く」クリストやイスラムはさておいて、日本の「哲学」や「科学」が、個人の生き方なのか、根源的な問いになる。日本に仏教が伝わった時、個人のものであった仏道が、心やさしい日本人の心に、自他の別を設けない日本人の心に、「生き方」の前提たる個人がすっぽり抜け落ちても不思議ではないなあ。

  その後、小学館ライブラリー、講談社学術文庫2009年 に変わっている。

2012年2月20日(月)
これは、誤ったね

【2・19杉並デモ】 カーニバルのノリで5千人が脱原発  田中龍作ジャーナル2012年2月19日 20:00
    →http://tanakaryusaku.jp/2012/02/0003712 


ラテン音楽のバンドが参加者の気分を高揚させた。=19日、杉並区。写真:筆者(田中龍作氏)撮影=
  デモンストレーション、パレード、カーニバル。どんな名を送ろうと、なにが起きてるか、判らなくなったらおしまいだ。田中龍作氏は彼の知ってる語彙を並べて、なにも新しいことを言っていない。

  古い言葉で、今起きていることを説明しようとするとついうっかり古い考えが露呈するもんんだ。

  「有象無象のえじゃないか」があった。
  「シングルイシュー」だの「原発には右も左も無い」、まして「誰が仕切っているか、分からない」など、己の至らなさ分からなさを、自分で言ってるだけじゃん。

  確かに彼・田中龍作氏が言うように「・・・極左集団をはじめとする一部の偏った人たち」というレッテルを警察、原子力村、記者クラブメディアは貼り続けてきた。それも、きょうのパレードと共に過去の遺物となることだろう。」だろう。
  しかし、実際は新しい物事がはじまったとき、すべてが分かり、すべてを了解した人が声をあげ行動するとき、シングルボイスにはならないんだよ。人は分かったとき、立ち尽くすのをやめ行動するんだよ。
  それを一つの声にするのは間違い。それは古い聞き慣れた言葉に収れんされるから。
  新しい言葉をつむぐんだよ。

水曜には、雨宮かりんのブログが更新されるだろう、松本哉も今回は早く書くだろう。きっとそっちの方が冷静だろう。
2012年2月19日 20:00

ラテン音楽のバンドが参加者の気分を高揚させた。=19日、杉並区。写真:筆者撮影=

 情熱的な音楽を奏でるバンドが先導し、参加者たちは歌い踊る。東高円寺一帯を練り歩いた「2.19脱原発杉並デモ」は、まるでカーニバルのようなノリだった。デモではなく賑やかなパレードである。組織の動員もイデオロギーの押し付けもなく、「原発はいらない」と願う人たちが自由に集まった。

 「若い衆も、大先輩も、父ちゃんも、母ちゃんも、商店主も、いろんな政党も一緒くた。しぶとく、しつこく、むやみやたらと手を結んで(脱原発を)訴えていきます」―呼びかけ人の一人、那波かおりさんの挨拶が象徴的だ。パレードを運営する約100人の実行委員はいるが、主催者はいない。

 参加者の大半は都内だが、横浜や千葉などから電車を乗り継いで来た人々の姿も目立った。着ぐるみ、マント、ゼッケン…集合場所の「蚕糸の森公園」は、「脱原発」のフレーズを書き込んだ衣裳や意匠をつけた市民で溢れかえった。

 誰が仕切っているのか、分からない。公安は頭を抱えた。投入された私服刑事はこれまでの脱原発集会で最多との見方もある。パレードの外側をゾロゾロと付いて歩き、内側にも“密偵”を送り込んでいた。

 圧巻は出発前の参加者挨拶だった。社民党の保坂展人・世田谷区長に続いて一水会の鈴木邦男顧問が登壇した。コテコテの左翼と民族派右翼のコラボである。

「『脱原発』集会に参加すると左翼を利するという意見もあるが、国を守るのに右も左もない…」。鈴木氏が述べると割れるような拍手とどよめきが起きた。

 目黒区在住の音楽ライター(女性40代)は「いろんなことはできない、脱原発に専念したい」と話す。

 横浜の会社員も同様の意見だ―「脱原発はシングルイシューで取り組まなくてはならない。『あれもこれも』は全部だめになる。(かつての)左翼の失敗を繰り返してはならない」。かくいう彼は学生時代、社青同解放派の闘士だったという。

 国家さえも支配下に置く原子力村に対抗するには、小異を捨てて力を結集するしかない。参加者の思いは共通していたようだ。鈴木代表は筆者のインタビューに「脱原発に右も左もないということを、きょうは実証することになる」と宣言したが、まさにその通りになった。

 パレードの先頭が集合場所をスタートして、最後尾が出るまでに小一時間を要した。実行委の発表によると約5千人が参加した。

 「原発反対運動に関わるのは極左集団をはじめとする一部の偏った人たち」というレッテルを警察、原子力村、記者クラブメディアは貼り続けてきた。それも、きょうのパレードと共に過去の遺物となることだろう。

 「私たちは『3・11』前まで、デモに参加したことはなかった。デモは恐いものだと思っていた。でもそうじゃない。子供もこうして参加できる」。こう語る母親(横浜市在住)の表情は晴れやかだった。

 ◇
『田中龍作ジャーナル』は読者の寄附に支えられています。


2012年2月18日(土)
こんなの出てきた
  外は雪、新たに10センチ積もった。しなきょああならんことが積み上がってさあやろうか。
  体を動かしてウオーミングアップ。部屋を片付けている。こんなの出てきた。2003年5月21日、工事中のホームページ。2枚の写真が貼ってある。

  1枚は5月の伊吹山を背景にした三島池。5月4日の田植えの様子。歩行式の田植え機はその後も使っていた。2条植えで、4反ほど植えていたんだ。まだ家族総出のお祭りのような仕事だった。確か7反になってもこれでやってた。結局、周りが乗用の田植え機でタッタタ~と植えていくのを見て、乗用の中古をもらって早く植えられるようになった。けどすぐ稲作を放棄した。

なのに、いまだHPは工事中! さてさて、いつになるやら完成は。六月にはいると、ホタルの季節。夏野菜もどっと出回るんやけど、それまでには、、、読んでもらえるようにせんとあかんはなあ

おはら野って、大原野って書いておわらのとゆうてるんやわ、この辺では。雑木林と桑畑があって、キツネ、タヌキ、それからフクロウが住んでたそうやて、その中の薄暗い里道を抜けんと、となりの在所にいけんかったそうや。今わずかに残ったその雑木林の林縁に住んでます。

  と、書いてある。写真はどこかにまだ貼り付いてある。「雑木林のはずれ、」このセンテンスはトップページに面影がある。9年前のトップページはこんなんやった。連れ合いが子どものころの話。

2012年2月17日(金)
図説国民の歴史1
図説国民の歴史1/国文社/1965/P80部分
  ウヒョヒョ、とってつけたオッパイ豊かな腰。開港された下田の風呂屋を見たアメリカ人が描いた画:異国にきても「おっぱい」はこう描く癖は治らない。印象派が「私はこう見えた」まま描く浮世絵にびっくりしたはずだ。

日本近代史研究会編 色川大吉 川村善二郎 北島正元 小西四郎 砂糖昌三 遠山茂樹 原田勝正 藤井松一 宮川寅雄 村上重良 吉田常吉
 編集協力 榊山潤 築比地仲助 奈良本辰也 永井秀一 服部富子

  全5巻のこの本は、敗戦後の日本史学が一定の成果を上げつつある中で、国民向けに出版された、当時の雰囲気を知る貴重な資料だろう。いまでは資料的価値になったが、当時の最先端だったのは間違いない。

  入手のいきさつは、古本市の中にあったってことか。編集してる人たちの名前に引き寄せられたのと、写真や錦絵など、図版が豊富で手持に置いて眺めるにそうそう集められないものだった。

狩野派などの本派、浮世絵・草本挿絵など日本の絵画を通体する特徴は、と問えば、見たままに描くってこと。写実なんだな。
  あの写楽や北斎のデフォルメされた構図・描写を持って写実?となるかもしれないが。こう考えよう。絵師が自分の思う構図・様式で描いているではないか。日本はとっくに印象派だった。
  一方の西洋絵画は宗教画、肖像画に現れるように、決まり規則の上で描かれている。そんな中で、自分の感じたとおりに描いてもいいんだ!って登場したのが印象派だった。

  そんな風にこの絵を見ると、おっぱいと腰つきは、ビーナスの誕生や、教会の壁に掛けられているような、一定の様式・ポーズで描かれていて、髪形・顔つきと完全にバランスを欠いている。スケッチはしたろうが、「描く」はこんなのだった。

  そんなとこが面白い。

  もう一つ、混浴が当たり前だった江戸時代、ここにも日本人の「心」「身体」感が現れる。平気なんだな。あっけらかんと性が日常で表現されるのは、今の日本人と感性が違うからだ。まだ生きている身体を隠す、まではいっていない江戸時代。その後生きている身体も公にされなくなった。無いことになってる。

  図でいうと、左のくぐって入っていくのが湯船、真っ暗、サウナ+お湯。五右衛門風呂をでっかくしたもの。ここに描かれているのは、洗い場、江戸の末期には上がり湯と称す綺麗なお湯もあった。

  編集でこの絵を取り上げた人も、そんなアンバランスを自覚的、無自覚的であれ楽しんだ筈だ。
2012年2月16日(木)
生命の文法
生命の文法 〈情報学〉と〈生きること〉 中村桂子・養老孟司/哲学書房/2001
  持ってる本では非常に新しい。この二人に多田富雄を合わせて私の好みになる。おはら野の四季にある虫たちの生活誌というタイトルは、中村桂子の「生命誌」という言葉がいたく気に入っていたので、そう付けた。
  生命誌には、時間軸・歴史感がある。それを抜くと生活かと。そこはかとなく時間・歴史が感じ取れる程度の語感のある生活誌とした。中村桂子が言うように「誌」なのである。

  数学者の山口昌哉が数の哲学を言うので、それも足しこんでいい。
2012年2月14日(火)
寄り道して考える

寄り道して考える森毅養老孟司/PHP研究所/1996
  物ごころつくって、クラスの女の子のスカートが気になりだしたり、本を読みだしたり、まあ自分と違うものが(自分が)気になりだす年頃なんだろう。

  スカートをめくってわーわーきゃーきゃー、たけなわになって、もう絶好調なのに、後ろのほうから静まっていく。必ず言いつけにいく女の子がいて、職員室から駆けつけた先生と女の子と、こいつがいかんぺったりくっつく男、オマエなあそうするかあ、黙って見とったのにずるいやっちゃ。

  ずらっと並んで、順に頭はつられるのやけど、「龍、おまえなあ、、、」あとは言葉にならんようだ。「いたあい」。いとう無かったら懲りんやろが。

  宿題とかテストとか、してもせんでも、そんなもんは遊びのようなもんで、「宿題をせん奴」で通ってたし。そもそも学校だって授業時間は先生がいて休み時間は先生がいない、それくらいしか違いはなかった。学校の前に住んでるやつは忘れ物を取りに帰る時間でもあった。
  高校生になると宿題というものが無くなって、テスト一本になった。それも1週間近く学校へいってもそれしかない。サボって図書館やラーメン屋に行ってると、試験は0点になる。出席日数は足りてるが、化学と地理と英語と、、、時間数が足りん、登校してからどこへ消えてんねん。と言われている身なら、テストで点を取るのはアリバイのようなもんで、せめて学期末には「可」は欲しい。

  1週間くらい前から、試験範囲が知らされ、周りは試験勉強一色になる。さあそれは困る。この時は普段の遊び仲間もつるんでいる訳に行かず、解体されている。さらに困るのは、普段読まない教科書を開けると、聞いたこともない話が並んでいる。授業は、言いたいことだけ言って、「試験は教科書のこっからここまでから出す。よんどけ」って先生ばかりだから、耳に届いていない。教科書の要約のような板書する先生のノートは隣の女子に書き写してもらってるが、これを読むくらいなら教科書を読んだほうが良い。このノートの代書は女の子とコミュニケートするにいい方法だ。器用な子は3~4冊書いてたそうだ。バレンタインチョコだな。今日だぜ。
  「ウン?前の晩に一通り読んだら、試験問題読みながら思い出せるやないか」という奴がいて羨んだもんだ。

  で前の晩になにをしてるかというと、さあもうじたばたしてもしゃあない、本読も、本。と、その辺に積んである昭和文学全集なんぞを読み始めると、朝になる。足らずの時間数をテストの点で補う程度で充分だから、辻褄はあってた。
  試験問題というのは、0点ばかり並ぶと困るから、30~40点くらいはとれるように出来てる。一方100点が多いと、120点とか200点とかとれていても判らんから、なんとか100点とれない、かといってだれもが70点でも困る。成績5~10(4は落第)で、5~7くらいにほとんどがはいるように、先生は苦心する。
  だから、前期で60点なら後期は40点でよろしい、これは楽勝。前期が40点だと、後がない。先生だって、今回は難しすぎた、平均が60を切ったなんてこともあったし。

  明日は滋賀県主催の「原子力防災フォーラム」。ここで行われる意見交換会に向けて準備をしている。意見書、建議書なんて肩肘張ったもんを用意せんでもええやん。いいたいことゆうてこよう。
  ならちょっと寄り道しようか。うってつけの題の本を見つけた。読みなおそう。

帯に、「目的地へまっしぐら」じゃ、「大事なこと」が見えなくなる。信じこんじゃ、ダメだ自分の頭でかんがえろ
  帯ってのは、出版社と編集者が売らんがために(至極まっとうな行為)考え思いつくもので、著者は、我が本を手にするまで、大概は知らない。そしてこううそぶく、「あっそう、そう書くか。なら今度はそういう本を作ろう」ってね。そもそも、本のタイトルは編集者まかせ、中の見出しなんかもそう。
  そもそも本を書く著者は読者なんか構っていない。先生、読者が読めるように(買ってくれるように、読まなくたっていいからさ)書いて下さいよ。なのである。読者という需要を満たすのは出版社であって、そうそう満たしてくれない著者は出版社から敬遠されるだけである。
  インターネットのHPやブログは供給(著者)と需要(読者)の数が1対多から1対他(誤字でない)に変えつつある。だから、多数派の意見を述べてもネットでは読まれない。そんなんTVや新聞、雑誌・書籍が充分供給してるし、胡散臭く思われている。
 1対他を、個対その個でない他の個と言い替えて、「他」右辺、左辺行きかってるといってもよい。面白いブログは必ず個的で、他人が思う面白さと違う所でなりたってる。

(17 February, 2012) この本を二人の本を一冊も読まずに初めて!では読まない方がいい。読み誤る。
  
2012年2月11日(土)
建国記念日、建国記念の日と読むそうだ
  
2012年2月9日(木)
雪が降ると、働く自動車がやってくる
  今朝だけではない。家の前には、米原市の生涯学習センターとおおはらクリニックがあり、大きな駐車場になってる。隣に、大原駐在所、小学校、伊吹高校、JAレーク伊吹などかつての大原村役場跡なもんでそこそこ、公共的な建物・施設が並んでいる訳だ。
  だからと言ってここの除雪の優先順位が高いってことではない。でも、必ず除雪車が駐車場に入る。とってもありがたい。で、大体が深夜から、小学生が登校する8時前くらいに作業が始まる。もう何年もその作業をみてきたので、こちらが馴れてしまって、写真してないだけ。以前はとっても嬉しくて写真してた。

  朝飯食べてるあいだに終わってしまった。帰り際をあわてて写真した。

  こちら おはら野の四季 冬
             →2011年1月 働く自動車がやってきた  
             →2010年2月 働く自動車(スライドショー)
2012年2月5日(日)
体が火照ると、性欲が増す
  朝、水道管が割れているのに、気づいた。金曜の夜から-12℃を超す冷え込みになって割れたんだろう。昨日は終日、2.4関西びわこ集会に出かけて留守。日中に解けはじめて、今朝になって噴水したんだろう。新しく配管した所に古い部材を使ったから、そこが割れた。どこが割れるか判らないが、弱かったとこで割れる。

  石原慎太郎は「体が火照ると、性欲が増す」ってところまでしか書けなかった作家なんだろう。当時は、そんなことをストレートに書く人いなかったから人気が出た。今はそんなこと当たり前に、気づいているから、老醜・老害って言われる。
  「右からの」とか右翼に見られる行動することが右翼だ、なんて錯覚と、その支持なんかもそうだな。一緒に踊るなんてバカのすることだよ。

  火照った頭を冷やすために、終日掃除をして体を動かした。そこそこ頭が冷えてきたので、HPになにか書こうと、まず思いついたのが「体が火照ると、性欲が増す」だった。
  そもそも人間は、セクシャルな存在な訳で、それを性欲と表現すると雑多な意見が飛び交って収集つかないのがその何よりの証左なんだな。ひとそれぞれにってことなんだから。

  もう大分前になるが、会議に出席するためにニューヨークのホテルに滞在していたIMFの?だれだったっけ?が従業員をレイプして騒動を起こしたが、これなんか、物欲と性欲しかない人間に見られる典型的な例だよな。

  さて、頭が冷えたことだし、HPに書いていこうか。 
2012年2月2日(木)
マガジン9 松本哉ののびのび大作戦 /杉並で前代未聞の有象無象デモが発生! 2.19脱原発杉並デモ!
~気づいたら「全員寄せ集めでなんかやりませんか?」~
全文コピペ →ht
tp://www.magazine9.jp/matsumoto/120201/ 
2.19(日)脱原発杉並デモ( http://uzomuzo.com/calls/ )
場:大熊ワタル&こぐれみわぞう、ジェロニモレーベル(京都)、保坂展人(世田谷区長)、コバヤシステム、雨宮処凛ほか
☆19日の杉並デモが気になる人は、twitterのアカウント@datsusuginamiを要チェック!! すべてがここでタイムリーに報じられている!



こんなの嫌いな人って一杯いるだろうな、世の中の外れで。デモ、でも有象無象っていいじゃないか。ストリートパフォーマンス!えじゃないか、

  白いトウモロコシ(ぜんぜん甘くないモチ種)でお粥。

全文コピペ →http://www.magazine9.jp/matsumoto/120201/ 

 あけましておめでとうございます(今さら!)。今年も景気よく、のびのびと勝手なことやったり文句を言ったりしていきましょう!
 去年は、震災と原発の1年で、デモも怒りまくってきたが、今年もどうやらその勢いは衰えそうもない。3月11日には早くも震災&原発大爆発から1周年。今年の春には、再稼働さえしなければ、ひとまず全部の原発が止まってしまう。おまけに4月26日はチェルノブイリ事故26周年だったりもする。もう原発のことを考えてくれって言ってるようなもんだ。この春で「もう原発やめた!!」と、金と欲望と権力欲にまみれた原子力政策に区切りをつけて、前に進んでいきたいものだ。
 …などと思っていたら、杉並区でとんでもない動きが巻き起こり始めた! これまでの脱原発運動の流れとは全く違う、とんでもないローカルなところからの謎の事態! これがまた面白すぎるので、今回はちょっと紹介してみよう!

 まず、ことの発端は去年末。杉並あたりの労組だとか社会運動系の人たちが「杉並で幅広い枠組みで脱原発運動をやりたい」と、言い出しいろんな人に呼びかけ始めたという。こっちにも遠まわしに話は伝わって来たんだが、「いや?、いいですね!」と言いつつ、よくわからなかったのでうまく逃げたりしていた。で、年末に会合をやってみたそうなんだが、この辺の人たちいわゆる共産党系の人たち(こんなこと言ってよかったのかな?)ってことで、いざ集まってみると、結局そのいろんな所の人たちは来ず、なんだか見たことある人ばっかりだったという。で、「こんなのじゃ、全然広い枠組みでもなんでもないから意味ないよ! やめ、やめ。中止、中止!」と、完全にポシャったという。
 ところが、一旦いろんなところに声がかかったということもあり、地元で脱原発のことをやりたい人ややってる人もたくさんいて、その火種だけは各所で燻っていたみたいで、気づいたら「全員寄せ集めでなんかやりませんか?」って流れになって来たという。

 さて、そんな経緯もあり、改めて集まった初会合が1月9日。このときは前評判でも話題になっており、めちゃくちゃにいろんな人が集まるという情報が流れまくっていたので、さすがにちょっと気になり、ちょっと顔を出してみた。すると、次々とわけのわからない人たちが集まりまくっていて、総勢100人ぐらいが地元の産業商工会館(場所がいい)に集っている。う?ん、なんだなんだ? で、顔ぶれがこれまたすごいことになっていて、老人からママさんたち、その辺の商店主、謎の若者、ビジネスマン風の人などなど、老若男女もバラバラで、いきなり傾向が読めない。区議会議員なんかも来ているんだが、これまた脈絡がない。社民共産からみんなの党までいて、てんやわんや。あまりにいろんな人が来てるので、のちの会合からはあわてて民主党の議員も来はじめた。これだけムチャクチャだともう完全に意見がバラバラ。「ま、ぼちぼち適当にやりましょう」って人から「毎週デモをやるぐらいでないとダメでしょ!」って人もいる。即時に全原発廃炉っていう人もいるし「脱原発はトゲがあるから、『放射能危ない』ぐらいのほうがいいのでは?」という超穏健派まで。運悪く司会を引き受けてしまった重鎮のおじいさんも、もうとてもじゃないけどまとめきれない感じ。みんな手を挙げるので、「じゃ、次の方」「じゃ、そちらの方」と、どんどん振っていくんだが、みんな全く違うことを言う。で、「さて、みなさんどうしましょう?」司会の人。この繰り返しで2時間以上に及ぶ白熱した議論の末、決まったのは「2月19日」の日にちだけ。時間は「冬は寒いから一番あたたかい時間に」ということに。おお! さすがご老人も多く参加するだけあって、この発想。いいね! そして、あまりにまとまりがないので「みなさん、いろんなご意見がおありのようですが、ここはひとつみんなで原発をゼロにしようってことに…」という、町内会的な完璧な仕切りで盛大な拍手とともに閉幕。完全に昭和の雰囲気が漂っている!!!!!

 2回目の会合は1月19日。前回の謎の盛り上がりを聞きつけた人たちがさらに集まってきて、今度は何と120人。もちろん素人の乱界隈でいつもデモやってる人たちなんかほとんどいない。完全に杉並辺りの人たち。これはすごい! どうなってるんだ一体! 今度は前回と違って具体的な話が出まくってくる。初デモの人たちもたくさんいるので、これがまたすごいとんでもない発想がたくさん浮上する。おばちゃんが「新聞折り込みのスーパーのチラシほどすごい宣伝力はないのよ!」と熱弁をふるいだしたり、老人向けにガリ版刷りのチラシを作ろうという話になったら「普通の印刷でも読める!」とムキになるご年配の方が登場。あるいは、「子供たちはデモの途中で絶対に『もう歩きたくない?』って泣きだすから、お菓子を満載した台車を用意して、その台車に乗せちゃいましょう」などと言い出したと思ったら、商店街のオジサンが「うち、お菓子屋やってるからお菓子提供するよ!」と挙手。おお、オッサンかっこいい!!!
 ここへきて、もう完全にバラバラながらもみんなが対等なすごい会議。司会のウェブデザイナーの兄ちゃん(数日前にこの会合のことを知ったらしいけど、行きがかり上なぜか司会をやるはめになったという)がまたいい。その辺の区議会議員なんかがゴニョゴニョいいだした時なんかでも「なんだか意味分かんないからダメ! はい、次の人?」って感じ。すごいすごい、最高の司会さばき! そもそも誰なんだあの人!! 

 さて、そんな感じで次々と準備は進んで、当日のお楽しみのようなものすごい案がたくさん練られている。いや?、これはいったいどうなるんだろうか!? 今回は単なる一参加者としての参加だが、暇人はどんどん参加してしまうしかない!
 事故から一年がたとうとしていて、反原発運動も盛り上がっている一方、全く関心のない人は関心のないままって状態も続いている。この固定化した状態を一挙にひっくり返すような、もうゴチャマゼのうえに超ローカルなところからのこの動き、最高過ぎる!!! いや?、杉並って前からいろんな奴らがいるとは思ってたけど、ここまですごいことになってるとは! もちろん、杉並以外の人でも大歓迎とのことなので、働いてる人、よく遊んでる人、昔住んでいた人、あるいはまったく縁もゆかりもない人などなど、興味のある人はむやみに駆けつけてしまおう!

2012年2月1日(水)
欄間のクモの巣をとりながら、思いついた
  経済学、または経済評論家を批判するとは、ブルジョア批判をすることなんだ。マルクスのいう「ブルジョア経済学批判」は、そういうことだろう。
  そうでなければ、ああでもないこれで儲かるの類の新自由主義経済(論)なんて、モグラたたきのように次々個別撃破しても切りない。